Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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兵衛志殿御返事 
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く「誰か福を捨て罪を慕う者あらんや」云云、福を捨てるとは天台大師を捨てる人なり、罪を慕うとは上に挙ぐる所の法相・三論・華厳・真言の元祖等なり、彼の諸師を捨て一向に天台大師を供養する人の其の福を今申すべし、三千大千世界と申すは東西南北・一須弥山・六欲梵天を一四天下となづく、百億の須弥山・四州等を小千と云う、小千の千を中千と云う、中千の千を大千と申す、此の三千大千世界を一にして四百万億那由佗国の六道の衆生を八十年やしなひ法華経より外の已今当の一切経を一一の衆生に読誦せさせて三明六通の阿羅漢・辟支仏・等覚の菩薩となせる一人の檀那と、世間出世の財を一分も施さぬ人の法華経計りを一字・一句・一偈持つ人と相対して功徳を論ずるに、法華経の行者の功徳勝れたる事・百千万億倍なり、天台大師此れに勝れたる事五倍なり、かかる人を供養すれば福を須弥山につみ給うなりと伝教大師ことはらせ給ひて候、此の由を女房には申させ給へ、恐恐謹言。

   大夫志殿御返事                  花押

兵衛志殿御返事

青鳧五貫文送り給び了んぬ、唱え奉る南無妙法蓮華経一返の事、恐恐。

  六月十八日                     日蓮花押

   兵衛志殿御返事


大夫志殿御返事

                    弘安四年十二月 六十歳御作

聖人一つつ味文字一をけ生和布一こ・聖人と味文字は・さてをき候いぬ生和布は始めてにて候、将又病の由聞かせ給いて不日に此の物して御使をもつて脚力につかわされて候事心ざし大海よりふかく善根は大地よりも厚し、かうじんかうじん、恐恐。

  十二月十一日                    日蓮花押

   大夫志殿御返事

八幡宮造営事

                    弘安四年五月 六十歳御作

此の法門申し候事すでに廿九年なり、日日の論義・月月の難・両度の流罪に身つかれ心いたみ候いし故にや此の七八年間が間・年年に衰病をこり候いつれどもなのめにて候いつるが、今年は正月より其の気分出来して既に一期をわりになりぬべし、其の上齢既に六十にみちぬ、たとひ十に一・今年はすぎ候とも一二をばいかでか・すぎ候べき、忠言は耳に逆い良薬は口に苦しとは先賢の言なりやせ病の者は命をきらう佞人は諫を用いずと申すなり、此の程は上下の人人の御返事申す事なし心も・ものうく手も・たゆき故なり、しかりと申せども此の事大事なれば苦を忍んで申すものうしと・おぼすらん一篇きこしめすべし、村上天皇の前中書王の書を投げ給いしがごとく・なることなかれ。


さては八幡宮の御造営につきて一定さむそうや有らんずらむと疑いまいらせ候なり、をやと云ひ我が身と申し二代が間きみに・めしつかはれ奉りてあくまで御恩のみなり、設一事相違すとも・なむのあらみかあるべき、わがみ賢人ならば設上より・つかまつるべきよし仰せ下さるるとも一往はなに事につけても辞退すべき事ぞかし、幸に讒臣等がことを左右によせば悦んでこそあるべきに望まるる事一の失なり、此れはさてをきぬ五戒を先生に持ちて今生に人身を得たり、されば云うに甲斐なき者なれども国主等謂なく失にあつれば守護の天いかりをなし給う況や命をうばわるる事は天の放ち給うなり、いわうや日本国・四十五億八万九千六百五十九人の男女をば四十五億八万九千六百五十九の天まほり給うらん、然るに他国よりせめ来る大難は脱るべしとも見え候はぬは、四十五億八万九千六百五十九人の人人の天にも捨てられ給う上・六欲・四禅・梵釈・日月・四天等にも放たれまいらせ給うにこそ候いぬれ、然るに日本国の国主等・八幡大菩薩をあがめ奉りなばなに事のあるべきと思はるるが、八幡は又自力叶いがたければ宝殿を焼きてかくれさせ給うか、然るに自の大科をば・かへりみず宝殿を造りてまほらせまいらせむと・おもへり。

日本国の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生が釈迦・多宝・十方分身の諸仏地涌と娑婆と他方との諸大士十方世界の梵釈日月四天に捨てられまひらせん分斉の事ならばはづかなる日本国の小神天照太神・八幡大菩薩の力及び給うべしや、其の時八幡宮は・つくりたりとも此の国他国にやぶらればくぼきところにちりたまりひききところに水あつまると、日本国の上一人より下万民にいたるまでさたせむ事は兼て又知れり、八幡大菩薩は本地は阿弥陀ほとけにまします、衛門の大夫は念仏無間地獄と申す阿弥陀仏をば火に入れ水に入れ其の堂をやきはらひ念仏者のくびを切れと申す者なり、かかる者の弟子檀那と成りて候が八幡宮を造りて候へども八幡大菩薩用いさせ給はぬゆへに此の国はせめらるるなりと申さむ時はいかがすべき、然るに天かねて此の事をしろしめすゆへ