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日蓮大聖人・池田大作

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十字御書  (1/2) 抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へ…
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を、又かの悪法の者どもを御帰依有るゆへに一国には主なければ・梵釈・日月・四天の御計いとして他国にをほせつけて・をどして御らむあり、又法華経の行者をつかわして御いさめあるを・あやめずして・彼の法師等に心をあわせて世間出世の政道をやぶり、法にすぎて法華経の御かたきにならせ給う、すでに時すぎぬれば此の国やぶれなんとす。

やくびやうはすでにいくさにせんふせわまたしるしなり、あさまし・あさまし。

  二月二十三日                    日蓮花押

   みさわどの

十字御書

十字一百まい・かしひとこ給い了んぬ、正月の一日は日のはじめ月の始めとしのはじめ春の始め・此れをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく・日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく・とくもまさり人にもあいせられ候なり。

抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば・或は地の下と申す経文もあり・或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候、さもやをぼへ候事は我等が心の内に父をあなづり母ををろかにする人は地獄其の人の心の内に候、譬へば蓮のたねの中に花と菓とのみゆるがごとし、仏と申す事も我等の心の内にをはします・譬へば石の中に火あり珠の中に財のあるがごとし、我等凡夫はまつげのちかきと虚空のとをきとは見候事なし、我等が心の内に仏はをはしましけるを知り候はざりけるぞ、ただし疑ある


事は我等は父母の精血変じて人となりて候へば三毒の根本婬欲の源なり、いかでか仏はわたらせ給うべきと疑い候へども・又うちかへし・うちかへし案じ候へば其のゆわれもやとをぼへ候、蓮はきよきもの泥よりいでたり、せんだんはかうばしき物大地よりをいたり、さくらはをもしろき物・木の中よりさきいづ、やうきひは見めよきもの下女のはらよりむまれたり、月は山よりいでて山をてらす、わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる。

今正月の始に法華経をくやうしまいらせんと・をぼしめす御心は・木より花のさき・池より蓮のつぼみ・雪山のせんだんのひらけ・月の始めて出るなるべし、今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし、影は体より生ずるもの・法華経をかたきとする人の国は体に・かげのそうがごとく・わざわい来るべし、法華経を信ずる人は・せんだんに・かをばしさのそなえたるがごとし、又又申し候べし。

  正月五日                      日蓮在御判

   をもんすどのの女房御返事


南条兵衛七郎殿御書

                    文永元年十二月 四十三歳御作

                    与 南条兵衛七郎

御所労の由承り候はまことにてや候らん、世間の定なき事は病なき人も留りがたき事に候へば・まして病あらん人は申すにおよばず・但心あらん人は後世をこそ思いさだむべきにて候へ、又後世を思い定めん事は私にはかなひがたく候、一切衆生の本師にてまします釈尊の教こそ本にはなり候べけれ。

しかるに仏の教へ又まちまちなり人の心の不定なる故か。

しかれども釈尊の説教・五十年にはすぎず、さき四十余年の間の法門に華厳経には心仏及衆生・是三無差別・阿含経には苦・空・無常・無我・大集経には染浄融通・大品経には混同無二・雙観経・観経・阿弥陀経等には往生極楽、此等の説教は皆正法・像法・末法の一切衆生をすくはんがためにこそとかれはべりけんめ、しかれども仏いかんがおぼしけん・無量義経に「方便の力を以て四十余年には未だ真実を顕さず」と説かれて・先四十余年の往生極楽等の一切経は親の先判のごとく・くひかへされて「無量無辺不可思議阿僧祗劫を過ぐるとも終に無上菩提を成ずることを得ず」といゐきらせ給いて・法華経の方便品に重ねて「正直に方便を捨て但無上の道を説く」と説かせ給へり、方便をすてよととかれてはべるは四十余年の念仏等をすてよととかれて候、かうたしかにくひかへして実義を定むるには「世尊の法は久くして後要当に真実を説くべし」といひ「久しく斯の要を黙して務いで速かに説かず」等と定められしかば、多宝仏は大地よりわきいでさせ給いてこの事真実なりと証誠をくわへ、十方の諸仏は八方にあつまりて広長舌相を大梵天宮につけさせ給ふ、二処・三会・二界・八番の衆生一人もなくこれをみ候いき、此等の文をみ候に仏教を信ぜぬ悪人・外道はさておき候いぬ、仏教の中に入り候ても爾前・権教・念仏等を厚く信じて十遍・百遍・千遍・一万・乃至・六万等を一日にはげみて・十年・二十年のあひだにも南無妙法蓮華経と一遍だにも