Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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清澄寺大衆中  (3/3) 不知恩の人なれば無間地獄に堕ち給うべし
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なり。

領家の尼ごぜんは女人なり愚癡なれば人人のいひをどせば・さこそとましまし候らめ、されども恩をしらぬ人となりて後生に悪道に堕ちさせ給はん事こそ不便に候へども又一つには日蓮が父母等に恩をかほらせたる人なればいかにしても後生をたすけたてまつらんと・こそいのり候へ、法華経と申す御経は別の事も候はず我は過去・五百塵点劫より先の仏なり、又舎利弗等は未来に仏になるべしと、これを信ぜざらん者は無間地獄に堕つべし、我のみかう申すにはあらず多宝仏も証明し十方の諸仏も舌をいだして・かう候、地涌千界・文殊・観音・梵天・帝釈・日月・四天・十羅刹・法華経の行者を守護し給はんと説かれたり、されば仏になる道は別のやうなし過去の事・未来の事を申しあてて候が・まことの法華経にては候なり。

日蓮はいまだ・つくしを見ずえぞしらず、一切経をもつて勘へて候へば・すでに値いぬ、もし・しからば各各・不知恩の人なれば無間地獄に堕ち給うべしと申し候はたがひ候べきか、今はよし後をごらんぜよ日本国は当時のゆき対馬のやうになり候はんずるなり、其の時安房の国にむこが寄せて責め候はん時日蓮房の申せし事の合うたりと申すは偏執の法師等が口すくめて無間地獄に堕ちん事不便なり不便なり。

  正月十一日                     日蓮花押

   安房の国清澄寺大衆中

このふみはさど殿と・すけあさり御房と虚空蔵の御前にして大衆ごとに・よみきかせ給へ。


聖密房御書

                  建治三年 五十六歳御作

大日経をば善無畏・不空・金剛智等の義に云く「大日経の理と法華経の理とは同じ事なり但印と真言とが法華経は劣なり」と立てたり、良諝和尚・広修・維蠲なんど申す人は大日経は華厳経・法華経・涅槃経等には及ばず但方等部の経なるべし、日本の弘法大師云く「法華経は猶華厳経等に劣れりまして大日経には及ぶべからず」等云云、又云く「法華経は釈迦の説・大日経は大日如来の説・教主既にことなり・又釈迦如来は大日如来の御使として顕教をとき給うこれは密教の初門なるべし」或は云く「法華経の肝心たる寿量品の仏は顕教の中にしては仏なれども密教に対すれば具縛の凡夫なり」と云云。

日蓮勘えて云く大日経は新訳の経・唐の玄宗皇帝の御時・開元四年に天竺の善無畏三蔵もて来る、法華経は旧訳の経・後秦の御宇に羅什三蔵もて来る其の中間三百余年なり、法華経亘て後百余年を経て天台智者大師・教門には五時四教を立てて上五百余年の学者の教相をやぶり観門には一念三千の法門をさとりて始めて法華経の理を得たり、天台大師已前の三論宗・已後の法相宗には八界を立て十界を論ぜず一念三千の法門をば立つべきやうなし、華厳宗は天台已前には南北の諸師・華厳経は法華経に勝れたりとは申しけれども華厳宗の名は候はず、唐の代に高宗の后・則天皇后と申す人の御時・法蔵法師・澄観なんど申す人・華厳宗の名を立てたり、此の宗は教相に五教を立て観門には十玄・六相なんど申す法門なり、をびただしきやうに・みへたりしかども澄観は天台をはするやうにて・なを天台の一念三千の法門をかりとりて我が経の心如工画師の文の心とす、これは華厳宗は天台に落ちたりというべきか又一念三千の法門を盗みとりたりというべきか、澄観は持戒の人・大小の戒を一塵をもやぶらざれ


ども一念三千の法門をば・ぬすみとれり・よくよく口伝あるべし、真言宗の名は天竺にありや・いなや大なる不審なるべし、但真言経にてありけるを善無畏等の宗の名を漢土にして付けたりけるか・よくよくしるべし、就中善無畏等・法華経と大日経との勝劣をはんずるに理同事勝の釈をばつくりて一念三千の理は法華経・大日経これ同じなんどいへども印と真言とが法華経には無ければ事法は大日経に劣れり、事相かけぬれば事理倶密もなしと存ぜり、今日本国及び諸宗の学者等並びにことに用ゆべからざる天台宗共にこの義をゆるせり例せば諸宗の人人をばそねめども一同に弥陀の名をとなへて自宗の本尊をすてたるがごとし天台宗の人人は一同に真言宗に落ちたる者なり。

日蓮・理のゆくところを不審して云く善無畏三蔵の法華経と大日経とを理は同じく事は勝れたりと立つるは天台大師の始めて立て給へる一念三千の理を今大日経にとり入れて同じと自由に判ずる条ゆるさるべしや、例せば先に人丸が・ほのぼのと・あかしのうらの・あさぎりに・しまかくれゆく・ふねをしぞをもう・とよめるを、紀のしくばう源のしたがうなんどが判じて云く「此の歌はうたの父・うたの母」等云云、今の人我うたよめりと申して・ほのぼのと乃至船をしぞをもうと一字をもたがへず・よみて我が才は人丸にをとらずと申すをば人これを用ゆべしや、やまかつ海人なんどは用ゆる事もありなん、天台大師の始めて立て給へる一念三千の法門は仏の父・仏の母なるべし、百余年・已後の善無畏三蔵がこの法門をぬすみとりて大日経と法華経とは理同なるべし、理同と申すは一念三千なりと・かけるをば智慧かしこき人は用ゆべしや、事勝と申すは印・真言なしなんど申すは天竺の大日経・法華経の勝劣か漢土の法華経・大日経の勝劣か、不空三蔵の法華経の儀軌には法華経に印・真言をそへて訳せり、仁王経にも羅什の訳には印・真言なし不空の訳の仁王経には印・真言これあり、此等の天竺の経経には無量の事あれども月氏・漢土・国を・へだてて・とをく・ことごとく・もちて来がたければ経を略するなるべし、法華経に