Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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撰時抄  (17/37) 迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・乃至天…
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の二蔵・三時・三転法輪・法相の三時・五性・華厳宗の四教・五教・根本枝末・六相・十玄・皆大綱をやぶらる、例せば大屋の棟梁のをれたるがごとし十大徳の慢幢も倒れにき、爾の時天子大に驚かせ給いて同二十九日に弘世・国道の両吏を勅使として重ねて七寺・六宗に仰せ下れしかば各各帰伏の状を載せて云く「竊に天台の玄疏を見れば総じて釈迦一代の教を括つて悉く其の趣を顕すに通ぜざる所無く独り諸宗に逾え殊に一道を示す其の中の所説甚深の妙理なり七箇の大寺六宗の学生昔より未だ聞かざる所曾て未だ見ざる所なり三論法相久年の諍い渙焉として氷の如く釈け照然として既に明かに猶雲霧を披いて三光を見るがごとし聖徳の弘化より以降今に二百余年の間講ずる所の経論其の数多く彼此理を争えども其の疑未だ解けず、而るに此の最妙の円宗未だ闡揚せず蓋し以て此の間の羣生未だ円味に応わざるか、伏して惟れば聖朝久しく如来の付を受け深く純円の機を結び一妙の義理始めて乃ち興顕し六宗の学者初めて至極を悟る此の界の含霊今より後悉く妙円の船に載り早く彼岸に済る事を得ると謂いつべし、乃至善議等牽れて休運に逢い乃ち奇詞を閲す深期に非ざるよりは何ぞ聖世に託せんや」等云云、彼の漢土の嘉祥等は百余人をあつめて天台大師を聖人と定めたり、今日本の七寺・二百余人は伝教大師を聖人とがうしたてまつる、仏の滅後二千余年に及んで両国に聖人二人・出現せり其の上天台大師の未弘の円頓大戒を叡山に建立し給う此れ豈像法の末に法華経広宣流布するにあらずや、答えて云く迦葉阿難等の弘通せざる大法を馬鳴・竜樹・提婆・天親等の弘通せる事前の難に顕れたり、又竜樹・天親等の流布し残し給える大法天台大師の弘通し給う事又難にあらはれぬ、又天台智者大師の弘通し給はざる円頓の大戒を伝教大師の建立せさせ給う事又顕然なり、但し詮と不審なる事は仏は説き尽し給えども仏滅後に迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・乃至天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法経文の面に現前なり、此の深法・今末法の始五五百歳に一閻浮提に広宣流布すべきやの事不審極り無きなり。


問ういかなる秘法ぞ先ず名をきき次に義をきかんとをもう此の事もし実事ならば釈尊の二度・世に出現し給うか上行菩薩の重ねて涌出せるかいそぎいそぎ慈悲をたれられよ、彼の玄奘三蔵は六生を経て月氏に入りて十九年・法華一乗は方便教・小乗阿含経は真実教、不空三蔵は身毒に返りて寿量品を阿弥陀仏とかかれたり、此等は東を西という日を月とあやまてり身を苦めてなにかせん心に染てようなし、幸い我等末法に生れて一歩をあゆまずして三祇をこゑ頭を虎にかわずして無見頂相をゑん、答えて云く此の法門を申さん事は経文に候へばやすかるべし但し此の法門には先ず三の大事あり大海は広けれども死骸をとどめず大地は厚けれども不孝の者をば載せず、仏法には五逆をたすけ不孝をばすくう但し誹謗一闡提の者持戒にして第一なるをばゆるされず、此の三のわざはひとは所謂念仏宗と禅宗と真言宗となり、一には念仏宗は日本国に充満して四衆の口あそびとす、二に禅宗は三衣一鉢の大慢の比丘の四海に充満して一天の明導とをもへり、三に真言宗は又彼等の二宗にはにるべくもなし叡山・東寺・七寺・園城或は官主或は御室或は長吏或は検校なりかの内侍所の神鏡燼灰となりしかども大日如来の宝印を仏鏡とたのみ宝剣西海に入りしかども五大尊をもつて国敵を切らんと思へり、此等の堅固の信心は設い劫石はひすらぐとも・かたぶくべしとはみへず大地は反覆すとも疑心をこりがたし、彼の天台大師の南北をせめ給いし時も此の宗はいまだわたらず此の伝教大師の六宗をしゑたげ給いし時ももれぬ、かたがたの強敵をまぬがれてかへつて大法をかすめ失う、其の上伝教大師の御弟子・慈覚大師・此の宗をとりたてて叡山の天台宗をかすめをとして一向真言宗になししかば此の人には誰の人か敵をなすべき、かかる僻見のたよりをえて弘法大師の邪義をもとがむる人もなし、安然和尚すこし弘法を難ぜんとせしかども只華厳宗のところ計りとがむるににてかへて法華経をば大日経に対して沈めはてぬ、ただ世間のたて入の者のごとし。

問うて云く此の三宗の謬悞如何答えて云く浄土宗は斉の世に曇鸞法師と申す者あり本は三論宗の人竜樹菩薩の


十住毘婆娑論を見て難行道易行道を立てたり、道綽禅師という者あり唐の世の者本は涅槃経をかうじけるが曇鸞法師が浄土にうつる筆を見て涅槃経をすてて浄土にうつて聖道・浄土二門を立てたり、又道綽が弟子に善導という者あり雑行正行を立つ、日本国に末法に入つて二百余年・後鳥羽院の御宇に法然というものあり一切の道俗をすすめて云く仏法は時機を本とす法華経大日経天台真言等の八宗九宗一代の大小・顕密・権実等の諸宗等は上根上智の正像二千年の機のためなり、末法に入りてはいかに功をなして行ずるとも其の益あるべからず、其の上・弥陀念仏にまじへて行ずるならば念仏も往生すべからず此れわたくしに申すにはあらず竜樹菩薩・曇鸞法師は難行道となづけ、道綽は未有一人得者ときらひ善導は千中無一とさだめたり、此等は他宗なれば御不審もあるべし、慧心先徳にすぎさせ給へる天台真言の智者は末代にをはすべきか彼の往生要集には顕密の教法は予が死生をはなるべき法にはあらず、又三論の永観が十因等をみよされば法華真言等をすてて一向に念仏せば十即十生・百即百生とすすめければ、叡山・東寺・園城・七寺等始めは諍論するやうなれども、往生要集の序の詞道理かとみへければ顕真座主落ちさせ給いて法然が弟子となる、其の上設い法然が弟子とならぬ人々も弥陀念仏は他仏ににるべくもなく口ずさみとし心よせにをもひければ日本国皆一同に法然房の弟子と見へけり、此の五十年が間・一天四海・一人もなく法然が弟子となる法然が弟子となりぬれば日本国一人もなく謗法の者となりぬ、譬へば千人の子が一同に一人の親を殺害せば千人共に五逆の者なり一人阿鼻に堕ちなば余人堕ちざるべしや、結句は法然・流罪をあだみて悪霊となつて我並びに弟子等をとがせし国主・山寺の僧等が身に入つて或は謀反ををこし或は悪事をなして皆関東にほろぼされぬ、わづかにのこれる叡山・東寺等の諸僧は俗男俗女にあなづらるること猿猴の人にわらはれ俘囚が童子に蔑如せらるるがごとし、禅宗は又此の便を得て持斎等となつて人の眼を迷かしたつとげなる気色なればいかにひがほうもんをいゐくるへども失ともをぼへず、禅宗と申す宗は教外別伝と申して釈尊の一切経