Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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撰時抄  (15/37) 像法一千年の半に天台智者大師・出現して題目…
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破すべきをば・これをはし取るべきをば此れを用う、其の上・止観十巻を注して一代の観門を一念にすべ十界の依正を三千につづめたり、此の書の文体は遠くは月支・一千年の間の論師にも超え近くは尸那五百年の人師の釈にも勝れたり、故に三論宗の吉蔵大師・南北一百余人の先達と長者らをすすめて天台大師の講経を聞けと勧むる状に云く「千年の興五百の実復今日に在り乃至南岳の叡聖天台の明哲昔は三業住持し今は二尊に紹係す豈止甘呂を震旦に灑ぐのみならん亦当に法鼓を天竺に震うべし、生知の妙悟魏晉以来典籍風謡実に連類無し乃至禅衆一百余の僧と共に智者大師を奉請す」等云云、修南山の道宣律師天台大師を讃歎して云く「法華を照了すること高輝の幽谷に臨むが若く摩訶衍を説くこと長風の太虚に遊ぶに似たり仮令文字の師千羣万衆ありて彼の妙弁を数め尋ぬとも能く窮むる者無し、乃至義月を指すに同じ乃至宗一極に帰す」云云、華厳宗の法蔵大師天台を讃して云く「思禅師智者等の如き神異に感通して迹登位に参わる霊山の聴法憶い今に在り」等云云、真言宗の不空三蔵・含光法師等・師弟共に真言宗をすてて天台大師に帰伏する物語に云く高僧伝に云く「不空三蔵と親たり天竺に遊びたるに彼に僧有り問うて曰く大唐に天台の迹教有り最も邪正を簡び偏円を暁むるに堪えたり能く之を訳して将に此土に至らしむ可きや」等云云、此の物語は含光が妙楽大師にかたり給しなり、妙楽大師此の物語を聞いて云く「豈中国に法を失いて之を四維に求むるに非ずや而も此方識ること有る者少し魯人の如きのみ」等云云、身毒国の中に天台三十巻のごとくなる大論あるならば南天の僧いかでか漢土の天台の釈をねがうべき、これあに像法の中に法華経の実義顕れて南閻浮提に広宣流布するにあらずや、答えて云く正法一千年・像法の前四百年・已上仏滅後・一千四百余年にいまだ論師の弘通し給はざる一代超過の円定・円慧を漢土に弘通し給うのみならず其の声月氏までもきこえぬ、法華経の広宣流布にはにたれどもいまだ円頓の戒壇を立てられず小乗の威儀をもつて円の慧定に切りつけるはすこし便なきににたり、例せば日輪の蝕するがごとし月輪のかけたるに似たり、何にいわうや天台


大師の御時は大集経の読誦多聞堅固の時にあひあたていまだ広宣流布の時にあらず。

問うて云く伝教大師は日本国の士なり桓武の御宇に出世して欽明より二百余年が間の邪義をなんじやぶり天台大師の円慧・円定をせんじ給うのみならず、鑒真和尚の弘通せし日本小乗の三処の戒壇をなんじやぶり叡山に円頓の大乗別受戒を建立せり、此の大事は仏滅後一千八百年が間の身毒・尸那・扶桑乃至一閻浮提第一の奇事なり、内証は竜樹・天台等には或は劣るにもや或は同じくもやあるらん、仏法の人をすべて一法となせる事は竜樹・天親にもこえ南岳・天台にもすぐれて見えさせ給うなり、総じては如来御入滅の後一千八百年が間此の二人こそ法華経の行者にてはをはすれ、故に秀句に云く「経に云く若し須弥を接つて他方無数の仏土に擲げ置かんも亦未だこれ難しとせず乃至若し仏の滅度悪世の中に於て能く此の経を説かん是則ちこれ難し云云、此経を釈して云く浅は易く深は難しとは釈迦の所判なり浅を去て深に就くは丈夫の心なり天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」云云、釈の心は賢劫第九の減・人寿百歳の時より如来・在世五十年・滅後一千八百余年が中間に高さ十六万八千由旬・六百六十二万里の金山を有人五尺の小身の手をもつて方一寸・二寸等の瓦礫をにぎりて一丁二丁までなぐるがごとく雀鳥のとぶよりもはやく鉄囲山の外へなぐる者はありとも法華経を仏のとかせ給いしやうに説かん人は末法にはまれなるべし、天台大師・伝教大師こそ仏説に相似してとかせ給いたる人にてをはすれとなり、天竺の論師はいまだ法華経へゆきつき給はず漢土の天台已前の人師は或はすぎ或はたらず、慈恩・法蔵・善無畏等は東を西といゐ天を地と申せる人人なり、此等は伝教大師の自讃にはあらず、去る延暦二十一年正月十九日高雄山に桓武皇帝行幸なりて六宗・七大寺の碩徳たる善議・勝猷・奉基・寵忍・賢玉・安福・勤操・修円・慈誥・玄耀・歳光・道証・光証・観敏等の十有余人、最澄法師と召し合せられて宗論ありしに或は一言に舌を巻いて二言三言に及ばず皆一同に頭をかたぶけ手をあざう、三論


の二蔵・三時・三転法輪・法相の三時・五性・華厳宗の四教・五教・根本枝末・六相・十玄・皆大綱をやぶらる、例せば大屋の棟梁のをれたるがごとし十大徳の慢幢も倒れにき、爾の時天子大に驚かせ給いて同二十九日に弘世・国道の両吏を勅使として重ねて七寺・六宗に仰せ下れしかば各各帰伏の状を載せて云く「竊に天台の玄疏を見れば総じて釈迦一代の教を括つて悉く其の趣を顕すに通ぜざる所無く独り諸宗に逾え殊に一道を示す其の中の所説甚深の妙理なり七箇の大寺六宗の学生昔より未だ聞かざる所曾て未だ見ざる所なり三論法相久年の諍い渙焉として氷の如く釈け照然として既に明かに猶雲霧を披いて三光を見るがごとし聖徳の弘化より以降今に二百余年の間講ずる所の経論其の数多く彼此理を争えども其の疑未だ解けず、而るに此の最妙の円宗未だ闡揚せず蓋し以て此の間の羣生未だ円味に応わざるか、伏して惟れば聖朝久しく如来の付を受け深く純円の機を結び一妙の義理始めて乃ち興顕し六宗の学者初めて至極を悟る此の界の含霊今より後悉く妙円の船に載り早く彼岸に済る事を得ると謂いつべし、乃至善議等牽れて休運に逢い乃ち奇詞を閲す深期に非ざるよりは何ぞ聖世に託せんや」等云云、彼の漢土の嘉祥等は百余人をあつめて天台大師を聖人と定めたり、今日本の七寺・二百余人は伝教大師を聖人とがうしたてまつる、仏の滅後二千余年に及んで両国に聖人二人・出現せり其の上天台大師の未弘の円頓大戒を叡山に建立し給う此れ豈像法の末に法華経広宣流布するにあらずや、答えて云く迦葉阿難等の弘通せざる大法を馬鳴・竜樹・提婆・天親等の弘通せる事前の難に顕れたり、又竜樹・天親等の流布し残し給える大法天台大師の弘通し給う事又難にあらはれぬ、又天台智者大師の弘通し給はざる円頓の大戒を伝教大師の建立せさせ給う事又顕然なり、但し詮と不審なる事は仏は説き尽し給えども仏滅後に迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・乃至天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法経文の面に現前なり、此の深法・今末法の始五五百歳に一閻浮提に広宣流布すべきやの事不審極り無きなり。