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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻上  (24/43) 即の一字は南無妙法蓮華経なり
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因は種なり縁は昔に帰る義なりもとづくと訓ぜり、大通結縁の下種にもとづくと云う事を因縁と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは過去の因にもとづきたり、爰を以て妙楽大師の云く「故に知んぬ末代一時聞くことを得て聞き已て信を生ず・事須く宿種なるべし」と、宿とは大通の往時なり種とは下種の南無妙法蓮華経なり此の下種にもとずくを因縁と云うなり、本門の意は五百塵点の下種にもとずくべきなり真実妙法の因に縁くを成仏と云うなり。

       化城喩品七箇の大事

第一 化城の事

御義口伝に云く化とは色法なり城とは心法なり、此の色心の二法を無常と説くは権教の心なり法華経の意は無常を常住と説くなり化城即宝処なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は色心妙法と開くを化城即宝処と云うなり、十界皆化城・十界各各宝処なり化城は九界なり宝処は仏界なり、化城を去つて宝処に至ると云うは五百由旬の間なり此の五百由旬とは見思塵沙無明なり、此の煩悩の五百由旬を妙法の五字と開くを化城即宝処と云うなり、化城即宝処とは即の一字は南無妙法蓮華経なり念念の化城念念の宝処なり、我等が色心の二法を無常と説くは権教なり常住と説くは法華経なり無常と執する執情を滅するを即滅化城と云うなり、化城は皮肉・宝処は骨なり色心の二法を妙法と開覚するを化城即宝処の実体と云うなり、実体とは無常常住・倶時相即・随縁不変・一念寂照なり一念とは南無妙法蓮華経・無疑曰信の一念なり即の一字心を留めて之を思う可し云云。

第二 大通智勝仏の事


御義口伝に云く大通は心王なり智勝は心数なり大通は迹門智勝は本門なり大通智勝は我等が一身なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は大通なり題目を唱うるは智勝なり、法華経の行者の智は権宗の大智よりも百千万倍勝れたる所を智勝と心得可きなり、大は色法通は心法なり我等が生死を大通と云うなり、此の生死の身心に振舞う起念を智勝とは云うなり、爰を以て之を思うに南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は大通智勝仏なり十六王子とは我等が心数なり云云。

第三 諸母涕泣の事

御義口伝に云く諸母とは諸は十六人の母と云う事なり、実義には母とは元品の無明なり此の無明より起る惑障を諸母とも云うなり、流転の時は無明の母とつれて出で還滅の時は無明の母を殺すなり、無明の母とは念仏禅真言等の人人なり而随送之とは謗人を指すなり、然りと雖も終に法華経の広宣流布顕れて天下一同に法華経の行者と成る可きなり「随至道場還欲親近」是なり。

第四 其祖転輪聖王の事

御義口伝に云く本地身の仏とは此文を習うなり、祖とは法界の異名なり此れは方便品の相性体の三如是を祖と云うなり、此の三如是より外に転輪聖王之れ無きなり転輪とは生住異滅なり聖王とは心法なり、此の三如是は三世の諸仏の父母なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は三世の諸仏の父母にして其祖転輪聖王なり、金銀銅鉄とは金は生・銀は白骨にして死なり銅は老の相・鉄は病なり此れ即ち開示悟入の四仏知見なり、三世常恒に生死・生死とめぐるを転輪聖王と云うなり、此の転輪聖王出現の時の輪宝とは我等が吐く所の言語音声なり此の音声の輪宝とは南無妙法蓮華経なり爰を以て平等大慧とは云うなり。

第五 十六王子の事


御義口伝に云く十とは十界なり六とは六根なり王とは心王なり子とは心数なり此れ即ち実相の一理の大通の子なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は十六王子なり八方作仏とは我等が八苦の煩悩即菩提と開くなり云云。

第六 即滅化城の事

御義口伝に云く我等が滅する当体は化城なり、此の滅を滅と見れば化城なり不滅の滅と知見するを宝処とは云うなり、是を寿量品にしては而実不滅度とは説くなり、滅と云う見を滅するを滅と云うなり三権即一実の法門之を思う可し、或は即滅化城とは謗法の寺塔を滅する事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は化城即宝処なり我等が居住の山谷曠野皆皆常寂光の宝処なり云云。

第七 皆共至宝処の事

御義口伝に云く皆とは十界なり共とは如我等無異なり至とは極果の住処なり宝処とは霊山なり、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一同に皆共至宝処なり、共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し不共ならば阿鼻大城に堕つ可し云云。

       五百弟子品三箇の大事

第一 衣裏の事

御義口伝に云く此の品には無価の宝珠を衣裏に繋くる事を説くなり、所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一乗妙法の智宝を信受するなり信心を以て衣裏にかくと云うなり。

第二 酔酒而臥の事