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日蓮大聖人・池田大作

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上野殿母御前御返事  (3/5) をさなき心なれども賢き父の跡をおひ御年いま…
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すなり、正直捨方便と申す文の心是なり、足代より塔は出来して候へども塔を捨てて・足代ををがむ人なし、今の世の道心者等・一向に南無阿弥陀仏と唱えて一生をすごし・南無妙法蓮華経と一返も唱へぬ人人は大塔をすてて足代ををがむ人人なり、世間にかしこく・はかなき人と申すは是なり。

故七郎五郎殿は当世の日本国の人人には・にさせ給はず、をさなき心なれども賢き父の跡をおひ御年いまだ・はたちにも及ばぬ人が、南無妙法蓮華経と唱えさせ給いて仏にならせ給いぬ・無一不成仏は是なり、乞い願わくは悲母我が子を恋しく思食し給いなば南無妙法蓮華経と唱えさせ給いて・故南条殿・故五郎殿と一所に生れんと願はせ給へ、一つ種は一つ種・別の種は別の種・同じ妙法蓮華経の種を心に・はらませ給いなば・同じ妙法蓮華経の国へ生れさせ給うべし、三人面をならべさせ給はん時・御悦びいかが・うれしくおぼしめすべきや。

抑此の法華経を開いて拝見仕り候へば「如来則ち為に衣を以て之を覆いたもう又他方現在の諸仏の護念する所と為らん」等云云、経文の心は東西南北・八方・並びに三千大千世界の外・四百万億那由佗の国土に十方の諸仏ぞくぞくと充満せさせ給う、天には星の如く・地には稲麻のやうに並居させ給ひ、法華経の行者を守護せさせ給ふ事、譬えば大王の太子を諸の臣下の守護するが如し、但四天王・一類のまほり給はん事の・かたじけなく候に、一切の四天王・一切の星宿・一切の日月・帝釈・梵天等の守護せさせ給うに足るべき事なり、其の上・一切の二乗・一切の菩薩・兜率内院の弥勒菩薩・迦羅陀山の地蔵・補陀落山の観世音・清凉山の文殊師利菩薩等・各各眷属を具足して法華経の行者を守護せさせ給うに足るべき事に候に・又かたじけなくも釈迦・多宝・十方の諸仏のてづからみづから来り給いて・昼夜十二時に守らせ給はん事のかたじけなさ申す計りなし。

かかるめでたき御経を故五郎殿は御信用ありて仏にならせ給いて・今日は四十九日にならせ給へば・一切の諸仏・霊山浄土に集まらせ給いて・或は手にすへ・或は頂をなで・或はいだき・或は悦び・月の始めて出でたるが如く・


花の始めてさけるが如く・いかに愛しまいらせ給うらん、抑いかなれば三世・十方の諸仏はあながちに此の法華経をば守らせ給ふと勘へて候へば・道理にて候けるぞ・法華経と申すは三世十方の諸仏の父母なり・めのとなり・主にてましましけるぞや、かえると申す虫は母の音を食とす・母の声を聞かざれば生長する事なし、からぐらと申す虫は風を食とす・風吹かざれば生長せず、魚は水をたのみ・鳥は木をすみかとす・仏も亦かくの如く法華経を命とし・食とし・すみかとし給うなり、魚は水にすむ・仏は此の経にすみ給う・鳥は木にすむ・仏は此の経にすみ給う・月は水にやどる・仏は此の経にやどり給う、此の経なき国には仏まします事なしと御心得あるべく候。

古昔輪陀王と申せし王をはしき南閻浮提の主なり、此の王はなにをか供御とし給いしと尋ぬれば・白鳥のいななくを聞いて食とし給う、此の王は白馬のいななけば年も若くなり・色も盛んに・魂もいさぎよく・力もつよく・又政事も明らかなり、故に其の国には白馬を多くあつめ飼いしなり、譬えば魏王と申せし王の鶴を多くあつめ・徳宗皇帝のほたるを愛せしが如し、白馬のいななく事は又白鳥の鳴きし故なり、されば又白鳥を多く集めしなり、或時如何しけん白鳥皆うせて・白馬いななかざりしかば、大王供御たえて盛んなる花の露にしほれしが如く・満月の雲におほはれたるが如し、此の王既にかくれさせ給はんとせしかば、后・太子・大臣・一国・皆母に別れたる子の如く・皆色をうしなひて涙を袖におびたり・如何せん・如何せん、其の国に外道多し・当時の禅宗・念仏者・真言師・律僧等の如し、又仏の弟子も有り・当時の法華宗の人人の如し、中悪き事・水火なり・胡と越とに似たり、大王勅宣を下して云く、一切の外道・此の馬をいななかせば仏教を失いて一向に外道を信ぜん事・諸天の帝釈を敬うが如くならん、仏弟子此の馬を・いななかせば一切の外道の頸を切り其の所をうばひ取りて仏弟子につくべしと云云、外道も色をうしなひ・仏弟子も歎きあへり、而れども・さてはつべき事ならねば外道は先に七日を行ひき、白鳥も来らず・白馬もいななかず、後七日を仏弟子に渡して祈らせしに・馬鳴と申す小僧一人あり、諸仏の御本尊とし給


う法華経を以て七日祈りしかば・白鳥壇上に飛び来る、此の鳥一声鳴きしかば・一馬・一声いななく、大王は馬の声を聞いて病の牀よりをき給う、后より始めて諸人・馬鳴に向いて礼拝をなす、白鳥・一・二・三乃至・十・百・千・出来して国中に充満せり、白馬しきりに・いななき一馬・二馬・乃至百・千の白馬いななきしかば・大王此の音を聞こし食し面貌は三十計り・心は日の如く明らかに政正直なりしかば、天より甘露ふり下り、勅風・万民をなびかして無量・百歳代を治め給いき。

仏も又かくの如く多宝仏と申す仏は此の経にあひ給はざれば御入滅・此の経をよむ代には出現し給う、釈迦仏・十方の諸仏も亦復かくの如し、かかる不思議の徳まします経なれば・此の経を持つ人をば・いかでか天照太神・八幡大菩薩・富士千眼大菩薩すてさせ給うべきと・たのもしき事なり、又此の経にあだをなす国をば・いかに正直に祈り候へども・必ず其の国に七難起りて他国に破られて亡国となり候事・大海の中の大船の大風に値うが如く・大旱魃の草木を枯らすが如しと・をぼしめせ、当時・日本国のいかなる・いのり候とも・日蓮が一門・法華経の行者をあなづらせ給へば・さまざまの御いのり叶はずして大蒙古国にせめられて・すでに・ほろびんとするが如し、今も御覧ぜよ・ただかくては候まじきぞ・是れ皆法華経をあだませ給う故と御信用あるべし。

抑故五郎殿かくれ給いて既に四十九日なり、無常はつねの習いなれども此の事うち聞く人すら猶忍びがたし、況や母となり妻となる人をや・心の中をしはかられて候、人の子には幼きもあり・長きもあり・みにくきもあり・かたわなるもある物をすら思いに・なるべかりけるにや、をのこごたる上よろづに・たらひなさけあり、故上野殿には壮なりし時をくれて歎き浅からざりしに・此の子を懐姙せずば火にも入り水にも入らんと思いしに・此の子すでに平安なりしかば・誰にあつらへて身をも・なぐべきと思うて、此に心をなぐさめて此の十四五年はすぎぬ、いかに・いかにと・すべき、二人のをのこごにこそ・になわれめと・たのもしく思ひ候いつるに・今年九月五日・月を雲