Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

本因妙抄  (8/8) 釈尊・久遠名字即の位の御身の修行を末法今時…
877

に舌を振い耳を塞ぐ、其の時方人一人も無く唯我と日蓮与我日興計りなり。

問うて云く寿量品・文底の大事と云う秘法如何、答えて云く唯密の正法なり秘す可し秘す可し一代応仏のいきをひかえたる方は理の上の法相なれば一部共に理の一念三千迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を脱益の文の上と申すなり、文の底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず直達の正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり、権実は理今日本迹理なり本迹は事久遠本迹事なり、亦権実は約智約教一代応仏本迹本迹は約身約位名字身久遠本迹亦云く雖脱在現・具騰本種といへり、釈尊・久遠名字即の位の御身の修行を末法今時・日蓮が名字即の身に移せり理は造作に非ず故に天真と曰い証智円明の故に独朗と云うの行儀・本門立行の血脈之を注す秘す可し秘す可し。

又日文字の口伝・産湯の口決・二箇は両大師の玄旨にあつ、本尊七箇の口伝は七面の決に之を表す教化弘経の七箇の伝は弘通者の大要なり、又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し、法華本門宗血脈相承畢んぬ。

  弘安五太歳壬午十月十一日            日蓮在御判


産湯相承事

                   日興之を記す

御名乗りの事、始めは是生・実名は蓮長と申し奉る・後には日蓮と御名乗り有る御事は悲母梅菊女童女の御名なり平の畠山殿の一類にて御座す云云法号妙蓮禅尼の御物語り御座す事には、我に不思議の御夢想あり、清澄寺に通夜申したりし時汝が志真に神妙なり一閻浮提第一の宝を与えんと思うなり、東条片海に三国の太夫と云う者あり是を夫と定めよと云云、其の歳の春・三月廿四日の夜なり正に今も覚え侍るなり。

我父母に後れ奉りて已後詮方なく遊女の如くなりし時御身の父に嫁げり、或夜の霊夢に曰く叡山の頂に腰をかけて近江の湖水を以て手を洗うて富士の山より日輪の出でたもうを懐き奉ると思うて打ち驚いて後・月水留ると夢物語りを申し侍れば、父の太夫我も不思議なる御夢想を蒙むるなり、虚空蔵菩薩貌吉き児を御肩に立て給う、此の少人は我が為には上行菩提薩埵なり日の下の人の為には生財摩訶薩埵なり、亦一切有情の為には行く末三世常恒の大導師なり、是を汝に与えんとのたもうと見て後御事懐妊の由を聞くと語り相いたりき、さてこそ御事は聖人なれ。

又産生まるべき夜の夢に富士山の頂に登つて十方を見るに明なる事掌の内を見るが如し三世明白なり、梵天・帝釈・四大天王等の諸天悉く来下して本地自受用報身如来の垂迹・上行菩薩の御身を凡夫地に謙下し給う御誕生は唯今なり、無熱池の主阿那婆達多竜王・八功徳水を応に汲み来るべきなり、当に産湯に浴し奉るべしと諸天に告げ給えり、仍て竜神王・即時に青蓮華を一本荷い来れり、其の蓮より清水を出して御身を浴し進らせ侍りけり、其の余れる水をば四天下に灑ぐに其の潤いを受くる人畜・草木・国土世間・悉く金色の光明を放ち四方


の草木花発らき菓成る。

男女座を並べて有れども煩悩無く淤泥の中より出れども塵泥に染まず、譬えば蓮華の泥より出でて泥に染まざるが如し、人天・竜畜・共に白き蓮を各手に捧げて日に向つて今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子・唯我一人・能為救護と唱え奉ると見て驚けば則聖人出生し給えり、毎自作是念・以何令衆生・得入無上道・速成就仏身と苦我渧き給う。

我少し寐みし様なりし時・梵帝等の諸天・一同音に唱えて言く善哉善哉・善日童子・末法教主釈迦仏と三度唱えて作礼して去し給うと寤に見聞きしなりと慥に語り給いしを聞し食しさては某は日蓮なりとの給いしなり。

聖人重ねて曰う様は日蓮が弟子檀那等・悲母の物語りと思うべからず即ち金言なり・其の故は予が修行は兼ねて母の霊夢にありけり・日蓮は富士山自然の名号なり、富士は郡名なり実名をば大日蓮華山と云うなり、我中道を修行する故に是くの如く国をば日本と云い神をば日神と申し仏の童名をば日種太子と申し予が童名をば善日・仮名は是生・実名は即ち日蓮なり。

久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神は我国に天下り始めし国は出雲なり、出雲に日の御崎と云う所あり、天照太神始めて天下り給う故に日の御崎と申すなり。

我が釈尊・法華経を説き顕し給いしより已来十羅刹女と号す、十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体の異名・本地垂迹の利益広大なり、日神と月神とを合して文字を訓ずれば十なり、十羅刹と申すは諸神を一体に束ね合せたる深義なり、日蓮の日は即日神・昼なり蓮は即月神・夜なり、月は水を縁とす蓮は水より生ずる故なり、又是生とは日の下の人を生むと書けり。

日蓮は天上・天下の一切衆生の主君なり父母なり師匠なり、今久遠下種の寿量品に云く「今此三界皆是我有主君の義