Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

上野殿母御前御返事 
1583

上野殿母御前御返事

乃米一だ・聖人一つつ・二十ひさげか・かつかう・ひとかうぶくろおくり給び候い了んぬ。

このところの・やう・せんぜんに申しふり候いぬ、さては去ぬる文永十一年六月十七日この山に入り候いて今年十二月八日にいたるまで此の山・出ずる事一歩も候はずただし八年が間やせやまいと申しとしと申しとしどしに身ゆわく・心をぼれ候いつるほどに、今年は春より此のやまい・をこりて秋すぎ・冬にいたるまで日日にをとろへ・夜夜にまさり候いつるが・この十余日はすでに食も・ほとをととどまりて候上・ゆきはかさなり・かんはせめ候、身のひゆる事石のごとし・胸のつめたき事氷のごとし、しかるに・このさけはたたかに・さしわかして、かつかうを・はたと・くい切りて一度のみて候へば・火を胸に・たくがごとし、ゆに入るににたり、あせに・あかあらい・しづくに足をすすぐ、此の御志は・いかんがせんと・うれしくをもひ候ところに・両眼より・ひとつのなんだを・うかべて候。

まことや・まことや・去年の九月五日こ五郎殿のかくれにしは・いかになりけると・胸うちさわぎて・ゆびををりかずへ候へば・すでに二ケ年十六月四百余日にすぎ候が、それには母なれば御をとづれや候らむ、いかに・きかせ給はぬやらむ、ふりし雪も又ふれり・ちりし花も又さきて候いき、無常ばかり・またも・かへりきこへ候はざりけるか、あらうらめし・あらうらめし余所にても・よきくわんざかな・よきくわんざかな・玉のやうなる男かな男かないくせ・をやのうれしく・をぼすらむと見候いしに、満月に雲のかかれるが・はれずして山へ入り・さかんなる花のあやなく・かぜのちらせるがごとしと・あさましくこそをぼへ候へ。


日蓮は所らうのゆへに人人の御文の御返事も申さず候いつるが・この事は・あまりになげかしく候へば・ふでをとりて候ぞ、これも・よも・ひさしくも・このよに候はじ、一定五郎殿にいきあいぬと・をぼへ候、母よりさきに・けさんし候わば母のなげき申しつたへ候はん、事事又又申すべし、恐恐謹言。

  十二月八日                     日蓮花押

   上野殿母御前御返事

大白牛車御消息

抑法華経の大白牛車と申すは我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり、彼の車をば法華経の譬喩品と申すに懇に説かせ給いて候、但し彼の御経は羅什・存略の故に委しくは説き給はず、天竺の梵品には車の荘り物・其の外・聞信戒定進捨慚の七宝まで委しく説き給ひて候を日蓮あらあら披見に及び候、先ず此の車と申すは縦広五百由旬の車にして金の輪を入れ・銀の棟をあげ・金の繩を以て八方へつり繩をつけ・三十七重のきだはしをば銀を以てみがきたて・八万四千の宝の鈴を車の四面に懸けられたり、三百六十ながれの・くれなひの錦の旛を玉のさほにかけながし、四万二千の欄干には四天王の番をつけ、又車の内には六万九千三百八十余体の仏・菩薩・宝蓮華に坐し給へり、帝釈は諸の眷属を引きつれ給ひて千二百の音楽を奏し、梵王は天蓋を指し懸け・地神は山河・大地を平等に成し給ふ、故に法性の空に自在にとびゆく車をこそ・大白牛車とは申すなれ、我より後に来り給はん人人は此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候、日蓮も同じ車に乗りて御迎いにまかり向ふべく候、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

                            日蓮花押


春初御消息

ははき殿かきて候事・よろこびいりて候。

春の初の御悦び木に花のさくがごとく・山に草の生出ずるがごとしと我も人も悦び入つて候、さては御送り物の日記・八木一俵・白塩一俵・十字三十枚・いも一俵給び候い畢んぬ。

深山の中に白雪・三日の間に庭は一丈につもり・谷はみねとなり・みねは天にはしかけたり、鳥鹿は庵室に入り樵牧は山にさしいらず、衣はうすし・食はたえたり・夜はかんく鳥にことならず、昼は里へいでんとおもふ心ひまなし、すでに読経のこえも・たえ観念の心もうすし、今生退転して未来三五を経ん事をなげき候いつるところに・此の御とぶらひに命いきて又もや見参に入り候はんずらんと・うれしく候。

過去の仏は凡夫にて・おはしまし候いし時・五濁乱漫の世にかかる飢えたる法華経の行者をやしなひて・仏にはならせ給うぞとみえて候へば・法華経まことならば此の功徳によりて過去の慈父は成仏疑なし。

故五郎殿も今は霊山浄土にまいりあはせ給いて・故殿に御かうべをなでられさせ給うべしと・おもひやり候へば涙かきあへられず、恐恐謹言。

  正月二十日                    日蓮花押

   上野殿御返事

   申す事恐れ入つて候、返返ははき殿一一によみきかせまいらせ候へ。