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日蓮大聖人・池田大作

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南条兵衛七郎殿御書  (4/6) されば法は必ず国をかんがみて弘むべし
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草木すらところによる、まして心あらんもの何ぞ所によらざらん、されば玄奘三蔵の西域と申す文に天竺の国国を多く記したるに・国の習として不孝なる国もあり・孝の心ある国もあり・瞋恚のさかんなる国もあり・愚癡の多き国もあり、一向に小乗を用る国もあり・一向大乗を用る国もあり・大小兼学する国もありと見へ侍り、又一向に殺生の国・一向に偸盗の国・又穀の多き国・又粟等の多き国不定あり、抑日本国はいかなる教を習つてか生死を離るべき国ぞと勘えたるに・法華経に云く「如来の滅後に於て閻浮提の内に広く流布せしめ断絶せざらしむ」等云云、此の文の心は法華経は南閻浮提の人のための有縁の経なり、弥勒菩薩の云く「東方に小国有り唯だ大機のみ有り」等云云、此の論の文の如きは閻浮提の内にも東の小国に大乗経の機あるか、肇公の記に云く「茲の典は東北の小国に有縁なり」等云云、法華経は東北の国に縁ありとかかれたり、安然和尚の云く「我が日本国皆大乗を信ず」等云云、慧心の一乗要決に云く「日本一州円機純一」等云云、釈迦如来・弥勒菩薩・須梨耶蘇摩三蔵・羅什三蔵・僧肇法師・安然和尚・慧心の先徳等の心ならば日本国は純に法華経の機なり、一句・一偈なりとも行ぜば必ず得道なるべし有縁の法なるが故なり、たとへばくろかねを磁石のすうが如し・方諸の水をまねくににたり、念仏等の余善は無縁の国なり・磁石のかねをすわず方諸の水をまねかざるが如し、故に安然の釈に云く「如実乗に非ずんば恐らくは自他を欺かん」等云云、此の釈の心は日本国の人に法華経にてなき法をさずくるもの我が身をもあざむき人をもあざむく者と見えたり、されば法は必ず国をかんがみて弘むべし、彼の国によかりし法なれば必ず此の国にもよかるべしとは思うべからず是四

又仏法流布の国においても前後を勘うべし、仏法を弘むる習い必ずさきに弘めける法の様を知るべきなり、例せば病人に薬をあたふるにはさきに服したる薬の様を知るべし、薬と薬とがゆき合いてあらそひをなし人をそんずる事あり、仏法と仏法とがゆき合いてあらそひをなして人を損ずる事のあるなり、さきに外道の法弘まれる


国ならば仏法を・もつて・これをやぶるべし、仏の印度にいでて外道をやぶり・まとうか・ぢくほうらんの震旦に来つて道士をせめ・上宮太子・和国に生れて守屋をきりしが如し、仏教においても小乗の弘まれる国をば大乗経をもつてやぶるべし、無著菩薩の世親の小乗をやぶりしが如し、権大乗の弘まれる国をば実大乗をもつて・これをやぶるべし、天台智者大師の南三・北七をやぶりしが如し、而るに日本国は天台・真言の二宗のひろまりて今に四百余歳、比丘・比丘尼・うばそく・うばひの四衆・皆法華経の機と定りぬ、善人・悪人・有智・無智・皆五十展転の功徳をそなふ、たとへば崑崙山に石なく蓬莱山に毒なきが如し、而るを此の五十余年に法然といふ大謗法の者いできたりて、一切衆生をすかして珠に似たる石をもつて珠を投させ石をとらせたるなり、止観の五に云く「瓦礫を貴んで明珠なりと申す」は是なり、一切衆生石をにぎりて珠とおもふ、念仏を申して法華経をすてたる是なり、此の事をば申せば還つてはらをたち法華経の行者をのりて・ことに無間の業をますなり是五

但とのはこのぎをきこしめして念仏をすて法華経にならせ給いてはべりしが、定めてかへりて念仏者にぞならせ給いてはべるらん、法華経をすてて念仏者とならせ給はんは峯の石の谷へころび・空の雨の地におつると・おぼせ大阿鼻地獄疑なし、大通結縁の者の三千塵点劫を・久遠下種の者の五百塵点を経し事、大悪知識にあいて法華経をすてて念仏等の権教にうつりし故なり、一家の人人・念仏者にてましましげに候いしかばさだめて念仏をぞすすめまいらせ給い候らん、我が信じたる事なればそれも道理にては候へども・悪魔の法然が一類にたぼらかされたる人人なりと・おぼして・大信心を起し御用いあるべからず、大悪魔は貴き僧となり父母・兄弟等につきて人の後世をば障るなり、いかに申すとも法華経をすてよとたばかりげに候はんをば御用いあるべからず、まづ御きやうさくあるべし。

念仏実に往生すべき証文つよくば此の十二年が間・念仏者・無間地獄と申すをばいかなるところへ申しいだして


もつめずして候べきか、よくよくゆはき事なり、法然・善導等が・かきをきて候ほどの法門は日蓮らは十七八の時よりしりて候いき、このごろの人の申すもこれにすぎず、結句は法門はかなわずしてよせてたたかひにし候なり、念仏者は数千万かたうど多く候なり、日蓮は唯一人かたうどは一人もこれなし、今までもいきて候はふかしぎなり、今年も十一月十一日安房の国・東条の松原と申す大路にして、申酉の時・数百人の念仏等にまちかけられて候いて、日蓮は唯一人・十人ばかり・ものの要にあふものは・わづかに三四人なり、いるやはふるあめのごとし・うつたちはいなづまのごとし、弟子一人は当座にうちとられ・二人は大事のてにて候、自身もきられ打たれ結句にて候いし程に、いかが候いけん・うちもらされて・いままでいきてはべり、いよいよ法華経こそ信心まさり候へ、第四の巻に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」第五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云、日本国に法華経よみ学する人これ多し、人の妻をねらひ・ぬすみ等にて打はらるる人は多けれども・法華経の故にあやまたるる人は一人もなし、されば日本国の持経者は・いまだ此の経文にはあわせ給はず唯日蓮一人こそよみはべれ・我不愛身命但惜無上道是なりされば日蓮は日本第一の法華経の行者なり。

もし・さきにたたせ給はば梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給うべし、日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子なりとなのらせ給へ、よもはうしんなき事は候はじ、但一度は念仏・一度は法華経となへつ・二心ましまし人の聞にはばかりなんど・だにも候はば・よも日蓮が弟子と申すとも御用ゐ候はじ・後にうらみさせ給うな、但し又法華経は今生のいのりともなり候なれば、もしやとしていきさせ給い候はば・あはれ・とくとく見参してみづから申しひらかばや、語はふみにつくさず・ふみは心をつくしがたく候へばとどめ候いぬ、恐恐謹言。

  文永元年十二月十三日                日蓮花押

   なんでうの七郎殿