Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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法門申さるべき様の事  (4/8) 総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば始はわす…
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のまつりに火をいみ・あかき物をいむ、不孝の国と申す国をば孝養の人はとをらず、此等の義なるべし、いくたびも選択をばいろへずして先ずかうたつべし。

又御持仏堂にて法門申したりしが面目なんどかかれて候事・かへすがへす不思議にをぼへ候、そのゆへは僧となりぬ其の上一閻浮提にありがたき法門なるべし、設い等覚の菩薩なりとも・なにとかをもうべき、まして梵天・帝釈等は我等が親父・釈迦如来の御所領をあづかりて正法の僧をやしなうべき者につけられて候、毘沙門等は四天下の主此等が門まほり・又四州の王等は毘沙門天が所従なるべし、其の上日本秋津嶋は四州の輪王の所従にも及ばず・但嶋の長なるべし、長なんどにつかへん者どもに召されたり上なんどかく上・面目なんど申すは・旁せんずるところ日蓮をいやしみてかけるか、総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば始はわすれぬやうにて後には天魔つきて物にくるうせう房がごとし、わ御房もそれていになりて天のにくまれかほるな

のぼりていくばくもなきに実名をかうるでう物くるわし、定めてことばつき音なんども京なめりになりたるらん、ねずみがかわほりになりたるやうに・鳥にもあらずねずみにもあらず・田舎法師にもあらず京法師にもにず・せう房がやうになりぬとをぼゆ、言をば但いなかことばにてあるべし・なかなか・あしきやうにて有るなり、尊成とかけるは隠岐の法皇の御実名かかたがた不思議なるべし。

かつ・しられて候やうに当世の高僧・真言・天台等の人人の御いのりは叶うまじきよし、前前に申し候上・今年鎌倉の真言師等は去年より変成男子の法をこなはる、隆弁なんどは自歎する事かぎりなし、七八百余人の真言師・東寺・天台の大法・秘法尽して行ぜしが・ついにむなしくなりぬ、禅宗・律僧等又一同に行いしかどもかなはず、日蓮が叶うまじと申すとて不思議なりなんどをどし候いしかども皆むなしくなりぬ、小事たる今生の御いのりの叶はぬを用つてしるべし・大事たる後生叶うべしや。


真言宗の漢土に弘まる始は天台の一念三千を盗み取つて真言の教相と定めて理の本とし・枝葉たる印真言を宗と立て宗として天台宗を立て下す条・謗法の根源たるか、又華厳・法相・三論も天台宗・日本になかりし時は謗法とも・しられざりしが・伝教大師円宗を勘えいだし給いて後謗法の宗とも・しられたりしなり、当世真言等の七宗の者しかしながら謗法なれば大事のいのり叶うべしとも・をぼへず、天台宗の人人は我が宗は正なれども邪なる他宗と同ずれば我が宗の正をも・しらぬ者なるべし、譬へば東に迷う者は対当の西に迷い東西に迷うゆへに十方に迷うなるべし。

外道の法と申すは本内道より出でて候、而れども外道の法をもつて内道の敵となるなり、諸宗は法華経よりいで天台宗を才学として而も天台宗を失うなるべし、天台宗の人人は我が宗は実義とも知らざるゆへに我が宗のほろび我が身のかろくなるをば・しらずして他宗を助けて我が宗を失うなるべし、法華宗の人が法華経の題目南無妙法蓮華経とはとなえずして南無阿弥陀仏と常に唱えば法華経を失う者なるべし、例せば外道は三宝を立つ其の中に仏宝と申すは南無摩醯修羅天と唱えしかば仏弟子は翻邪の三帰と申して南無釈迦牟尼仏と申せしなり、此れをもつて内外のしるしとす、南無阿弥陀仏とは浄土宗の依経の題目なり、心には法華経の行者と存すとも南無阿弥陀仏と申さば傍輩は念仏者としりぬ、法華経をすてたる人とをもうべし、叡山の三千人は此の旨を弁えずして王法にもすてられ叡山をもほろぼさんとするゆへに・自然に三宝に申す事叶わず等と申し給うべし。

人不審して云く天台・妙楽・伝教等の御釈に我がやうに法華経並びに一切経を心えざらん者は悪道に堕つべしと申す釈やあると申さば、玄の三・籤の三・及び已今当等をいだし給うべし、伝教大師六宗の学者・日本国の十四人を呵して云く「顕戒論の下に云く昔斉朝の光統を聞き今は本朝の六統を見る、実なるかな法華の何況や」等云云、華厳・真言・法相・三論の四宗を呵して云く「依憑集に云く新来の真言家は即ち筆受の相承を泯ぼし、旧到の華厳家


は則ち影響の軌模を隠す。沈空の三論宗は弾訶の屈恥を忘れ称心の酔を覆う、著有の法相宗は僕陽の帰依を非し青竜の判経を撥う」等云云、天台・妙楽・伝教等は真言等の七宗の人人は設い戒定はまつたくとも謗法のゆへに悪道脱るべからずと定められたり、何に況や禅宗・浄土宗等は勿論なるべし、されば止観は偏に達磨をこそはして候めれ、而るに当世の天台宗の人人は諸宗に得道をゆるすのみならず諸宗の行をうばい取つて我が行とする事いかん、当世の人人ことに真言宗を不審せんか立て申すべきやう、日本国は八宗あり真言宗大に分れて二流あり所謂東寺・天台なるべし、法相・三論・華厳・東寺の真言等は大乗宗・設い定慧は大乗なれども東大寺の小乗戒を持つゆへに戒は小乗なるべし、退大取小の者・小乗宗なるべし、叡山の真言宗は天台円頓の戒をうく全真言宗の戒なし、されば天台宗の円頓戒にをちたる真言宗なり等申すべし、而るに座主等の高僧名を天台宗にかりて一向真言宗によて法華宗をさぐるゆへに・叡山皆謗法になりて御いのりにしるしなきか。

問うて云く天台法華宗にたいして真言宗の名をけづらるる証文如何、答えて云く学生式に云く伝教大師作なり「天台法華宗年分学生式一首年分度者の人柏原先帝天台法華宗伝法者に加えらる凡そ法華宗天台の年分は弘仁九年より叡山に住せしめて一十二年山門を出さず両業を修学せしめん、凡そ止観業の者○凡そ遮那業の者」等云云、顕戒論縁起の上に云く「新法華宗を加えんことを請う表一首、沙門最澄○華厳宗に二人天台法華宗に二人」等云云、又云く「天台の業に二人一人大毘盧遮那経を読ましめ一人摩訶止観を読ましむ」此等は天台宗の内に真言宗をば入れて候こそ候めれ、嘉祥元年六月十五日の格に云く「右入唐廻て請益す伝灯法師位円仁の表に偁く、伏して天台宗の本朝に伝わることを尋ぬれば○延暦廿四年○廿五年特天台の年分度者二人を賜う一人は真言の業を習わし一人は止観の業を学す○然れば則ち天台宗の止観と真言との両業は是れ桓武天皇の崇建する所」等云云、叡山にをいては天台宗にたいしては真言宗の名をけづり・天台宗を骨とし真言をば肉となせるか。