食物三徳御書
かゆへに大国の王は民ををやとし・民は食を天とすとかかれたり、食には三の徳あり、一には命をつぎ・二にはいろをまし・三には力をそう、人に物をほどこせば我が身のたすけとなる、譬へば人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし、悪をつくるものを・やしなへば命をますゆへに気ながし、色をますゆへに眼にひかりあり、力をますゆへに・あしはやく・てきく、かるがゆへに食をあたへたる人・かへりて・いろもなく気もゆわく・力もなきほうをうるなり。
一切経と申すは紙の上に文字をのせたり、譬へば虚空に星月のつらなり・大地に草木の生ぜるがごとし、この文字は釈迦如来の気にも候なり、気と申すは生気なり・この生気に二あり、一には九界。
一定証伏御書
一定と証伏せられ候いしかば・其の後の智人かずをしらず候へども・今に四百歳が間さで候なり、かるがゆへに今に日本国の寺寺・一万余三千余の社社・四十九億九万四千八百二十八人の一切衆生・皆彼の三大師の御弟子となりて法華最第一の経文最第二最第三とをとされて候なり、されども始は失なきやうにて候へども・つゆつもりて大海となり・ちりつもりて大山となる。
初穂御書
石給いて御はつをたるよし、法華経の御宝前へ申し上げて候かしこまり申すよし、けさんに入らさせ給い候へ、恐恐謹言。
十月二十一日日蓮在御判
御所御返事
五大の許御書
□□りげなくなに事もかくの事□不沙汰あるか○す御尋ねあるべし、経は或は前後し或は落経にても候はず。□ものくるわしきとはこれなり法門もかしこきやうにて候へばわるかるべし。
追申
五大のもとへは三伊房も申して候・他所に於いて之を聞かしめ将又事に依り子細有るべきか、伯耆阿闍梨事は但我祖なるやうなるべし、設ひ件の人見参為と雖も其の義を存じて候へ。
一大事御書
あなかちに申させ給へ、日蓮が身のうえの一大事なり、あなかしこあなかしこ。
五月十三日 日蓮在御判
身延相承書 [総付嘱書]
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬午九月 日 日蓮在御判
血脈の次第 日蓮日興
池上相承書 [別付嘱書]
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当たるべきなり、背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり。
弘安五年壬午十月十三日 武州池上
日蓮在御判