Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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呵責謗法滅罪抄  (3/7) 星の虚空に充満するが如し
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ならず宝浄世界の多宝如来・大地より七宝の塔に乗じて涌現せさせ給ふ、三千大千世界の外に四百万億那由佗の国土を浄め高さ五百由旬の宝樹を尽一箭道に殖え並べて・宝樹一本の下に五由旬の師子の座を敷き並べ十方分身の仏尽く来り坐し給ふ、又釈迦如来は垢衣を脱で宝塔を開き多宝如来に並び給ふ、譬えば青天に日月の並べるが如し帝釈と頂生王との善法堂に在すが如し、此の界の文殊等・他方の観音等・十方の虚空に雲集せる事・星の虚空に充満するが如し、此の時此の土には華厳経の七処八会・十方世界の台上の盧舎那仏の弟子・法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵等の十方刹土・塵点数の大菩薩雲集せり、方等の大宝坊・雲集の仏菩薩・般若経の千仏・須菩提帝釈等・大日経の八葉九尊の四仏・四菩薩・金剛頂経の三十七尊等・涅槃経の倶尸那城へ集会せさせ給いし十方法界の仏菩薩をば文殊・弥勒等互に見知して御物語り是ありしかば此等の大菩薩は出仕に物狎れたりと見え候、今此の四菩薩出でさせ給うて後・釈迦如来には九代の本師・三世の仏の御母にておはする文殊師利菩薩も一生補処と・ののしらせ給ふ弥勒等も此の菩薩に値いぬれば物とも見えさせ給はず、譬えば山かつが月卿に交り猨猴が師子の座に列るが如し、此の人人を召して妙法蓮華経の五字を付属せさせ給いき、付属も只ならず十神力を現じ給ふ、釈迦は広長舌を色界の頂に付け給へば諸仏も亦復是くの如く四百万億那由佗の国土の虚空に諸仏の御舌赤虹を百千万億・並べたるが如く充満せしかばおびただしかりし事なり、是くの如く不思議の十神力を現じて結要付属と申して法華経の肝心を抜き出して四菩薩に譲り、我が滅後に十方の衆生に与へよと慇懃に付属して其の後又一つの神力を現じて文殊等の自界他方の菩薩・二乗・天人・竜神等には一経乃至・一代聖教をば付属せられしなり、本より影の身に随つて候様につかせ給ひたりし迦葉・舎利弗等にも此の五字を譲り給はず此れは・さてをきぬ、文殊・弥勒等には争か惜み給うべき器量なくとも嫌い給うべからず、方方不審なるを或は他方の菩薩は此の土に縁少しと嫌ひ、或は此の土の菩薩なれども娑婆世界に結縁の日浅し、或は我が弟子なれども初発心の弟子にあらずと嫌はれさせ


給ふ程に、四十余年・並びに迹門十四品の間は一人も初発心の御弟子なし、此の四菩薩こそ五百塵点劫より已来・教主釈尊の御弟子として初発心より又他仏につかずして二門をもふまざる人人なりと見えて候、天台の云く「但下方の発誓を見る」等云云、又云く「是れ我が弟子なり応に我が法を弘むべし」等云云、妙楽の云く「子父の法を弘む」等云云、道暹云く「法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云、此の妙法蓮華経の五字をば此の四人に譲られ候。

而るに仏の滅後・正法一千年・像法一千年・末法に入つて二百二十余年が間・月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に未だ一度も出でさせ給はざるは何なる事にて有るらん、正くも譲らせ給はざりし文殊師利菩薩は仏の滅後四百五十年まで此の土におはして大乗経を弘めさせ給ひ、其の後も香山・清涼山より度度来つて大僧等と成つて法を弘め、薬王菩薩は天台大師となり観世音は南岳大師と成り、弥勒菩薩は傅大士となれり、迦葉阿難等は仏の滅後二十年・四十年・法を弘め給ふ、嫡子として譲られさせ給へる人の未だ見えさせ給はず、二千二百余年が間・教主釈尊の絵像・木像を賢王・聖主は本尊とす、然れども但小乗・大乗・華厳・涅槃・観経・法華経の迹門・普賢経等の仏・真言・大日経等の仏・宝塔品の釈迦・多宝等をば書けどもいまだ寿量品の釈尊は山寺精舎にましまさず何なる事とも量りがたし、釈迦如来は後五百歳と記し給ひ正像二千年をば法華経流布の時とは仰せられず、天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾わん」と未来に譲り、伝教大師は「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等と書き給いて、像法の末は未だ法華経流布の時ならずと我と時を嫌ひ給ふ、されば・をしはかるに地涌千界の大菩薩は釈迦・多宝・十方の諸仏の御譲り御約束を空く黙止て・はてさせ給うべきか。

外典の賢人すら時を待つ郭公と申す畜鳥は卯月五月に限る、此の大菩薩も末法に出ずべしと見えて候、いかんと候べきぞ瑞相と申す事は内典・外典に付いて必ず有るべき事の先に現ずるを云うなり、蜘蛛かかつて喜事来り


鳱鵲鳴いて客人来ると申して小事すら験先に現ず何に況や大事をや、されば法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞なり、涌出品は又此れには似るべくもなき大瑞なり、故に天台の云く「雨の猛きを見ては竜の大きなる事を知り華の盛なるを見ては池の深き事を知る」と書かれて候、妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を知る」と云云、今日蓮も之を推して智人の一分とならん、去る正嘉元年太歳丁巳八月二十三日・戌亥の刻の大地震と、文永元年太歳甲子七月四日の大彗星、此等は仏滅後二千二百余年の間・未だ出現せざる大瑞なり、此の大菩薩の此の大法を持ちて出現し給うべき先瑞なるか、尺の池には丈の浪たたず驢・吟ずるに風・鳴らず、日本国の政事乱れ万民歎くに依つては此の大瑞現じがたし、誰か知らん法華経の滅不滅の大瑞なりと。

二千余年の間・悪王の万人に訾らるる謀叛の者の諸人に・あだまるる等日蓮が失もなきに高きにも下きにも罵詈毀辱刀杖瓦礫等ひまなき事二十余年なり、唯事にはあらず過去の不軽菩薩の威音王仏の末に多年の間・罵詈せられしに相似たり、而も仏・彼の例を引いて云く我が滅後の末法にも然るべし等と記せられて候に近くは日本遠くは漢土等にも法華経の故にかかる事有りとは未だ聞かず人は悪んで是を云はず、我と是を云はば自讃に似たり、云わずば仏語を空くなす過あり、身を軽んじて法を重んずるは賢人にて候なれば申す、日蓮は彼の不軽菩薩に似たり、国王の父母を殺すも民が考妣を害するも上下異なれども一因なれば無間におつ、日蓮と不軽菩薩とは位の上下はあれども同業なれば彼の不軽菩薩成仏し給はば日蓮が仏果疑うべきや、彼は二百五十戒の上慢の比丘に罵られたり、日蓮は持戒第一の良観に讒訴せられたり、彼は帰依せしかども千劫阿鼻獄におつ、此れは未だ渇仰せず知らず無数劫をや経んずらん不便なり不便なり。

疑つて云く正嘉の大地震等の事は去る文応元年太歳庚甲七月十六日宿屋の入道に付けて故最明寺入道殿へ奉る所の勘文・立正安国論には法然が選択に付いて日本国の仏法を失ふ故に天地瞋をなし自界叛逆難と他国侵遍難起るべ