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日蓮大聖人・池田大作

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曾谷入道殿許御書  (7/14) 譬えば七子の父母平等ならざるに非ず然も病者…
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爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字・名・体・宗・用・教の五重玄なり、例せば九苞淵が相馬の法には玄黄を略して駿逸を取り史陶林が講経の法には細科を捨て元意を取るが如し等、此の四大菩薩は釈尊成道の始、寂滅道場の砌にも来らず如来入滅の終りに抜提河の辺にも至らずしかのみならず霊山八年の間に進んでは迹門序正の儀式に文殊・弥勒等の発起影向の諸聖衆にも列ならず、退いては本門流通の座席に観音・妙音等の発誓弘経の諸大士にも交わらず、但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後・仏の滅後正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず、所詮・仏専ら末法の時に限つて此等の大士に付属せし故なり、法華経の分別功徳品に云く「悪世末法の時能く是の経を持つ者」云云、涅槃経に云く「譬えば七子の父母平等ならざるに非ず然も病者に於て心則ち偏に重きが如し」云云、法華経の薬王品に云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」云云、七子の中に上の六子は且らく之を置く第七の病子は一闡提の人・五逆謗法の者・末代悪世の日本国の一切衆生なり、正法一千年の前五百年には一切の声聞涅槃し了んぬ、後の五百年には他方来の菩薩・大体本土に還り向い了んぬ、像法に入つての一千年には文殊・観音・薬王・弥勒等・南岳・天台と誕生し傅大士・行基・伝教等と示現して衆生を利益す。

今末法に入つて此等の諸大士も皆本処に隠居しぬ、其の外・閻浮守護の天神・地祗も或は他方に去り或は此の土に住すれども悪国を守護せず或は法味を嘗めざれば守護の力無し、例せば法身の大士に非ざれば三悪道に入られざるが如し大苦忍び難きが故なり、而るに地涌千界の大菩薩・一には娑婆世界に住すること多塵劫なり二には釈尊に随つて久遠より已来初発心の弟子なり三には娑婆世界の衆生の最初下種の菩薩なり、是くの如き等の宿縁の方便・諸大菩薩に超過せり。


問うて曰く其の証拠如何、法華第五涌出品に云く「爾の時に他方の国土より諸の来れる菩薩摩訶薩の八恒河沙の数に過ぎたる乃至爾の時に仏諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく止みね善男子・汝等が此の経を護持せんことを須いじ」等云云、天台云く「他方は此の土結縁の事浅し宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無し」云云、妙楽云く「尚偏に他方の菩薩に付せず豈独り身子のみならんや」云云、又云く「告八万大士とは乃至今の下の文に下方を召すが如く尚本眷属を待つ験し余は未だ堪えざることを」云云、経釈の心は迦葉・舎利弗等の一切の声聞・文殊・薬王・観音・弥勒等の迹化・他方の諸大士は末世の弘経に堪えずと云うなり、経に云く「我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り一一の菩薩に各六万恒河沙の眷属有り是の諸人等能く我が滅後に於て護持し読誦し広く此の経を説かん、仏是を説きたもう時・娑婆世界の三千大千の国土・地皆震裂して其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩有り同時に涌出せり、乃至是の菩薩衆の中に四たり導師有り一をば上行と名け二をば無辺行と名け三をば浄行と名け四をば安立行と名く其の衆の中に於て最も為上首唱導の師なり」等云云、天台云く「是れ我が弟子応に我が法を弘むべし」云云、妙楽云く「子父の法を弘む」云云道暹云く「付属とは此の経は唯下方涌出の菩薩に付す何が故に爾る法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云、此等の大菩薩末法の衆生を利益したもうこと猶魚の水に練れ鳥の天に自在なるが如し、濁悪の衆生此の大士に遇つて仏種を殖うること例せば水精の月に向つて水を生じ孔雀の雷の声を聞いて懐妊するが如し、天台云く「猶百川の海に潮すべきが如し縁に牽れて応生するも亦復是くの如し」云云。

慧日大聖尊仏眼を以て兼ねて之を鑒みたもう故に諸の大聖を捨棄し此の四聖を召し出して要法を伝え末法の弘通を定むるなり、問うて曰く要法の経文如何、答えて曰く口伝を以て之を伝えん釈尊然後正像二千年の衆生の為に宝塔より出でて虚空に住立し右の手を以て文殊・観音・梵帝・日月・四天等の頂を摩でて是くの如く三反して法


華経の要よりの外の広・略二門並びに前後の一代の一切経を此等の大士に付属す正像二千年の機の為なり、其の後涅槃経の会に至つて重ねて法華経並びに前四味の諸経を説いて文殊等の諸大菩薩に授与したもう、此等は捃拾の遺属なり。

爰を以て滅後の弘経に於ても仏の所属に随つて弘法の限り有り然れば則ち迦葉・阿難等は一向に小乗経を弘通して大乗経を申べず、竜樹・無著等は権大乗経を申べて一乗経を弘通せず、設い之を申べしかども纔かに以て之を指示し或は迹門の一分のみ之を宣べて全く化道の始終を談ぜず、南岳・天台等は観音・薬王等の化身と為て小大・権実・迹本二門・化道の始終・師弟の遠近等悉く之を宣べ其の上に已今当の三説を立てて一代超過の由を判ぜること天竺の諸論にも勝れ真丹の衆釈にも過ぎたり旧訳・新訳の三蔵も宛かも此の師には及ばず、顕密二道の元祖も敵対に非ず、然りと雖も広略を以て本と為して未だ肝要に能わず・自身之を存すと雖も敢て他伝に及ばず・此れ偏に付属を重んぜしが故なり、伝教大師は仏の滅後一千八百年像法の末に相当つて日本国に生れて小乗大乗一乗の諸戒一一に之を分別し梵網・瓔珞の別受戒を以て小乗の二百五十戒を破失し又法華普賢の円頓の大王の戒を以て諸大乗経の臣民の戒を責め下す、此の大戒は霊山八年を除いて一閻浮提の内に未だ有らざる所の大戒場を叡山に建立す、然る間八宗共に偏執を倒し一国を挙げて弟子と為る、観勒の流の三論・成実・道昭の渡せる法相・倶舎・良弁の伝うる所の華厳宗・鑒真和尚の渡す所の律宗・弘法大師の門弟等誰か円頓の大戒を持たざらん此の義に違背するは逆路の人なり、此の戒を信仰するは伝教大師の門徒なり日本一州・円機純一・朝野遠近・同帰一乗とは是の謂か、此の外は漢土の三論宗の吉蔵大師並びに一百余人・法相宗の慈恩大師・華厳宗の法蔵・澄観・真言宗の善無畏・金剛智・不空・慧果・日本の弘法・慈覚等の三蔵の諸師は四依の大士に非ざる暗師なり愚人なり、経に於ては大小・権実の旨を弁えず顕・密両道の趣を知らず論に於ては通申と別申とを糾さず申と不申とを暁めず、然りと雖も彼の