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日蓮大聖人・池田大作

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大夫志殿御返事 
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大夫志殿御返事

                    弘安四年十二月 六十歳御作

聖人一つつ味文字一をけ生和布一こ・聖人と味文字は・さてをき候いぬ生和布は始めてにて候、将又病の由聞かせ給いて不日に此の物して御使をもつて脚力につかわされて候事心ざし大海よりふかく善根は大地よりも厚し、かうじんかうじん、恐恐。

  十二月十一日                    日蓮花押

   大夫志殿御返事

八幡宮造営事

                    弘安四年五月 六十歳御作

此の法門申し候事すでに廿九年なり、日日の論義・月月の難・両度の流罪に身つかれ心いたみ候いし故にや此の七八年間が間・年年に衰病をこり候いつれどもなのめにて候いつるが、今年は正月より其の気分出来して既に一期をわりになりぬべし、其の上齢既に六十にみちぬ、たとひ十に一・今年はすぎ候とも一二をばいかでか・すぎ候べき、忠言は耳に逆い良薬は口に苦しとは先賢の言なりやせ病の者は命をきらう佞人は諫を用いずと申すなり、此の程は上下の人人の御返事申す事なし心も・ものうく手も・たゆき故なり、しかりと申せども此の事大事なれば苦を忍んで申すものうしと・おぼすらん一篇きこしめすべし、村上天皇の前中書王の書を投げ給いしがごとく・なることなかれ。


さては八幡宮の御造営につきて一定さむそうや有らんずらむと疑いまいらせ候なり、をやと云ひ我が身と申し二代が間きみに・めしつかはれ奉りてあくまで御恩のみなり、設一事相違すとも・なむのあらみかあるべき、わがみ賢人ならば設上より・つかまつるべきよし仰せ下さるるとも一往はなに事につけても辞退すべき事ぞかし、幸に讒臣等がことを左右によせば悦んでこそあるべきに望まるる事一の失なり、此れはさてをきぬ五戒を先生に持ちて今生に人身を得たり、されば云うに甲斐なき者なれども国主等謂なく失にあつれば守護の天いかりをなし給う況や命をうばわるる事は天の放ち給うなり、いわうや日本国・四十五億八万九千六百五十九人の男女をば四十五億八万九千六百五十九の天まほり給うらん、然るに他国よりせめ来る大難は脱るべしとも見え候はぬは、四十五億八万九千六百五十九人の人人の天にも捨てられ給う上・六欲・四禅・梵釈・日月・四天等にも放たれまいらせ給うにこそ候いぬれ、然るに日本国の国主等・八幡大菩薩をあがめ奉りなばなに事のあるべきと思はるるが、八幡は又自力叶いがたければ宝殿を焼きてかくれさせ給うか、然るに自の大科をば・かへりみず宝殿を造りてまほらせまいらせむと・おもへり。

日本国の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生が釈迦・多宝・十方分身の諸仏地涌と娑婆と他方との諸大士十方世界の梵釈日月四天に捨てられまひらせん分斉の事ならばはづかなる日本国の小神天照太神・八幡大菩薩の力及び給うべしや、其の時八幡宮は・つくりたりとも此の国他国にやぶらればくぼきところにちりたまりひききところに水あつまると、日本国の上一人より下万民にいたるまでさたせむ事は兼て又知れり、八幡大菩薩は本地は阿弥陀ほとけにまします、衛門の大夫は念仏無間地獄と申す阿弥陀仏をば火に入れ水に入れ其の堂をやきはらひ念仏者のくびを切れと申す者なり、かかる者の弟子檀那と成りて候が八幡宮を造りて候へども八幡大菩薩用いさせ給はぬゆへに此の国はせめらるるなりと申さむ時はいかがすべき、然るに天かねて此の事をしろしめすゆへ


に御造営の大ばんしやうを・はづされたるにやあるらむ 神宮寺の事のはづるるも天の御計いか。

其の故は去ぬる文永十一年四月十二日に大風ふきて其の年の他国よりおそひ来るべき前相なり風は是れ天地の使なりまつり事あらければ風あらしと申すは是なり、又今年四月廿八日を迎えて此の風ふき来る、而るに四月廿六日は八幡のむね上と承はる、三日の内の大風は疑なかるべし、蒙古の使者の貴辺が八幡宮を造りて此の風ふきたらむに人わらひさたせざるべしや。

返す返す穏便にして・あだみうらむる気色なくて身をやつし下人をも・ぐせず・よき馬にものらず、のこぎりかなづち手にもちこしにつけて・つねにえめるすがたてにておわすべし、此の事一事もたがへさせ給うならば今生には身をほろぼし後生には悪道に堕ち給うべし、返す返す法華経うらみさせ給う事なかれ、恐恐。

  五月廿六日                     在御判

   大夫志殿

   兵衛志殿