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日蓮大聖人・池田大作

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刑部左衛門尉女房御返事  (3/4) 胸にかきつけ懐きかかへて三箇年が間慇懃に養…
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ば五体やすからず、かくの如くして産も既に近づきて腰はやぶれて・きれぬべく眼はぬけて天に昇るかとをぼゆ、かかる敵をうみ落しなば大地にも・ふみつけ腹をもさきて捨つべきぞかし、さはなくして我が苦を忍びて急ぎいだきあげて血をねぶり不浄をすすぎて胸にかきつけ懐きかかへて三箇年が間慇懃に養ふ、母の乳をのむ事・一百八十斛三升五合なり、此乳のあたひは一合なりとも三千大千世界にかへぬべし、されば乳一升のあたひを撿へて候へば米に当れば一万一千八百五十斛五升・稲には二万一千七百束に余り・布には三千三百七十段なり、何に況や一百八十斛三升五合のあたひをや、他人の物は銭の一文・米一合なりとも盗みぬればろうのすもりとなり候ぞかし、而るを親は十人の子をば養へども子は一人の母を養ふことなし、あたたかなる夫をば懐きて臥せどもこごへたる母の足をあたたむる女房はなし、給孤独園の金鳥は子の為に火に入り・憍尸迦夫人は夫の為に父を殺す、仏の云く父母は常に子を念へども子は父母を念はず等云云、影現王の云く父は子を念ふといえども子は父を念はず等是れなり、設ひ又今生には父母に孝養をいたす様なれども後生のゆくへまで問う人はなし母の生てをはせしには心には思はねども一月に一度・一年に一度は問いしかども・死し給いてより後は初七日より二七日乃至第三年までは人目の事なれば形の如く問い訪ひ候へども、十三年・四千余日が間の程は・かきたえ問う人はなし、生てをはせし時は一日片時のわかれをば千万日とこそ思はれしかども十三年四千余日の程はつやつやをとづれなし如何にきかまほしくましますらん夫外典の孝経には唯今生の孝のみををしへて後生のゆくへをしらず身の病をいやして心の歎きをやめざるが如し内典五千余巻には人天二乗の道に入れていまだ仏道へ引導する事なし。

夫目連尊者の父をば吉占師子・母をば青提女と申せしなり、母死して後餓鬼道に堕ちたり、しかれども凡夫の間は知る事なし、証果の二乗となりて天眼を開きて見しかば母餓鬼道に堕ちたりき、あらあさましやといふ計りもなし、餓鬼道に行きて飯をまいらせしかば纔に口に入るかと見えしが飯変じて炎となり・口はかなへの如く飯


は炭をおこせるが如し、身は灯炬の如くもえあがりしかば神通を現じて水を出だして消す処に・水変じて炎となり弥火炎のごとくもゑあがる、目連自力には叶はざる間・仏の御前に走り参り申してありしかば、十方の聖僧を供養し其の生飯を取りて纔に母の餓鬼道の苦をば救い給へる計りなり・釈迦仏は御誕生の後・七日と申せしに母の摩耶夫人にをくれまいらせましましき、凡夫にてわたらせ給へば母の生処を知しめすことなし、三十の御年に仏にならせ給いて父浄飯王を現身に教化して証果の羅漢となし給ふ、母の御ためには忉利天に昇り給いて摩耶経を説き給いて父母を阿羅漢となしまいらせ給いぬ、此れ等をば爾前の経経の人人は孝養の二乗・孝養の仏とこそ思い候へども、立ち還つて見候へば不孝の声聞・不孝の仏なり、目連尊者程の聖人が母を成仏の道に入れ給はず、釈迦仏程の大聖の父母を二乗の道に入れ奉りて永不成仏の歎きを深くなさせまいらせ給いしをば、孝養とや申すべき不孝とや云うべき、而るに浄名居士・目連を毀て云く六師外道が弟子なり等云云、仏自身を責めて云く我則ち慳貪に堕ちなん此の事は為めて不可なり等云云、然らば目連は知らざれば科浅くもやあるらん、仏は法華経を知ろしめしながら生てをはする父に惜み・死してまします母に再び値い奉りて説かせ給はざりしかば大慳貪の人をば・これより外に尋ぬべからず。

つらつら事の心を案ずるに仏は二百五十戒をも破り十重禁戒をも犯し給う者なり、仏・法華経を説かせ給はずば十方の一切衆生を不孝に堕し給ふ大科まぬかれがたし、故に天台大師此の事を宣べて云く「過則ち仏に属す」云云、有人云く是れ十方三世の御本誓に違背し衆生を欺誑すること有るなり等云云、夫四十余年の大小・顕密の一切経並に真言・華厳・三論・法相・倶舎・成実・律・浄土・禅宗等の仏・菩薩・二乗・梵釈・日月及び元祖等は法華経に随ふ事なくば何なる孝養をなすとも我則堕慳貪の科脱るべからず、故に仏本願に趣いて法華経を説き給いき、而るに法華経の御座には父母ましまさざりしかば親の生れてまします方便土と申す国へ贈り給て候なり、其の御言


に云く「而かも彼の土に於いて仏の智慧を求めて是の経を聞くことを得ん」等云云、此の経文は智者ならん人人は心をとどむべし、教主釈尊の父母の御ために説かせ給いて候経文なり、此の法門は唯天台大師と申せし人計りこそ知りてをはし候ひけれ、其の外の諸宗の人人知らざる事なり、日蓮が心中に第一と思ふ法門なり。

父母に御孝養の意あらん人人は法華経を贈り給べし、教主釈尊の父母の御孝養には法華経を贈り給いて候、日蓮が母存生しておはせしに仰せ候し事をも・あまりにそむきまいらせて候しかば、今をくれまいらせて候が・あながちにくやしく覚へて候へば、一代聖教を撿へて母の孝養を仕らんと存じ候間、母の御訪い申させ給う人人をば我が身の様に思ひまいらせ候へば、あまりにうれしく思ひまいらせ候間あらあら・かきつけて申し候なり、定めて過去聖霊も忽に六道の垢穢を離れて霊山浄土へ御参り候らん、此の法門を知識に値わせ給いて度度きかせ給うべし、日本国に知る人すくなき法門にて候ぞ、くはしくは又又申すべく候、恐恐謹言

  十月二十一日                    日蓮花押

   尾張刑部左衛門尉殿女房御返事

舂麦御書

女房の御参詣こそゆめとも・うつつとも・ありがたく候しか、心ざしいちのはせ申す、当時の御いもふゆのたかうなのごとしあになつのゆきにことならむ。舂麦一俵・芋一籠・笋二丸給い畢んぬ。

  五月廿八日