Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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一念三千理事  (2/4) 如是因は心なり止に云く因とは果を招くを因と…
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問う十二因縁を三世両重に分別する方如何、答う無明と行とは過去の二因なり識と名色と六入と触と受とは現在の五果なり愛と取と有とは現在の三因なり生と老死とは未来の両果なり、私の略頌に云く過去の二因無明行現在の五果識名色六入触受現在の三因愛取有未来の両果生老死と、問う十二因縁流転の次第如何、答う無明は行に縁たり行は識に縁たり識は名色に縁たり名色は六入に縁たり六入は触に縁たり触は受に縁たり受は愛に縁たり愛は取に縁たり取は有に縁たり有は生に縁たり生は老死憂悲苦悩に縁たり是れ其の生死海に流転する方なり此くの如くして凡夫とは成るなり、問う還滅の十二因縁の様如何答う無明滅すれば則ち行滅す行滅すれば則ち識滅す識滅すれば則ち名色滅す名色滅すれば則ち六入滅す六入滅すれば則ち触滅す触滅すれば則ち受滅す受滅すれば則ち愛滅す愛滅すれば則ち取滅す取滅すれば則ち有滅す有滅すれば則ち生滅す生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す、是れ其の還滅の様なり仏は還つて煩悩を失つて行く方なり私に云く中有の人には十二因縁具に之無し又天上にも具には之無く又無色界にも具には之無し。一念三千理事 十如是とは如是相は身なり玄二に云く相以て外に拠る覧て別つ可し文籤六に云く相は唯色に在り文、如是性は心なり玄二に云く性以て内に拠る自分改めず文籤六に云く性は唯心に在り文、如是体は身と心となり玄二に云く主質を名けて体となす文、如是力は身と心となり止に云く力は堪忍を用となす文如是作は身と心となり止に云く建立を作と名く文、如是因は心なり止に云く因とは果を招くを因と為す亦名けて業となす文、如是縁止に云く縁は縁業を助くるに由る文、如是果止に云く果は剋獲を果と為す文、如是報止に云く報は酬因を報と曰う文、如是本末究竟等玄二に云く初めの相を本と為し後ちの報を末と為す文、三種世間とは五陰世間止に云く十種陰果不同を以ての故に五陰世間と名くるなり文、衆生世間止に云く十界の衆生寧ろ異らざるを得る故に衆生世間と名くるなり文、国土世間止に云く十種の所居通じて国土世間と称す文、五陰とは新訳には五蘊と云うなり陰とは聚集の義なり一に色陰・五色是なり・二に受陰・領納是なり・三に想陰・倶舎に云く想は像を取るを体と為すと文・四に行陰・造作是行なり・五に識陰・了別是れ識なり・止の五に婆沙を引いて云く識・先ず了別し・次に受は領納し・相は相貌を取り・行は違従を起し・色は行に由つて感ずと。


百界千如三千世間の事、十界互具即百界と成るなり、地獄衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是地下赤鉄、餓鬼衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是地下・畜生衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是水陸空修羅衆生世間十如是・五陰世間十如是国土世間十如是海畔底、人衆生世間十如是、五陰世間十如是・国土世間十如是須弥四州、天衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是宮殿声聞衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是同居土、縁覚衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是同居土、菩薩衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是同居方便実報、仏衆生世間十如是・五陰世間十如是・国土世間十如是寂光土

止観の五に云く「心縁と合すれば則ち三種世間・三千の性相皆心より起る」文、弘の五に云く「故に止観に正しく観法を明すに至つて並びに三千を以て指南と為す、乃ち是れ終窮究竟の極説なり故に序の中に説己心中所行の法門と云う良に以有るなり、請う尋ねて読まん者心に異縁無かれ」文、又云く「妙境の一念三千を明さずんば如何ぞ一に一切を摂ることを識る可けん、三千は一念の無明を出でず是の故に唯苦因苦果のみ有り」文、又云く「一切の諸業十界百界千如三千世間を出でざるなり」文、籤の二に云く「仮は即ち衆生実は即ち五陰及び国土即ち三世間なり千の法は皆三なり故に三千有り」文、弘の五に云く「一念の心に於て十界に約せざれば事を収むること徧からず三諦に約せざれば理を摂ること周からず十如を語らざれば因果備わらず三世間無んば依正尽きず」文、記の一に云く「若三千に非ざれば摂ること徧からず若し円心に非ざれば三千を摂せず」文、玄の二に云く「但衆生法は太だ広く仏法は太だ高し初学に於て難と為し心は則ち易しと為す」文、弘の五に云く「初に華厳を引くことは心の工なる画師の如く種種の五陰を造る一切世界の中に法として造らざること無し、心の如く仏も亦爾なり仏の如く衆生も然なり心仏及び衆生是の三差別無し若し人三世一切の仏を求め知らんと欲せば当に是くの如く観ずべし心は諸の如来を造る」と、金錍論に云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如・十如は必ず十界・十界は必ず身土なり」


三身釈の事、先ず法身とは大師大経を引いて「一切の世諦は若し如来に於ては即ち是第一義諦なり衆生顛倒して仏法に非ずと謂えり」と釈せり、然れば則ち自他・依正・魔界・仏界・染浄因果は異なれども悉く皆諸仏の法身に背く事に非ざれば善星比丘が不信なりしも楞伽王の信心に同じく般若蜜外道が意の邪見なりしも須達長者が正見に異らず、即ち知んぬ此の法身の本は衆生の当体なり、十方諸仏の行願は実に法身を証するなり、次に報身とは大師の云く「法如如の智如如真実の道に乗じ来つて妙覚を成ず智如の理に称う理に従つて如と名け智に従つて来と名く即ち報身如来なり盧舎那と名け此には浄満と翻ず」と釈せり、此れは如如法性の智如如真実の道に乗じて妙覚究竟の理智・法界と冥合したる時・理を如と名く智は来なり。