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日蓮大聖人・池田大作

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千日尼御前御返事  (2/6) 地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の…
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法わたりて四百年・仏滅後一千四百余年なり、其の中にも法華経はましまししかども人王第三十二代・用明天皇の太子・聖徳太子と申せし人・漢土へ使を・つかわして法華経を・とりよせ・まいらせて日本国に弘通し給いき、それより・このかた七百余年なり、仏滅度後すでに二千二百三十余年になり候上・月氏・漢土・日本の山山・河河・海海・里里・遠くへだたり人人・心心・国国・各各・別別にして語かわり・しなことなれば、いかでか仏法の御心をば我等凡夫は弁え候べき、ただ経経の文字を引き合せてこそ知るべきに・一切経はやうやうに候へども法華経と申す御経は八巻まします・流通に普賢経・序分の無量義経・各一巻已上・此の御経を開き見まいらせ候へば明かなる鏡をもつて我が面を見るが・ごとし、日出でて草木の色を弁えるににたり、序品の無量義経を見みまいらせ候へば「四十余年未だ真実を顕わさず」と申す経文あり、法華経の第一の巻・方便品の始めに「世尊の法は久しき後に要らず当に真実を説きたもうべし」と申す経文あり、第四の巻の宝塔品には「妙法華経・皆是真実」と申す明文あり、第七の巻には「舌相梵天に至る」と申す経文赫赫たり、其の外は此の経より外のさきのちならべる経経をば星に譬へ・江河に譬へ・小王に譬へ・小山に譬へたり、法華経をば月に譬へ・日に譬へ・大海・大山・大王等に譬へ給へり、此の語は私の言には有らず皆如来の金言なり・十方の諸仏の御評定の御言なり、一切の菩薩・二乗・梵天・帝釈・今の天に懸りて明鏡のごとくにまします、日月も見給いき聞き給いき其の日月の御語も此の経にのせられて候、月氏・漢土・日本国のふるき神たちも皆其の座につらなり給いし神神なり、天照太神・八幡大菩薩・熊野・すずか等の日本国の神神もあらそひ給うべからず、此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし、南無阿弥陀仏経等はきじのごとし兎のごとし・鷲につかまれては涙をながし・師子にせめられては腸わたをたつ、念仏者・律僧・禅僧・真言師等又かくのごとし、法華経の行者に値いぬれば・いろを失い魂をけすなり。


かかるいみじき法華経と申す御経は・いかなる法門ぞと申せば、一の巻方便品よりうちはじめて菩薩・二乗・凡夫・皆仏になり給うやうを・とかれて候へどもいまだ其のしるしなし、設えば始めたる客人が相貌うるわしくして心も・いさぎよく・よく口もきいて候へば・いう事疑なけれども・さきも見ぬ人なれば・いまだ・あらわれたる事なければ語のみにては信じがたきぞかし、其の時語にまかせて大なる事・度度あひ候へば・さては後の事も・たのもしなんど申すぞかし、一切信じて信ぜられざりしを第五の巻に即身成仏と申す一経第一の肝心あり、譬へばくろき物を白くなす事・漆を雪となし・不浄を清浄になす事・濁水に如意珠を入れたるがごとし、竜女と申せし小蛇を現身に仏になしてましましき、此の時こそ一切の男子の仏になる事をば疑う者は候はざりしか、されば此の経は女人成仏を手本としてとかれたりと申す、されば日本国に法華経の正義を弘通し始めましませし叡山の根本伝教大師の此の事を釈し給うには「能化所化倶に歴劫無し妙法経力即身成仏す」等、漢土の天台智者大師・法華経の正義をよみはじめ給いしには「他経は但男に記して女に記せず乃至今経は皆記す」等云云、此れは一代聖教の中には法華経第一・法華経の中には女人成仏第一なりと・ことわらせ給うにや、されば日本の一切の女人は法華経より外の一切経には女人成仏せずと嫌うとも・法華経にだにも女人成仏ゆるされなば・なにかくるしかるべき。

しかるに日蓮は・うけがたくして人身をうけ・値いがたくして仏法に値い奉る、一切の仏法の中に法華経に値いまいらせて候、其の恩徳ををもへば父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩なり、父母の恩の中に慈父をば天に譬へ悲母をば大地に譬へたり・いづれも・わけがたし、其の中にも悲母の大恩ことに・ほうじがたし、此れを報ぜんと・をもうに外典の三墳・五典・孝経等によて報ぜんと・をもへば現在を・やしないて後世をたすけがたし、身をやしない魂をたすけず・内典の仏法に入りて五千・七千余巻の小乗・大乗は女人成仏かたければ悲母の恩報じがたし・小乗は女人成仏・一向に許されず、大乗経は或は成仏・或は往生を許たるやうなれども仏の仮言にて実事なし、但法華経


計りこそ女人成仏・悲母の恩を報ずる実の報恩経にて候へと見候いしかば・悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願す、其れに日本国の一切の女人は漢土の善導・日本の慧心・永観・法然等にすかされて詮とすべきに・南無妙法蓮華経をば一国の一切の女人・一人も唱うることなし、但南無阿弥陀仏と一日に一返・十返・百千万億反・乃至三万・十万反・一生が間・昼夜十二時に又他事なし、道心堅固なる女人も又悪人なる女人も弥陀念仏を本とせり、わづかに法華経をこととするやうなる女人も月まつまでのてずさび・をもわしき男のひまに心ならず心ざしなき男にあうがごとし。

されば日本国の一切の女人・法華経の御心に叶うは一人もなし、我が悲母に詮とすべき法華経をば唱えずして弥陀に心をかけば・法華経は本ならねば・たすけ給うべからず、弥陀念仏は女人たすくるの法にあらず必ず地獄に堕ち給うべし、いかんがせんと・なげきし程に我が悲母をたすけんがために・弥陀念仏は無間地獄の業なり・五逆には・あらざれども五逆にすぎたり、父母を殺す人は其の肉身をば・やぶれども父母を後生に無間地獄には入れず、今日本国の女人は必ず法華経にて仏になるべきを・たぼらかして一向に南無阿弥陀仏になしぬ、悪ならざればすかされぬ、仏になる種ならざれば仏にはならず・弥陀念仏の小善をもつて法華経の大善を失う・小善の念仏は大悪の五逆にすぎたり、譬へば承平の将門は関東八箇国をうたへ・天喜の貞任は奥州をうちとどめし・民を王へ通せざりしかば朝敵となりてついにほろぼされぬ、此等は五逆にすぎたる謀反なり。

今日本国の仏法も又かくのごとし色かわれる謀反なり、法華経は大王・大日経・観無量寿経・真言宗・浄土宗・禅宗・律僧等は彼れ彼れの小経によて法華経の大怨敵となりぬるを・日本の一切の女人等は我が心のをろかなるをば知らずして我をたすくる日蓮を・かたきと・をもひて大怨敵たる念仏者・禅・律・真言師等を善知識とあやまてり、たすけんとする日蓮かへりて大怨敵と・をもわるるゆへに・女人こぞりて国主に讒言して伊豆の国へながせし上・