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日蓮大聖人・池田大作

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教行証御書  (8/8) 公場にして理運の法門申し候へばとて雑言・強…
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三十代・欽明天皇の御宇に仏法渡つて今に七百余年前代未聞の大法此の国に流布して月氏・漢土・一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ有り難けれ有り難けれ、又已前の重末法には教行証の三つ倶に備われり例せば正法の如し等云云、已に地涌の大菩薩・上行出でさせ給いぬ結要の大法亦弘まらせ給うべし、日本・漢土・万国の一切衆生は金輪聖王の出現の先兆の優曇華に値えるなるべし、在世四十二年並びに法華経の迹門十四品に之を秘して説かせ給はざりし大法本門正宗に至つて説き顕し給うのみ。

良観房が義に云く彼の良観が・日蓮遠国へ下向と聞く時は諸人に向つて急ぎ急ぎ鎌倉へ上れかし為に宗論を遂げて諸人の不審を晴さんなんど自讃毀他する由其の聞え候、此等も戒法にてや有らん強ち尋ぬ可し、又日蓮鎌倉に罷上る時は門戸を閉じて内へ入るべからずと之を制法し或は風気なんど虚病して罷り過ぎぬ、某は日蓮に非ず其の弟子にて候まま少し言のなまり法門の才覚は乱れがはしくとも・律宗国賊替るべからずと云うべし、公場にして理運の法門申し候へばとて雑言・強言・自讃気なる体・人目に見すべからず浅猨しき事なるべし、弥身口意を調え謹んで主人に向うべし主人に向うべし。

  三月二十一日                    日蓮花押

   三位阿闍梨御房へ之を遣はす


諸人御返事

三月十九日の和風並びに飛鳥同じく二十一日戌の時到来す、日蓮一生の間の祈請並びに所願忽ちに成就せしむるか、将又五五百歳の仏記宛かも符契の如し、所詮真言・禅宗等の謗法の諸人等を召し合せ是非を決せしめば日本国一同に日蓮が弟子檀那と為り、我が弟子等の出家は主上・上皇の師と為らん在家は左右の臣下に列ならん、将又一閻浮提皆此の法門を仰がん、幸甚幸甚。

  弘安元年三月二十一日                日蓮花押

   諸人御返事

小蒙古御書

小蒙古の人・大日本国に寄せ来るの事、我が門弟並びに檀那等の中に若し他人に向い将又自ら言語に及ぶ可からず、若し此の旨に違背せば門弟を離すべき等の由・存知せる所なり、此の旨を以て人人に示す可く候なり。

  弘安四年太歳辛巳六月十六日           花押

   人人御中


さだしげ殿御返事

さきざきに申しつるがごとし、世間の学者・仏法を学問して智恵を明めて我も我もとおもひぬ、一生のうちに・むなしくなりて・ゆめのごとくに申しつれども唯一大事を知らず・よくよく心得させ給うべし、あなかしこ・あなかしこ。

  十二月二十日                    日蓮在御判

   さだしげ殿御返事

霖雨御書

山中のながきあめつれづれ申すばかり候はず、えんどうかしこまりて給い候いし、ことに・よろこぶよし玄性房申しあげさせ給い候へ、恐恐。

  五月廿二日                     日蓮在御判

   御返事