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日蓮大聖人・池田大作

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本因妙抄  (6/8) 万機の為に南無妙法蓮華経と勧む
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摩訶止観七面口决とは依名判義・附文元意・寂照一相・教行証・六九二識・絶諸思慮・出離生死の一面已上、伝教一切諸法・従本已来・不生不滅・性相凝然・釈迦閉口・身子絶言云云、是は迹門天台・止観の内証なり、本門日蓮の止観は釈迦は

口を開き文殊は言語す迹門不思議・不可説・本門不思議可説の証拠の釈是なり、亦三大部に於て一同十異・四同六異之有り、伝教仏立寺より之を口决す、一同とは名同なり、十異とは名同義異・所依異・観心異・傍正異・用教異・対機異・顕本理異・修行異・相承異・元旨異、四同とは名同・義同・所依同・所顕同なり、六異とは釈異・大綱網目異・本末異・観心異・教内外観異・自行化他異・是なり、今要を以て之を言わば迹本観心・同名異義なり始終・本末共に修行も覚道も時機も感応も皆勝劣なり。

此の下・二十四番勝劣なり、彼の本門は我が迹門・彼の勝は此の劣・彼の深義は予が浅義・彼の深理は此の浅理・彼が極位は此の浅位・彼の極果は此の初心・彼の観心は此の教相・彼の台星の国に出生す・此れは日天の国に出世す・彼は薬王・此れは上行・彼は解了の機を利す此れは愚悪の機を益す・彼の弘通は台星所居の高嶺なり・此の弘経は日王・能住の高峰なり・彼は上機に教え・此れは下機を訓ず・彼は一部を以て本尊と為し・此れは七字を本尊と為す・彼は相対開会を表と為し・此れは絶対開会を表と為す・彼は熟脱・此れは下種・彼は衆機の為に円頓者初縁実相と示し・此れは万機の為に南無妙法蓮華経と勧む・彼は悪口怨嫉・此れは遠島流罪・彼は一部を読誦すと雖も二字を読まざること之在り・此れは文文句句・悉く之を読む・彼は正直の妙法の名を替えて一心三観と名く・有の儘の大法に非ざれば帯権の法に似たり・此れは信謗彼此・決定成菩提・南無妙法蓮華経と唱えかく、彼は諸宗の謬義を粗書き顕すと雖も未だ言説せず・此れは身命を惜まず他師の邪義を糺し三類の強敵を招く・彼は安楽普賢の説相に依り・此れは勧持不軽の行相を用ゆ・彼は一部に勝劣を立て・此れは一部を迹と伝う・彼は応仏のいきをひかう・此れは寿量品の文底を用ゆ・彼は応仏昇進の自受用報身の一念三千一心三観・此れは久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を


直に唱う。

此れ等の深意は迹化の衆・普賢・文殊・観音・薬王等の大菩薩にも付属せざる所の大事なれば知らざる所の秘法なり況や凡師に於てをや。

若し末法に於て本迹一致と修行し所化等に教ゆる者ならば我が身も五逆罪を造らずして無間に堕ち其れに随従せんともがらも阿鼻に沈まん事疑無き者なり、此の書一見の人人は理普賢文殊一言の薩埵・生死絶断の際・定光覚悟の大菩薩なり、伝教云く「文殊の利剣は六輪に通じ十二の生類を切断す、一刀を下して妙法万方に勅するに自然に由お三諦を出だす見聞覚知に明なり」此の一言の三際を示すに一言に如かず、若し未達の者も一頌を開くに題目三般三諦同じく通知せざること無し、生仏自ら一現なる是を一言の妙旨・一教の玄義と 謂う云云、天台の云く「一言三諦・刹那成道・半偈成道」と云云、伝教の云く「仏界の智は九界を境と為し九界の智は仏界を境と為す境智互に冥薫して凡聖常恒なる是を刹那成道と謂う、三道即三徳と解れば諸悪儵に真善なる是を半偈成道と名く」今会釈して云く諸仏菩薩の定光三昧も凡聖一如の証道・刹那半偈の成道も我が家の勝劣修行の南無妙法蓮華経の一言に摂し尽す者なり、此の血脈を列ぬる事は末代浅学の者の予が仮字の消息を蔑如し天台の漢字の止観を見て眼目を迷わし心意を驚動し或は仮字を漢字と成し、或は止観明静・前代未聞の見に耽り本迹一致の思を成す、我が内証の寿量品を知らずして止観に同じ但自見の僻見を本として予が立義を破失して悪道に堕つ可き故に天台三大章疏の奥伝に属す、天台伝教等の秘し給える正義・生死一大事の秘伝を書き顕し奉る事は且は恐れ有り且は憚り有り、広宣流布の日公亭に於て応に之を披覧し奉るべし、会通を加える事は且は広宣流布の為且は末代浅学の為なり又天台伝教の釈等も予が真実の本懐に非ざるか、未来嬰児の弟子等彼を本懐かと思うべきものか。去る文永の免許の日爾前迹門の謗法を対治し本門の正義を立て被れば不日に豊歳ならむと申せしかば聞く人毎


に舌を振い耳を塞ぐ、其の時方人一人も無く唯我と日蓮与我日興計りなり。

問うて云く寿量品・文底の大事と云う秘法如何、答えて云く唯密の正法なり秘す可し秘す可し一代応仏のいきをひかえたる方は理の上の法相なれば一部共に理の一念三千迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を脱益の文の上と申すなり、文の底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず直達の正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり、権実は理今日本迹理なり本迹は事久遠本迹事なり、亦権実は約智約教一代応仏本迹本迹は約身約位名字身久遠本迹亦云く雖脱在現・具騰本種といへり、釈尊・久遠名字即の位の御身の修行を末法今時・日蓮が名字即の身に移せり理は造作に非ず故に天真と曰い証智円明の故に独朗と云うの行儀・本門立行の血脈之を注す秘す可し秘す可し。

又日文字の口伝・産湯の口決・二箇は両大師の玄旨にあつ、本尊七箇の口伝は七面の決に之を表す教化弘経の七箇の伝は弘通者の大要なり、又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し、法華本門宗血脈相承畢んぬ。

  弘安五太歳壬午十月十一日            日蓮在御判