Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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兄弟抄  (6/10) すこしも・をづる心なかれ
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となりし事は・いかに人の上とをぼすか当時も・かのうてに向かいたる人人のなげき老たるをやをさなき子わかき妻めづらしかりしすみかうちすてて・よしなき海をまほり雲の・みうればはたかと疑い・つりぶねの・みゆれば兵船かと肝心をけす、日に一二度山えのぼり夜に三四度馬にくらををく、現身に修羅道をかんぜり、各各のせめられさせ給う事も詮するところは国主の法華経の・かたきと・なれるゆへなり、国主のかたきと・なる事は持斎等・念仏真言師等が謗法よりをこれり、今度ねうしくらして法華経の御利生心みさせ給へ、日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり、いよいよ・をづる心ねすがた・をはすべからず、定んで女人は心よはく・をはすれば・ごぜたちは心ひるがへりてや・をはすらん、がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ、わだが子となりしもの・わかさのかみが子となりし・将門・貞当が郎従等となりし者、仏になる道には・あらねども・はぢを・をもへば命をしまぬ習いなり、なにと・なくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人に・わらはれさせ給うなよ。

あまりに・をぼつかなく候へば・大事のものがたり一つ申す、白ひ叔せいと申せし者は胡竹国の王の二人の太子なり、父の王・弟の叔せいに位をゆづり給いき、父しして後・叔せい位につかざりき、白ひが云く位につき給え叔せいが云く兄位を継ぎ給え白ひが云くいかに親の遺言をばたがへ給うぞと申せしかば親の遺言はさる事なれどもいかんが兄を・をきては位には即くべきと辞退せしかば、二人共に父母の国をすてて他国へわたりぬ、周の文王に・つかへしほどに文王殷の紂王に打たれしかば武王・百箇日が内に・いくさを・をこしき、白ひ叔せいは武王の馬の口に・とりつきて・いさめて云くをやのしして後・三箇年が内にいくさを・をこすはあに不孝にあらずや、武王いかりて白ひ叔せいを打たんと・せしかば大公望せいして打たせざりき、二人は此の王をうとみて・すやうと申す山にかくれゐてわらびを・をりて命を・つぎしかば、麻子と申す者ゆきあひて云くいかに・これには・をはするぞ二人


上件の事をかたりしかば麻子が云くさるにては・わらびは王の物にあらずや、二人せめられて爾の時より・わらびをくわず、天は賢人をすて給わぬならひなれば天・白鹿と現じて乳を・もつて二人をやしなひき、白鹿去つて後に叔せいが云く此の白鹿の乳をのむだにも・うまし・まして肉をくわんと・いゐしかば白ひせいししかども天これを・ききて来らず、二人うへて死ににき、一生が間・賢なりし人も一言に身をほろぼすにや、各各も御心の内はしらず候へば・をぼつかなし・をぼつかなし。

釈迦如来は太子にて・をはせし時・父の浄飯王・太子を・をしみたてまつりて出家をゆるし給はず、四門に二千人の・つわものをすへて・まほらせ給ひしかども、終に・をやの御心をたがへて家を・いでさせ給いき、一切は・をやに随うべきにてこそ候へども・仏になる道は随わぬが孝養の本にて候か、されば心地観経には孝養の本をとかせ給うには棄恩入無為・真実報恩者等云云、言は・まことの道に入るには父母の心に随わずして家を出て仏になるが・まことの恩をほうずるにてはあるなり、世間の法にも父母の謀反なんどを・をこすには随わぬが孝養とみへて候ぞかし、孝経と申す経に見へて候、天台大師も法華経の三昧に入らせ給いて・をはせし時は父母・左右のひざに住して仏道をさえんとし給いしなり、此れは天魔の父母のかたちをげんじてさうるなり。

白ひすくせいが因縁は・さきにかき候ぬ、又第一の因縁あり、日本国の人王・第十六代に王をはしき応神天王と申す今の八幡大菩薩これなりこの王の御子二人まします嫡子をば仁徳・次男は宇治王子天王・次男の宇治の王子に位をゆづり給いき、王ほうぎよならせ給いて後・宇治の王子の云く兄位につき給うべし、兄の云く、いかに・をやの御ゆづりをば・もちゐさせ給わぬぞ、かくのごとく・たがいにろむじて、三箇年が間・位に王をはせざりき、万民のなげき・いうばかりなし・天下のさいにて・ありしほどに、宇治の王子云く我いきて・あるゆへにあに位に即き給わずといつて死させ給いにき、仁徳これを・なげかせ給いて又ふししづませ給いしかば、宇治の王子い


きかへりて・やうやうに・をほせをかせ給いて・又ひきいらせ給いぬ、さて仁徳・位につかせ給いたりしかば国をだやかなる上しんら・はくさひ・かうらいも日本国にしたがひて・ねんぐを八十そうそなへけると・こそみへて候へ。

賢王のなかにも・兄弟をだやかならぬれいもあるぞかし・いかなるちぎりにて兄弟かくは・をはするぞ浄蔵・浄眼の二人の太子の生れかはりて・をはするか・薬王・薬上の二人か、大夫志殿の御をやの御勘気はうけ給わりしかどもひやうへの志殿の事は今度は・よも・あにには・つかせ給はじ・さるにては・いよいよ大夫志殿のをやの御不審は・をぼろげにては・ゆりじなんど・をもつて候へば・このわらわの申し候は・まことにてや候らん、御同心と申し候へば・あまりの・ふしぎさに別の御文をまいらせ候、未来までの・ものがたりなに事か・これにすぎ候べき。

西域と申す文にかきて候は月氏に婆羅痆斯国・施鹿林と申すところに一の隠士あり仙の法を成ぜんとをもう、すでに瓦礫を変じて宝となし人畜の形をかえけれどもいまだ風雲にのつて仙宮にはあそばざりけり、此の事を成ぜんがために一の烈士をかたらひ長刀をもたせて壇の隅に立てて息をかくし言をたつ、よひよりあしたにいたるまで・ものいはずば仙の法・成ずべし、仙を求る隠士は壇の中に坐して手に長刀をとつて口に神呪をずうす約束して云く設ひ死なんとする事ありとも物言う事なかれ烈士云く死すとも物いはじ、此の如くして既に夜中を過ぎて夜まさにあけんとする時、如何が思いけん烈士大に声をあげて呼はる、既に仙の法成ぜず、隠士烈士に言つて云く何に約束をばたがふるぞ口惜しき事なりと云う、烈士歎いて云く少し眠つてありつれば昔し仕へし主人自ら来りて責めつれども師の恩厚ければ忍で物いはず、彼の主人怒つて頸をはねんと云う、然而又ものいはず、遂に頸を切りつ中陰に趣く我が屍を見れば惜く歎かし然而物いはず、遂に南印度の婆羅門の家に生れぬ入胎出胎するに大苦忍びがたし然而息を出さず、又物いはず已に冠者となりて妻をとつぎぬ、又親死ぬ又子をまうけたり、