Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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下山御消息  (8/22) 讒言を企て日蓮が頸をきらせまいらせん
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日が間に若一雨も下らば御弟子となりて二百五十戒具さに持たん上に、念仏無間地獄と申す事ひがよみなりけりと申すべし余だにも帰伏し奉らば我弟子等をはじめて日本国・大体かたぶき候なん」と云云、七日が間に三度の使をつかはす、然れどもいかんがしたりけむ一雨も下らざるの上、頽風・颷風・旋風・暴風等の八風・十二時にやむ事なし剰二七日まで一雨も下らず風もやむ事なし、されば此の事は何事ぞ和泉式部と云いし色好み能因法師と申せし無戒の者此は彼の両火房がいむところの三十一字ぞかし、彼の月氏の大盗賊・南無仏と称せしかば天頭を得たり、彼の両火房並に諸僧等の二百五十戒・真言法華の小法・大法の数百人の仏法の霊験いかなれば婬女等の誑言・大盗人が称仏には劣らんとあやしき事なり、此れを以て彼等が大科をばしらるべきにさはなくして還つて讒言をもちゐらるるは実とはおぼへず所詮・日本国亡国となるべき期来るか、又祈雨の事はたとひ雨下らせりとも雨の形貌を以て祈る者の賢・不賢を知る事あり雨種種なり或は天雨或は竜雨或は修羅雨或は麤雨或は甘雨或は雷雨等あり、今の祈雨は都て一雨も下らざる上二七日が間前よりはるかに超過せる大旱魃・大悪風・十二時に止む事なし、両火房真の人ならば忽に邪見をもひるがへし跡をも山林にかくすべきに其の義なくして面を弟子檀那等にさらす上剰讒言を企て日蓮が頸をきらせまいらせんと申し上あづかる人の国まで状を申し下して種をたたんとする大悪人なり、而るを無智の檀那等は恃怙して現世には国をやぶり後生には無間地獄に堕ちなん事の不便さよ、起世経に云く「諸の衆生有りて放逸を為し清浄の行を汚す故に天・雨を下さず」又云く「不如法あり慳貪・嫉妬・邪見・顛倒なる故に天則ち雨を下さず」又経律異相に云く「五事有て雨無し一二三之を略す四には雨師婬乱五には国王理をもつて治めず雨師瞋る故に雨ふらず」云云、此等の経文の亀鏡をもて両火房が身に指し当て見よ少もくもりなからん、一には名は持戒ときこゆれども実には放逸なるか・二には慳貪なるか・三には嫉妬なるか・四には邪見なるか・五には婬乱なるか・此の五にはすぐべからず、又此の経は両火房一人には限るべからず昔をかがみ今を


もしれ、弘法大師の祈雨の時二七日の間一雨も下らざりしもあやしき事なり、而るを誑惑の心強盛なりし人なれば天子の御祈雨の雨を盗み取て我が雨と云云、善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の祈雨の時も小雨は下たりしかども三師共に大風連連と吹いて勅使をつけてをはれしあさましさと、天台大師・伝教大師の須臾と三日が間に帝釈雨を下らして小風も吹かざりしもたとくぞおぼゆるおぼゆる。

法華経に云く「或は阿練若に納衣にして空閑に在りて、乃至利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如きもの有らん」又云く「常に大衆の中に在て我等を毀らんと欲するが故に国王大臣婆羅門居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説き乃至悪鬼其の身に入つて我を罵詈毀辱せん」、又云く「濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らずして悪口して顰蹙し数数擯出せられん」等云云、涅槃経に云く「一闡提有つて羅漢の像を作し空処に住し方等大乗経典を誹謗す諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢是れ大菩薩なりと謂えり」等云云、今予・法華経と涅槃経との仏鏡をもつて当時の日本国を浮べて其影をみるに誰の僧か国主に六通の羅漢の如くたとまれて而も法華経の行者を讒言して頸をきらせんとせし、又いづれの僧か万民に大菩薩とあをがれたる、誰の智者か法華経の故に度度・処処を追はれ頸をきられ弟子を殺され両度まで流罪せられて最後に頸に及ばんとせし、眼無く耳無きの人は除く眼有り耳有らん人は経文を見聞せよ、今の人人は人毎とに経文を我もよむ我も信じたりといふ只にくむところは日蓮計なり経文を信ずるならば慥にのせたる強敵を取出して経文を信じてよむしるしとせよ、若し爾らずんば経文の如く読誦する日蓮をいかれるは経文をいかれるにあらずや仏の使をかろしむるなり、今の代の両火房が法華経の第三の強敵とならずば釈尊は大妄語の仏・多宝・十方の諸仏は不実の証明なり、又経文まことならば御帰依の国主は現在には守護の善神にすてられ国は他の有となり後生には阿鼻地獄疑なし、而るに彼等が大悪法を尊まるる故に理不尽の政道出来す彼の国主の僻見の心を推するに日


蓮は阿弥陀仏の怨敵・父母の建立の堂塔の讎敵なれば仮令政道をまげたりとも仏意には背かじ天神もゆるし給うべしとをもはるるか、はかなしはかなし委細にかたるべけれども此れは小事なれば申さず心有らん者推して知んぬべし、上に書挙るより雲泥大事なる日本第一の大科此の国に出来して年久くなる間、此の国既に梵釈・日月・四天・大王等の諸天にも捨てられ守護の諸大善神も還つて大怨敵となり法華経守護の梵帝等・鄰国の聖人に仰せ付けて日本国を治罰し仏前の誓状を遂げんとおぼしめす事あり。

夫れ正像の古へは世濁世に入るといへども始めなりしかば国土さしも乱れず聖賢も間間出現し福徳の王臣も絶えざりしかば政道も曲る事なし万民も直かりし故に小科を対治せんがために三皇・五帝・三王・三聖等・出現して墳典を作りて代を治す、世しばらく治りたりしかども漸漸にすへになるままに聖賢も出現せず福徳の人もすくなければ三災は多大にして七難・先代に超過せしかば外典及びがたし、其の時治を代えて内典を用いて世を治す随つて世且くはおさまるされども又世末になるままに人の悪は日日に増長し政道は月月に衰減するかの故に又三災・七難先よりいよいよ増長して小乗戒等の力験なかりしかば其の時治をかへて小乗の戒等を止めて大乗を用ゆ、大乗又叶わねば法華経の円頓の大戒壇を叡山に建立して代を治めたり、所謂伝教大師・日本三所の小乗戒並に華厳・三論・法相の三大乗戒を破失せし是なり、此の大師は六宗をせめ落させ給うのみならず禅宗をも習い極め剰え日本国にいまだひろまらざりし法華宗・真言宗をも勘え出して勝劣鏡をかけ顕密の差別・黒白なり、然れども世間の疑を散じがたかりしかば去る延暦年中に御入唐・漢土の人人も他事には賢かりしかども法華経・大日経・天台・真言の二宗の勝劣・浅深は分明に知らせ給はざりしかば、御帰朝の後・本の御存知の如く妙楽大師の記の十の不空三蔵の改悔の言を含光がかたりしを引き載せて天台勝れ真言劣なる明証を依憑集に定め給う剰え真言宗の宗の一字を削り給う、其の故は善無畏・金剛智・不空の三人・一行阿闍梨をたぼらかして本はなき大日経に天台の己証の一念