Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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破良観等御書  (3/5) 法華経は一切経の頂上の法なり
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問うて云く三大師の地獄へ堕つる証拠如何、答えて云く善無畏三蔵は漢土日本国の真言宗の元祖なり彼の人すでに頓死して閻魔のせめにあへり、其のせめに値う事は他の失ならず法華経は大日経に劣ると立てしゆへなり、而るを此の失を知らずして其の義をひろめたる慈覚・智証・地獄を脱るべしや、但し善無畏三蔵の閻魔のせめにあづかりし故をだにも・たづねあきらめば此の事自然に顕れぬべし・善無畏三蔵の鉄の繩七すぢつきたる事は大日経の疏に我とかかれて候上・日本醍醐の閻魔堂・相州鎌倉の閻魔堂にあらわせり、此れをもつて慈覚・智証等の失をば知るべし。

問うて云く法華経と大日の三部経の勝劣は経文如何、答えて曰く法華経には諸経の中に於て最も其の上に在りと説かれて此の法華経は一切経の頂上の法なりと云云、大日経七巻・金剛頂経三巻・蘇悉地経三巻・已上十三巻の内・法華経に勝ると申す経文は一句一偈もこれなし、但蘇悉地経計りにぞ三部の中に於て此の経を王と為すと申す文候、此れは大日の三部経の中の王なり全く一代の諸経の中の大王にはあらず、例せば本朝の王を大王といふ・此れは日本国の内の大王なり・全く漢土・月支の諸王に勝れたる大王にはあらず、法華経は一代の一切経の中の王たるのみならず・三世十方の一切の諸仏の所説の中の大王なり、例せば大梵天王のごときんば諸の小王・転輪王・四天王・釈王・魔王等の一切の王に勝れたる大王なり、金剛頂経と申すは真言教の頂王・最勝王経と申すは外道・天仙等の経の中の大王・全く一切経の中の頂王にはあらず、法華経は一切経の頂上の宝珠なり、論師・人師をすてて専ら経文をくらべば・かくのごとし、而るを天台宗・出来の後・月氏よりわたれる経論並に天竺・漢土にして立てたる宗宗の元祖等・修羅心を・さしはさめるかのゆへに或は経論にわたくしの言をまじへて事を仏説によせ・或は事を月氏の経によせなんどして・私の筆をそへ仏説のよしを称す、善無畏三蔵等は法華経と大日経との勝劣を定むるに理同事勝と云云、此れは仏意にはあらず、仏説のごとくならば大日経等は四十余年の内・四十余年の内


にも華厳・般若等には及ぶべくもなし、但阿含・小乗経にすこしいさてたる経なり、而るを慈覚大師等は此の義を弁えずして善無畏三蔵を重くをもうゆへに理同事勝の義を実義とをもえり、弘法大師は又此等には・にるべくもなき僻人なり、所謂法華経は大日経に劣るのみならず華厳経等にも・をとれり等云云、而を此の邪義を人に信ぜさせんために或は大日如来より写瓶せりといゐ或は我まのあたり霊山にして・きけりといゐ或は師の慧果和尚の我をほめし或は三鈷をなげたりなんど申し種種の誑言をかまへたり、愚な者は今信をとる、又天台の真言師は慈覚大師を本とせり、叡山の三千人もこれを信ずる上・随つて代代の賢王の御世に勅宣を下す、其の勅宣のせんは法華経と大日経とは同醍醐・譬へば鳥の両翼・人の左右の眼等云云、今の世の一切の真言師は此の義をすぎず、此等は螢火を日月に越ゆとをもひ蚯蚓を花山より高しという義なり、其の上一切の真言師は灌頂となづけて釈迦仏を直ちにかきてしきまんだらとなづけて弟子の足にふませ、或は法華経の仏は無明に迷える仏・人の中のいぞのごとし真言師が履とりにも及ばずなんどふみにつくれり、今の真言師は此の文を本疏となづけて日日・夜夜に談義して公家武家のいのりと・がうして・ををくの所領を知行し檀那をたぼらかす、事の心を案ずるに彼の大慢ばら門がごとく無垢論師にことならず、此等は現身に阿鼻の大火を招くべき人人なれども強敵のなければ・さてすぐるか、而りといへども其のしるし眼前にみへたり、慈覚と智証との門家等・闘諍ひまなく・弘法と聖覚が末孫が本寺と伝法院・叡山と薗城との相論は修羅と修羅と猿と犬とのごとし、此等は慈覚の夢想に日をいるとみ・弘法の現身妄語のすへか、仏末代を記して云く謗法の者は大地微塵よりも多く正法の者は爪上の土よりすくなかるべし、仏語まことなるかなや今日本国かの記にあたれり。

予はかつしろしめされて候がごとく幼少の時より学文に心をかけし上・大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て日本第一の智者となし給へ、十二のとしより此の願を立つ其の所願に子細あり今くはしく・のせがたし、其の後先ず浄


土宗・禅宗をきく・其の後叡山・薗城・高野・京中・田舎等処処に修行して自他宗の法門をならひしかども・我が身の不審はれがたき上・本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからず・いづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし・論師・訳者・人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん、又法門によりては設い王のせめなりとも・はばかるべからず・何に況や其の已下の人をや、父母・師兄等の教訓なりとも用ゆべからず、人の信不信はしらず・ありのままに申すべしと誓状を立てしゆへに・三論宗の嘉祥・華厳宗の澄観・法相宗の慈恩等をば天台・妙楽・伝教等は無間地獄とせめたれども・真言宗の善無畏三蔵・弘法大師・慈覚・智証等の僻見は・いまだ・せむる人なし、善無畏・不空等の真言宗をすてて天台による事は妙楽大師の記の十の後序並に伝教大師の依憑集にのせられたれども・いまだ・くはしからざればにや慈覚・智証の謬悞は出来せるかと強盛にせむるなり。

かく申す程に年卅二・建長五年の春の比より念仏宗と禅宗と等をせめはじめて後に真言宗等をせむるほどに・念仏者等始にはあなづる、日蓮いかに・かしこくとも明円房・公胤僧上・顕真座主等には・すぐべからず、彼の人人だにもはじめは法然上人をなんぜしが後にみな堕ちて或は上人の弟子となり或は門家となる、日蓮は・かれがごとし我つめん我つめんとはやりし程に、いにしへの人人は但法然をなんじて善導・道綽等をせめず、又経の権実を・いわざりしかばこそ念仏者はをごりけれ、今日蓮は善導・法然等をば無間地獄につきをとして専ら浄土の三部経を法華経に・をしあはせて・せむるゆへに、螢火に日月・江河に大海のやうなる上・念仏は仏のしばらくの戯論の法・実にこれをもつて生死を・はなれんとをもわば大石を船に造り大海をわたり・大山をになて嶮難を越ゆるがごとしと難ぜしかば・面をむかうる念仏者なし。

後には天台宗の人人を・かたらひて・どしうちにせんと・せしかども・それもかなはず、天台宗の人人も・せめられしかば在家出家の心ある人人・少少念仏と禅宗とをすつ、念仏者・禅宗・律僧等我が智力叶わざるゆへに諸宗に