Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

窪尼御前御返事 
1481

窪尼御前御返事

                    弘安二年五月 五十八歳御作

御供養の物数のままに慥・に給い候、当時は五月の比おひにて民のいとまなし・其の上宮の造営にて候なり、かかる暇なき時・山中の有り様思ひやらせ給いて送りたびて候事御志殊にふかし。

阿育大王と申せし王はこの天の日のめぐらせ給う一閻浮提を大体しろしめされ候いし王なり、此の王は昔徳勝とて五になる童にて候いしが釈迦仏にすなのもちゐをまいらせたりしゆへにかかる大王と生れさせ給う、此の童はさしも心ざしなし・たわふれなるやうにてこそ候いしかども仏のめでたくをはすればわづかの事も・ものとなりて・かかる・めでたき事候、まして法華経は仏にまさらせ給う事星と月とともしびと日とのごとし、又御心ざしもすぐれて候。

されば故入道殿も仏にならせ給うべし、又一人をはする・ひめ御前も・いのちもながく・さひわひもありて・さる人の・むすめなりと・きこえさせ給うべし、当時もおさなけれども母をかけてすごす女人なれば父の後世をもたすくべし。

から国にせいしと申せし女人は・わかなを山につみて・をひたるはわをやしなひき、天あはれみて越王と申す大王のかりせさせ給いしが・みつけてきさきとなりにき、これも又かくのごとし・をやを・やしなふ女人なれば天もまほらせ給うらん仏もあはれみ候らん、一切の善根の中に孝養父母は第一にて候なれば・まして法華経にてをはす、金のうつわものに・きよき水を入れたるがごとく・すこしももるべからず候、めでたし・めでたし、恐恐謹言。


  五月四日                      日蓮花押

   くぼの尼御前御返事

  このなかの御くやうのものは・ところところ略して法門を書写し畢んぬ。

妙心尼御前御返事

                    弘安二年十一月 五十八歳御作

御そうぜんれう送り給い了んぬ、すでに故入道殿のかくるる日にて・おはしけるか、とかう・まぎれ候いけるほどに・うちわすれて候いけるなり、よもそれにはわすれ給はじ。

蘇武と申せし男は漢王の御使に胡国と申す国に入りて十九年めもおとこをはなれ・おとこもわするる事なし、あまりのこひしさに・おとこの衣を秋ごとにきぬたのうへにて・うちけるが・おもひやとをりて・ゆきにけん・おとこのみみにきこへたり、ちんしといいしものは・めおとこ・はなれけるに・かがみをわりて・ひとつづつ・とりにけり、わするる時はとりとび去りけり、さうしといゐしものは・おとこをこひてはかにいたりて木となりぬ、相思樹と申すはこの木なり、大唐へわたるにしがの明神と申す神をはす・おとこのもろこしへ・ゆきしをこひて神となれり・しまのすがたおうなににたり、まつらさよひめといふ是なり、いにしへより・いまにいたるまでをやこのわかれ主従のわかれ・いづれかつらからざる、されども・おとこをんなのわかれほど・たとげなかりけるはなし、過去遠遠より女の身となりしが・このおとこ娑婆最後のぜんちしきなりけり。

 ちりしはな・をちしこのみも・さきむすぶ・いかにこ人の・返らざるらむ。

 こぞもうく・ことしもつらき・月日かな・おもひはいつも・はれぬものゆへ。


 法華経の題目を・となへまいらせて・まいらせ候。

  十一月二日                     日蓮花押

   妙心尼御前御返事

窪尼御前御返事

                  弘安二年十二月 五十八歳御作

十字五十まい・くしがき一れん・あめをけ一・送り給い了んぬ、御心ざしさきざきかきつくして・ふでもつひ・ゆびもたたぬ、三千大千世界に七日ふる雨のかずは・かずへつくしてん、十方世界の大地のちりは知る人もありなん、法華経の一字供養の功徳は知りがたしとこそ仏は・とかせ給いて候へ、此れをもつて御心へあるべし、恐恐謹言。

  十二月二十七日                   日蓮花押

   くぼの尼御前御返事

妙心尼御前御返事

                    弘安三年五月 五十九歳御作

すずのもの給いて候、たうじはのう時にて人のいとまなき時・かやうに・くさぐさのものども・をくり給いて候事いかにとも申すばかりなく候、これもひとへに故入道殿の御わかれの・しのびがたきに後世の御ためにてこそ候らんめ、ねんごろにごせをとぶらはせ給い候へば・いくそばく・うれしくおはしますらん、とふ人もなき草むら