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日蓮大聖人・池田大作

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一念三千理事  (1/4) 業に二有り一には牽引の業なり我等が正く生を…
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一念三千理事

                  正嘉二年 三十七歳御作

十二因縁図、問う流転の十二因縁とは何等ぞや答う一には無明・倶舎に云く「宿惑の位は無明なり」文、無明とは昔愛欲の煩悩起りしを云うなり、男は父に瞋を成して母に愛を起す、女は母に瞋を成して父に愛を起すなり倶舎の第九に見えたり、二には行・倶舎に云く「宿の諸業を行と名く」と文、昔の造業を行とは云うなり業に二有り一には牽引の業なり我等が正く生を受く可き業を云うなり、二には円満の業なり余の一切の造業なり所謂足を折り手を切る先業を云うなり是は円満の業なり、三には識・倶舎に云く「識とは正く生を結する蘊なり」文、正く母の腹の中に入る時の五蘊なり、五蘊とは色・受・想・行・識なり亦五陰とも云うなり、四には名色・倶舎に云く「六処の前は名色なり」文、五には六処・倶舎に云く「眼等の根を生ずるより三和の前は六処なり」文、六処とは眼・耳・鼻・舌・身・意の六根・出来するを云うなり、六には触・倶舎に云く「三受の因の異なるに於て未だ了知せざるを触と名く」文、火は熱しとも知らず水は寒しとも知らず刀は人を切る物とも知らざる時なり、七には受・倶舎に云く「婬愛の前に在るは受なり」文、寒熱を知つて未だ婬欲を発さざる時なり、八には愛・倶舎に云く「資具と婬とを貪るは愛なり」文、女人を愛して婬欲等を発すを云うなり、九には取・倶舎に云く「諸の境界を得んが為に徧く馳求するを取と名く」文、今世に有る時・世間を営みて他人の物を貪り取る時を云うなり、十には有・倶舎に云く「有は謂く正しく能く当有の果を牽く業を造る」文、未来又此くの如く生を受く可き業を造るを有とは云うなり、十一には生・倶舎に云く「当の有を結するを生と名く」文、未来に正く生を受けて母の腹に入る時を云うなり、十二には老死・倶舎に云く「当の受に至るまでは老死なり」文、生老死を受くるを老死憂悲苦悩とは云うなり。


問う十二因縁を三世両重に分別する方如何、答う無明と行とは過去の二因なり識と名色と六入と触と受とは現在の五果なり愛と取と有とは現在の三因なり生と老死とは未来の両果なり、私の略頌に云く過去の二因無明行現在の五果識名色六入触受現在の三因愛取有未来の両果生老死と、問う十二因縁流転の次第如何、答う無明は行に縁たり行は識に縁たり識は名色に縁たり名色は六入に縁たり六入は触に縁たり触は受に縁たり受は愛に縁たり愛は取に縁たり取は有に縁たり有は生に縁たり生は老死憂悲苦悩に縁たり是れ其の生死海に流転する方なり此くの如くして凡夫とは成るなり、問う還滅の十二因縁の様如何答う無明滅すれば則ち行滅す行滅すれば則ち識滅す識滅すれば則ち名色滅す名色滅すれば則ち六入滅す六入滅すれば則ち触滅す触滅すれば則ち受滅す受滅すれば則ち愛滅す愛滅すれば則ち取滅す取滅すれば則ち有滅す有滅すれば則ち生滅す生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す、是れ其の還滅の様なり仏は還つて煩悩を失つて行く方なり私に云く中有の人には十二因縁具に之無し又天上にも具には之無く又無色界にも具には之無し。一念三千理事 十如是とは如是相は身なり玄二に云く相以て外に拠る覧て別つ可し文籤六に云く相は唯色に在り文、如是性は心なり玄二に云く性以て内に拠る自分改めず文籤六に云く性は唯心に在り文、如是体は身と心となり玄二に云く主質を名けて体となす文、如是力は身と心となり止に云く力は堪忍を用となす文如是作は身と心となり止に云く建立を作と名く文、如是因は心なり止に云く因とは果を招くを因と為す亦名けて業となす文、如是縁止に云く縁は縁業を助くるに由る文、如是果止に云く果は剋獲を果と為す文、如是報止に云く報は酬因を報と曰う文、如是本末究竟等玄二に云く初めの相を本と為し後ちの報を末と為す文、三種世間とは五陰世間止に云く十種陰果不同を以ての故に五陰世間と名くるなり文、衆生世間止に云く十界の衆生寧ろ異らざるを得る故に衆生世間と名くるなり文、国土世間止に云く十種の所居通じて国土世間と称す文、五陰とは新訳には五蘊と云うなり陰とは聚集の義なり一に色陰・五色是なり・二に受陰・領納是なり・三に想陰・倶舎に云く想は像を取るを体と為すと文・四に行陰・造作是行なり・五に識陰・了別是れ識なり・止の五に婆沙を引いて云く識・先ず了別し・次に受は領納し・相は相貌を取り・行は違従を起し・色は行に由つて感ずと。


百界千如三千世間の事、十界互具即百界と成るなり、地獄衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是地下赤鉄、餓鬼衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是地下・畜生衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是水陸空修羅衆生世間十如是・五陰世間十如是国土世間十如是海畔底、人衆生世間十如是、五陰世間十如是・国土世間十如是須弥四州、天衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是宮殿声聞衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是同居土、縁覚衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是同居土、菩薩衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是同居方便実報、仏衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是寂光土

止観の五に云く「心縁と合すれば則ち三種世間・三千の性相皆心より起る」文、弘の五に云く「故に止観に正しく観法を明すに至つて並びに三千を以て指南と為す、乃ち是れ終窮究竟の極説なり故に序の中に説己心中所行の法門と云う良に以有るなり、請う尋ねて読まん者心に異縁無かれ」文、又云く「妙境の一念三千を明さずんば如何ぞ一に一切を摂ることを識る可けん、三千は一念の無明を出でず是の故に唯苦因苦果のみ有り」文、又云く「一切の諸業十界百界千如三千世間を出でざるなり」文、籤の二に云く「仮は即ち衆生実は即ち五陰及び国土即ち三世間なり千の法は皆三なり故に三千有り」文、弘の五に云く「一念の心に於て十界に約せざれば事を収むること徧からず三諦に約せざれば理を摂ること周からず十如を語らざれば因果備わらず三世間無んば依正尽きず」文、記の一に云く「若三千に非ざれば摂ること徧からず若し円心に非ざれば三千を摂せず」文、玄の二に云く「但衆生法は太だ広く仏法は太だ高し初学に於て難と為し心は則ち易しと為す」文、弘の五に云く「初に華厳を引くことは心の工なる画師の如く種種の五陰を造る一切世界の中に法として造らざること無し、心の如く仏も亦爾なり仏の如く衆生も然なり心仏及び衆生是の三差別無し若し人三世一切の仏を求め知らんと欲せば当に是くの如く観ずべし心は諸の如来を造る」と、金錍論に云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如・十如は必ず十界・十界は必ず身土なり」