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日蓮大聖人・池田大作

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月水御書  (3/4) 殊に二十八品の中に勝れて・めでたきは方便品…
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助成をそへ給へり、譬えば大王と后と長者等の一味同心に約束をなせるが如し、若し法華経の一字をも唱えん男女等・十悪・五逆・四重等の無量の重業に引かれて悪道におつるならば日月は東より出でさせ給はぬ事はありとも・大地は反覆する事はありとも・大海の潮はみちひぬ事はありとも、破たる石は合うとも江河の水は大海に入らずとも・法華経を信じたる女人の世間の罪に引かれて悪道に堕つる事はあるべからず、若し法華経を信じたる女人・物をねたむ故・腹のあしきゆへ・貪欲の深きゆへなんどに引れて悪道に堕つるならば・釈迦如来・多宝仏・十方の諸仏・無量曠劫よりこのかた持ち来り給へる不妄語戒忽に破れて調達が虚誑罪にも勝れ瞿伽利が大妄語にも超えたらん争か・しかるべきや。

法華経を持つ人・憑しく有りがたし、但し一生が間・一悪をも犯さず・五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・無量の戒を持ち・一切経をそらに浮べ・一切の諸仏・菩薩を供養し無量の善根をつませ給うとも、法華経計りを御信用なく又御信用はありとも諸経・諸仏にも並べて思し食し・又並べて思し食さずとも他の善根をば隙なく行じて時時・法華経を行じ・法華経を用ひざる謗法の念仏者なんどにも語らひをなし、法華経を末代の機に叶はずと申す者を科とも思し食さずば・一期の間・行じさせ給う処の無量の善根も忽にうせ・並に法華経の御功徳も且く隠れさせ給いて、阿鼻大城に堕ちさせ給はん事・雨の空にとどまらざるが如く・峰の石の谷へころぶが如しと思し食すべし、十悪・五逆を造れる者なれども法華経に背く事なければ往生成仏は疑なき事に侍り、一切経をたもち諸仏・菩薩を信じたる持戒の人なれども法華経を用る事無ければ悪道に堕つる事疑なしと見えたり。

予が愚見をもつて近来の世間を見るに多くは在家・出家・誹謗の者のみあり、但し御不審の事・法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども殊に二十八品の中に勝れて・めでたきは方便品と寿量品にて侍り、余品は皆枝葉にて候なり、されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ、又別に書き出


しても・あそばし候べく候、余の二十六品は身に影の随ひ玉に財の備わるが如し、寿量品・方便品をよみ候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり、薬王品・提婆品は女人の成仏往生を説かれて候品にては候へども提婆品は方便品の枝葉・薬王品は方便品と寿量品の枝葉にて候、されば常には此の方便品・寿量品の二品をあそばし候て余の品をば時時・御いとまの・ひまに・あそばすべく候。

又御消息の状に云く日ごとに三度づつ七つの文字を拝しまいらせ候事と、南無一乗妙典と一万遍申し候事とをば日ごとにし候が、例の事に成つて候程は御経をばよみまいらせ候はず、拝しまいらせ候事も一乗妙典と申し候事も・そらにし候は苦しかるまじくや候らん、それも例の事の日数の程は叶うまじくや候らん、いく日ばかりにて・よみまいらせ候はんずる等と云云、此の段は一切の女人ごとの御不審に常に問せ給い候御事にて侍り、又古へも女人の御不審に付いて申したる人も多く候へども一代聖教にさして説かれたる処のなきかの故に証文分明に出したる人もおはせず、日蓮粗聖教を見候にも酒肉・五辛・婬事なんどの様に不浄を分明に月日をさして禁めたる様に月水をいみたる経論を未だ勘へず候なり、在世の時多く盛んの女人・尼になり仏法を行ぜしかども月水の時と申して嫌はれたる事なし、是をもつて推し量り侍るに月水と申す物は外より来れる不浄にもあらず、只女人のくせかたわ生死の種を継ぐべき理にや、又長病の様なる物なり例せば屎尿なんどは人の身より出れども能く浄くなしぬれば別にいみもなし是体に侍る事か。

されば印度・尸那なんどにも・いたくいむよしも聞えず、但し日本国は神国なり此の国の習として仏・菩薩の垂迹不思議に経論にあひにぬ事も多く侍るに・是をそむけば現に当罰あり、委細に経論を勘へ見るに仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり、此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり、此の由を知ざる智者共神は鬼神なれば敬ふべからずなんど申す


強義を申して多くの檀那を損ずる事ありと見えて候なり、若し然らば此の国の明神・多分は此の月水をいませ給へり、生を此の国にうけん人人は大に忌み給うべきか、但し女人の日の所作は苦しかるべからずと覚え候か、元より法華経を信ぜざる様なる人人が経をいかにしても云いうとめんと思うが・さすがに・ただちに経を捨てよとは云いえずして、身の不浄なんどにつけて法華経を遠ざからしめんと思う程に、又不浄の時・此れを行ずれば経を愚かにしまいらする・なんど・おどして罪を得させ候なり、此の事をば一切御心得候て月水の御時は七日までも其の気の有らん程は御経をば・よませ給はずして暗に南無妙法蓮華経と唱えさせ給い候へ、礼拝をも経にむかはせ給はずして拝せさせ給うべし、又不慮に臨終なんどの近づき候はんには魚鳥なんどを服せさせ給うても候へ、よみぬべくば経をもよみ及び南無妙法蓮華経とも唱えさせ給い候べし、又月水なんどは申すに及び候はず又南無一乗妙典と唱えさせ給う事是れ同じ事には侍れども天親菩薩・天台大師等の唱えさせ給い候しが如く・只南無妙法蓮華経と唱えさせ給うべきか、是れ子細ありてかくの如くは申し候なり、穴賢穴賢。

  文永元年甲子四月十七日               日蓮花押

   大学三郎殿御内御報

大学三郎殿御書

                    建治元年七月 五十四歳御作

外道には天・人・畜の三善道を明し鬼道の有無之を論じて地獄道は其の沙汰無し、小乗経には六道の因果を明して四聖の因果以て分明ならず、倶舎・成実・律の三宗は小乗経に依憑して但六道を明す是なり、三論宗は天台宗已前に天竺より之を渡す八界を立てて十界を明さず、法相宗は又天竺の宗なり天台已後に唐の太宗の世に之を渡