Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝 
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御義口伝

南無妙法蓮華経

御義口伝に云く南無とは梵語なり此には帰命と云う、人法之れ有り人とは釈尊に帰命し奉るなり法とは法華経に帰命し奉るなり又帰と云うは迹門不変真如の理に帰するなり命とは本門随縁真如の智に命くなり帰命とは南無妙法蓮華経是なり、釈に云く随縁不変・一念寂照と、又帰とは我等が色法なり命とは我等が心法なり色心不二なるを一極と云うなり、釈に云く一極に帰せしむ故に仏乗と云うと、又云く南無妙法蓮華経の南無とは梵語・妙法蓮華経は漢語なり梵漢共時に南無妙法蓮華経と云うなり、又云く梵語には薩達磨・芬陀梨伽・蘇多覧と云う此には妙法蓮華経と云うなり、薩は妙なり、達磨は法なり、芬陀梨伽は蓮華なり蘇多覧は経なり、九字は九尊の仏体なり九界即仏界の表示なり、妙とは法性なり法とは無明なり無明法性一体なるを妙法と云うなり蓮華とは因果の二法なり是又因果一体なり経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて経と為すと、或は三世常恒なるを経と云うなり、法界は妙法なり法界は蓮華なり法界は経なり蓮華とは八葉九尊の仏体なり能く能く之を思う可し已上

 伝云序品七箇の大事   方便品八箇の大事    譬喩品九箇の大事
 信解品六箇の大事    薬草喩品五箇の大事   授記品四箇の大事
 化城喩品七箇の大事   五百品三箇の大事    人記品二箇の大事
 法師品十六箇の大事   宝塔品二十箇の大事   提婆品八箇の大事

 勧持品十三箇の大事   安楽行品五箇の大事   涌出品一箇の大事
 寿量品二十七箇の大事  分別功徳品三箇の大事  随喜品二箇の大事
 法師功徳品四箇の大事  不軽品三十箇の大事   神力品八箇の大事
 嘱累品三箇の大事    薬王品六箇の大事    妙音品三箇の大事
 普門品五箇の大事    陀羅尼品六箇の大事   厳王品三箇の大事
 普賢品六箇の大事    無量義経六箇の大事   普賢経五箇の大事
已上二百三十一箇条也此の外に別伝之有り具さに之を記し訖ぬ。

御義口伝巻上

         日蓮所立自序品至涌出品

       序品七箇の大事

第一 如是我聞の事

文句の一に云く如是とは所聞の法体を挙ぐ我聞とは能持の人なり記の一に云く故に始と末と一経を所聞の体と為す。

御義口伝に云く所聞の聞は名字即なり法体とは南無妙法蓮華経なり能持とは能の字之を思う可し、次に記の一の故始末一経の釈は始とは序品なり末とは普賢品なり法体とは心と云う事なり法とは諸法なり諸法の心と云う事なり諸法の心とは妙法蓮華経なり、伝教云く法華経を讃むると雖も還つて法華の心を死すと、死の字に心を留めて之を案ず可し不信の人は如是我聞の聞には非ず法華経の行者は如是の体を聞く人と云う可きなり、爰を以て文句の一に云く「如是とは信順の辞なり信は則ち所聞の理会し順は則ち師資の道成ず」と、所詮日蓮等の


類いを以て如是我聞の者と云う可きなり云云。

第二 阿若憍陳如の事

疏の一に云く憍陳如は姓なり此には火器と翻ず婆羅門種なり其の先火に事こう此れに従て族に命く、火に二義有り照なり焼なり照は則ち闇生ぜず、焼は則ち物生ぜず・此には不生を以て姓と為す。御義口伝に云く火とは法性の智火なり、火の二義とは一の照は随縁真如の智なり一の焼は不変真如の理なり照焼の二字は本迹二門なり、さて火の能作としては照焼の二徳を具うる南無妙法蓮華経なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し晴して涅槃の智火明了なり生死即涅槃と開覚するを照則闇不生とは云うなり、煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり煩悩即菩提と開覚するを照則物不生とは云うなり、爰を以て之を案ずるに陳如は我等法華経の行者の煩悩即菩提生死即涅槃を顕したり云云。

第三 阿闍世王の事

文句の一に云く阿闍世王とは未生怨と名く、又云く大経に云く阿闍世とは未生怨と名く又云く大経に云く阿闍を不生と名く世とは怨と名く。御義口伝に云く日本国の一切衆生は阿闍世王なり既に諸仏の父を殺し法華経の母を害するなり、無量義経に云く諸仏の国王と是の経の夫人と和合して共に是の菩薩の子を生む、謗法の人・今は母の胎内に処しながら法華の怨敵たり豈未生怨に非ずや、其の上日本国当世は三類の強敵なり世者名怨の四字に心を留めて之を案ず可し。日蓮等の類い此の重罪を脱れたり謗法の人人法華経を信じ釈尊に帰し奉らば何ぞ已前の殺父殺母の重罪滅せざらんや、但し父母なりとも法華経不信の者ならば殺害す可きか、其の故は権教の愛を成す母・方便真実を明めざる父をば殺害す可しと見えたり、仍て文句の二に云く「観解は貪愛の母・無明の父・此れを害する故に逆と称す逆即順なり非道を行じて仏道に通達す」と、観解とは末法・当今は題目の観解なる可し子として父母を殺害するは逆なり、然りと雖も法華経不信の父母を殺しては順となるなり爰を以て逆即是順と釈せり、今日蓮等の