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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻下  (47/52) 是れ又妙法蓮華経の提婆竜女なれば十界三千皆…
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は悉く竜女なり、調達は修徳の逆罪・一切衆生は性徳の逆罪なり一切衆生は性徳の天王如来調達は修徳の天王如来なり、竜女は修徳の竜女・一切衆生は性徳の竜女なり、所詮釈尊も文殊も提婆も竜女も一つ種の妙法蓮華経の功能なれば本来成仏なり、仍つて南無妙法蓮華経と唱え奉る時は十界同時に成仏するなり、是を妙法蓮華経の提婆達多と云うなり、十界三千竜女なれば無垢世界に非ずと云う事なし、竜女が一身も本来成仏にして南無妙法蓮華経の当体なり云云。

一 勧持品

御義口伝に云く此の品の姨母・耶輸の記莂は十界同時の授記なり妙法の姨母・妙法の耶輸なる故なり、十界の衆生の心性は所持の経の体なり是れ即ち勧持の流通なり、心性所持の経を勧持して自行化他に趣くなり、姨母耶輸は女人の成仏なり二万の大士は男子の流通なり此の文・陰陽一体にして南無妙法蓮華経の当体なり云云。

一 安楽行品

御義口伝に云く妙法の安楽行なれば十界三千悉く安楽行なり、自受用の当体なり身口意誓願悉く安楽行なり、蓮華の安楽行なれば三千十界清浄の修行なり、諸法実相なれば安楽行に非ざること莫し、本門の意は十界の色心本来本有として真実の安楽行なり、安楽行の体とは所謂上行所伝の南無妙法蓮華経是なり云云、霊山浄土に安楽に行詣す可きなり云云。

一 涌出品

御義口伝に云く此の品は迹門流通の後・本門開顕の序分なり、故に先ず本地無作の三身を顕さんが為に釈尊・所具の菩薩なるが故本地本化の弟子を召すなり、是れ又妙法の従地なれば十界の大地なり、妙法の涌出なれば十


界皆涌出なり、十界妙法の菩薩なれば皆饒益有情界の慈悲深重の大士なり、蓮華の大地なれば十界の大地も十界涌出の菩薩も本来清浄なり、所詮悟道に約する時は従地とは十界の衆生の大種の所生なり、涌出とは十界の衆生の出胎の相なり菩薩とは十界の衆生の本有の慈悲なり、此の菩薩に本法の妙法蓮華経を付属せんが為に従地涌出するなり、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は従地涌出の菩薩なり外に求むること莫かれ云云。

一 寿量品

御義口伝に云く寿量品とは十界の衆生の本命なり、此の品を本門と云う事は本に入る門と云う事なり、凡夫の血肉の色心を本有と談ずるが故に本門とは云うなり、此の重に至らざるを始覚と云い迹門と云うなり、是を悟るを本覚と云い本門と云うなり、所謂南無妙法蓮華経は一切衆生の本有の在処なり爰を以て経に我実成仏已来とは云うなり云云。

一 分別品

御義口伝に云く此の品は上の品の時本地無作の三身如来の寿を聞く故に今品にして上の無作の三身を信解するなり、其の功徳を分別するなり功徳とは十界己己の当体の三毒の煩悩を此の品の時其の儘妙法の功徳なりと分別するなり、其の功徳とは本有の南無妙法蓮華経是なり云云。

一 随喜品

御義口伝に云く妙法の功徳を随喜する事を説くなり、五十展転とは五とは妙法の五字なり十とは十界の衆生なり展転とは一念三千なり、教相の時は第五十人の随喜の功徳を校量せり五十人とは一切衆生の事なり、妙法の五十人妙法蓮華経を展転するが故なり、所謂南無妙法蓮華経を展転するなり云云。


一 法師功徳品

御義口伝に云く無作の三身も如来の寿も分別功徳も随喜も我が身の上の事なり、然らば父母所生の六根は清浄にして自在無碍なり妙法の六根なれば十界三千の六根皆清浄なり、蓮華所具の六根なれば全く不浄に非ざるなり、此の六根にて南無妙法蓮華経と見聞覚知する時は本来本有の六根清浄なり云云。

一 不軽品

御義口伝に云く此の菩薩の礼拝の行とは一切衆生の事なり、自他一念の礼拝なり父母果縛の肉身を妙法蓮華経と礼拝するなり、仏性も仏身も衆生の当体の色心なれば直ちに礼拝を行ずるなり、仍つて皆当作仏の四字は南無妙法蓮華経の種子に依るなり。

一 神力品

御義口伝に云く十種の神力を現じて上行菩薩に妙法蓮華経の五字を付属し給う此の神力とは十界三千の衆生の神力なり、凡夫は体の神力・三世の諸仏は用の神力なり神とは心法力とは色法なり力は法神は妙なり妙法の神力なれば十界悉く神力なり、蓮華の神力なれば十界清浄の神力なり、惣じて三世の諸仏の神力は此の品に尽くせり釈尊出世の神力の本意も此の品の神力なり、所謂妙法蓮華経の神力なり十界皆成と談ずるより外の諸仏の神力は之れ有る可からず、一切の法門神力に非ずと云う事なし云云。

一 囑累品

御義口伝に云く此の品には摩頂付属を説きて此の妙法を滅後に留め給うなり、是れ又妙法の付属なれば十界三千皆付属の菩薩なり、又三摩する事は能化所具の三観三身の御手を以て所化の頂上に明珠を譲り与えたる心なり、凡そ頂上の明珠は覚悟知見なり頂上の明珠とは南無妙法蓮華経是なり云云。