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日蓮大聖人・池田大作

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妙法尼御前御返事  (1/2) 先臨終の事を習うて後に他事を習うべし
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妙法尼御前御返事

御消息に云くめうほうれんくゑきやうをよるひるとなへまいらせ、すでにちかくなりて二声かうしやうにとなへ、乃至いきて候し時よりもなをいろもしろくかたちもそむせずと云云。

法華経に云く「如是相乃至本末究竟等」云云、大論に云く「臨終の時色黒き者は地獄に堕つ」等云云、守護経に云く「地獄に堕つるに十五の相・餓鬼に八種の相・畜生に五種の相」等云云、天台大師の摩訶止観に云く「身の黒色は地獄の陰に譬う」等云云、夫以みれば日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし・風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべしと思いて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんがへあつめて此を明鏡として、一切の諸人の死する時と並に臨終の後とに引き向えてみ候へばすこしもくもりなし、此の人は地獄に堕ち給う乃至人天とはみへて候を、世間の人人或は師匠・父母等の臨終の相をかくして西方浄土往生とのみ申し候、悲いかな師匠は悪道に堕ちて多くの苦みしのびがたければ、弟子はとどまりゐて師の臨終をさんだんし地獄の苦を増長せしむる、譬へばつみふかき者を口をふさいできうもんしはれ物の口をあけずしてやまするがごとし。

しかるに今の御消息に云くいきて候し時よりも・なをいろしろくかたちもそむせずと云云、天台の云く白白は天に譬ふ、大論に云く「赤白端正なる者は天上を得る」云云、天台大師御臨終の記に云く色白し、玄奘三蔵御臨終を記して云く色白し、一代聖教を定むる名目に云く「黒業は六道にとどまり白業は四聖となる」此等の文証と現証をもんてかんがへて候に、此の人は天に生ぜるか、はた又法華経の名号を臨終に二反となうと云云、法華


経の第七の巻に云く「我滅度の後に於て応に此の経を受持すべし、是の人仏道に於て決定して疑有ること無けん」云云、一代の聖教いづれもいづれもをろかなる事は候はず、皆我等が親父・大聖教主釈尊の金言なり皆真実なり皆実語なり、其の中にをいて又小乗・大乗・顕教・密教・権大乗・実大乗あいわかれて候、仏説と申すは二天・三仙・外道・道士の経経にたいし候へば・此等は妄語・仏説は実語にて候、此の実語の中に妄語あり実語あり綺語もあり悪口もあり、其の中に法華経は実語の中の実語なり・真実の中の真実なり、真言宗と華厳宗と三論と法相と倶舎・成実と律宗と念仏宗と禅宗等は実語の中の妄語より立て出だせる宗宗なり、法華宗は此れ等の宗宗には・にるべくもなき実語なり、法華経の実語なるのみならず一代妄語の経経すら法華経の大海に入りぬれば法華経の御力にせめられて実語となり候、いわうや法華経の題目をや、白粉の力は漆を変じて雪のごとく白くなす・須弥山に近づく衆色は皆金色なり、法華経の名号を持つ人は一生乃至過去遠遠劫の黒業の漆変じて白業の大善となる、いわうや無始の善根皆変じて金色となり候なり。

しかれば故聖霊・最後臨終に南無妙法蓮華経と・となへさせ給いしかば、一生乃至無始の悪業変じて仏の種となり給う、煩悩即菩提・生死即涅槃・即身成仏と申す法門なり、かかる人のえんの夫妻にならせ給へば又女人成仏も疑なかるべし、若し此の事虚事ならば釈迦・多宝・十方・分身の諸仏は妄語の人・大妄語の人・悪人なり、一切衆生をたぼらかして地獄におとす人なるべし、提婆達多は寂光浄土の主となり教主釈尊は阿鼻大城のほのをにむせび給うべし、日月は地に落ち大地はくつがへり河は逆に流れ須弥山はくだけをつべし、日蓮が妄語にはあらず十方三世の諸仏の妄語なりいかでか其の義候べきとこそ・をぼへ候へ、委くは見参の時申すべく候。

  七月十四日                     日蓮花押

   妙法尼御前申させ給へ


妙法比丘尼御返事

御文に云くたふかたびら一つあによめにて候女房のつたうと云云、又おはりの次郎兵衛殿六月二十二日に死なせ給うと云云。

付法蔵経と申す経は仏我が滅後に我が法を弘むべきやうを説かせ給いて候、其の中に我が滅後正法一千年が間次第に使をつかはすべし、第一は迦葉尊者二十年・第二は阿難尊者二十年・第三は商那和修二十年・乃至第二十三は師子尊者なりと云云、其の第三の商那和修と申す人の御事を仏の説かせ給いて候やうは、商那和修と申すは衣の名なり、此の人生れし時衣をきて生れて候いき不思議なりし事なり、六道の中に地獄道より人道に至るまでは何なる人も始はあかはだかにて候に天道こそ衣をきて生れ候へ、たとひ何なる賢人聖人も人に生るるならひは皆あかはだかなり、一生補処の菩薩すら尚はだかにて生れ給へり何かに況や其の外をや、然るに此の人は商那衣と申すいみじき衣にまとはれて生れさせ給いしが、此の衣は血もつかずけがるる事もなし、譬えば池に蓮のをひをしの羽の水にぬれざるが如し、此の人次第に生長ありしかば又此の衣次第に広く長くなる、冬はあつく夏はうすく春は青く秋は白くなり候し程に・長者にて・をはせしかば何事もともしからず、後には仏の記しをき給いし事たがふ事なし、故に阿難尊者の御弟子とならせ給いて御出家ありしかば此の衣変じて五条・七条・九条等の御袈裟となり候き、かかる不思議の候し故を仏の説かせ給いしやうは・乃往過去・阿僧祗劫の当初・此の人は商人にて有りしが、五百人の商人と共に大海に船を浮べてあきなひをせし程に海辺に重病の者あり、しかれども辟支仏と申して貴人なり、先業にてや有りけん、病にかかりて身やつれ心をぼれ不浄にまとはれてをはせしを、此の商人あは