Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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四条金吾殿御返事  (2/3) 身はをちねども心をち
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或はをち或はかへり矢をいる、或は身はをちねども心をち或は心は・をちねども身はをちぬ。

釈迦仏は浄飯王の嫡子・一閻浮提を知行する事・八万四千二百一十の大王なり・一閻浮提の諸王・頭をかたぶけん上御内に召しつかいし人十万億人なりしかども十九の御年・浄飯王宮を出でさせ給いて檀特山に入りて十二年、其の間御ともの人五人なり、所謂拘鄰と頞鞞と跋提と十力迦葉と拘利太子となり、此の五人も六年と申せしに二人は去りぬ残りの三人も後の六年にすて奉りて去んぬ、但一人残り給うてこそ仏にはならせ給いしか、法華経は又此れにもすぎて人信じがたかるべし難信難解此れなり、又仏の在世よりも末法は大難かさなるべし、此れをこらへん行者は我が功徳には・すぐれたる事・一劫とこそ説かれて候へ、仏滅度後・二千二百三十余年になり候に月氏一千余年が間・仏法を弘通せる人・伝記にのせて・かくれなし、漢土一千年・日本七百年・又目録にのせて候いしかども仏のごとく大難に値える人人少し、我も聖人・我も賢人とは申せども況滅度後の記文に値える人一人も候はず、竜樹菩薩・天台・伝教こそ仏法の大難に値える人人にては候へども此等も仏説には及ぶ事なし、此れ即代のあがり法華経の時に生れ値はせ給はざる故なり。

今は時すでに後五百歳・末法の始なり、日には五月十五日・月には八月十五夜に似たり、天台・伝教は先に生れ給へり今より後は又のちぐへなり、大陣すでに破れぬ余党は物のかずならず、今こそ仏の記しをき給いし後五百歳・末法の初・況滅度後の時に当りて候へば仏語むなしからずば一閻浮提の内に定めて聖人出現して候らん、聖人の出ずるしるしには一閻浮提第一の合戦をこるべしと説かれて候にすでに合戦も起りて候にすでに聖人や一閻浮提の内に出でさせ給いて候らん、きりん出でしかば孔子を聖人としる鯉社なつて聖人出で給う事疑なし、仏には栴檀の木をひて聖人としる、老子は二五の文を蹈んで聖人としる、末代の法華経の聖人をば何を用つてかしるべき、経に云く「能説此経・能持此経の人・則如来の使なり」八巻・一巻・一品・一偈の人乃至題目を唱うる人・如来の


使なり、始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり。

日蓮が心は全く如来の使にはあらず凡夫なる故なり、但し三類の大怨敵にあだまれて二度の流難に値へば如来の御使に似たり、心は三毒ふかく一身凡夫にて候へども口に南無妙法蓮華経と申せば如来の使に似たり、過去を尋ぬれば不軽菩薩に似たり、現在を・とぶらうに加刀杖瓦石にたがう事なし、未来は当詣道場疑いなからんか、これをやしなはせ給う人人は豈浄土に同居するの人にあらずや、事多しと申せどもとどめ候心をもて計らせ給うべし。

ちごのそらうよくなりたり悦び候ぞ、又大進阿闍梨の死去の事・末代のぎばいかでか此れにすぐべきと皆人・舌をふり候なり、さにて候いけるやらん、三位房が事さう四郎が事・此の事は宛も符契符契と申しあひて候、日蓮が死生をば・まかせまいらせて候、全く他のくすしをば用いまじく候なり。

  弘安元年戊寅九月十五日               日蓮花押

   四条金吾殿


四条金吾殿御返事   

鵞目一貫文給い候い畢んぬ、御所領・上より給わらせ給いて候なる事まこととも覚へず候・夢かとあまりに不思議に覚へ候、御返事なんどもいかやうに申すべしとも覚へず候、其の故はとのの御身は日蓮が法門の御ゆへに日本国・並にかまくら中御内の人人きうだちまでうけず・ふしぎにをもはれて候へば其の御内にをはせむだにも不思議に候に御恩をかうほらせ給へば・うちかへし・又うちかへしせさせ給へばいかばかり同れいどもも・ふしぎとをもひ・上もあまりなりとをぼすらむ、さればこのたびは・いかんが有るべかるらんと・うたがひ思い候つる上・御内の数十人の人人うつたへて候へばさればこそいかにも・かなひがたかるべし、あまりなる事なりと疑候いつる上・兄弟にもすてられてをはするに・かかる御をん面目申すばかりなし、かの処は・とのをかの三倍とあそばして候上さどの国のものの・これに候がよくよく其の処をしりて候が申し候は・三箇郷の内に・いかだと申すは第一の処なり、田畠はすくなく候へども・とくははかりなしと申し候ぞ、二所はみねんぐ千貫・一所は三百貫と云云、かかる処なりと承はる、なにとなくとも・どうれいといひ・したしき人人と申しすてはてられて・わらひよろこびつるにとのをかに・をとりて候処なりとも御下し文は給たく候つるぞかしまして三倍の処なりと候、いかにわろくとも・わろきよし人にも又上へも申させ給うべからず候、よきところ・よきところと申し給はば又かさねて給はらせ給うべし、わろき処・徳分なしなむど候はば天にも人にも・すてられ給い候はむずるに候ぞ、御心へあるべし。

阿闍世王は賢人なりしが父を・ころせしかば即時に天にも・すてられ大地も・やぶれて入りぬべかりしかども・殺されし父の王・一日に五百りやう五百りやう数年が間・仏を供養しまいらせたりし功徳と後に法華経の檀那となる