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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻下  (20/52) 忍辱は寂光土なり此の忍辱の心を釈迦牟尼仏と…
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ば長と云うなり、広とは三千塵点より已来の妙法・長とは五百塵点已来の妙法・同じく広長舌なり云云。

第三 十方世界衆宝樹下師子座上の事

御義口伝に云く十方とは十界なり此の下に於て草木成仏分明なり、師子とは師は師匠子は弟子なり座上とは寂光土なり十界即本有の寂光たる国土なり云云。

第四 満百千歳の事

御義口伝に云く満とは法界なり百は百界なり千は千如なり一念三千を満百千歳と説くなり云云、一時も一念も満百千歳にして十種の神力を現ずるなり十種の神力とは十界の神力なり、十界の各各の神力は一種の南無妙法蓮華経なり云云。

第五 地皆六種震動其中衆生○衆宝樹下の事

御義口伝に云く地とは国土世間なり其中衆生とは衆生世間なり衆宝樹下とは五陰世間なり一念三千分明なり云云。

第六 娑婆是中有仏名釈迦牟尼仏の事

御義口伝に云く本化弘通の妙法蓮華経の大忍辱の力を以て弘通するを娑婆と云うなり、忍辱は寂光土なり此の忍辱の心を釈迦牟尼仏と云えり娑婆とは堪忍世界と云うなり云云。

第七 斯人行世間能滅衆生闇の事

御義口伝に云く斯人とは上行菩薩なり世間とは大日本国なり衆生闇とは謗法の大重病なり、能滅の体は南無妙法蓮華経なり今日蓮等の類い是なり云云。


第八 畢竟住一乗○是人於仏道決定無有疑の事

御義口伝に云く畢竟とは広宣流布なり、住一乗とは南無妙法蓮華経の一法に住す可きなり是人とは名字即の凡夫なり仏道とは究竟即なり疑とは根本疑惑の無明を指すなり、末法当今は此の経を受持する一行計りにして成仏す可しと定むるなり云云。

       嘱累品三箇の大事

第一 從法座起の事

御義口伝に云く起とは塔中の座を起ちて塔外の儀式なり三摩の付嘱有るなり、三摩の付嘱とは身口意三業三諦三観と付嘱し給う事なり云云。

第二 如来是一切衆生之大施主の事

御義口伝に云く如来とは本法不思議の如来なれば此の法華経の行者を指す可きなり、大施主の施とは末法当今流布の南無妙法蓮華経主とは上行菩薩の事と心得可きなり、然りと雖も当品は迹門付嘱の品なり上行菩薩を首として付嘱し給う間上行菩薩の御本意と見たるなり云云。

第三 如世尊勅当具奉行の事

御義口伝に云く諸の菩薩等の誓言の文なり、諸天善神菩薩等を日蓮等の類い諫暁するは此の文に依るなり云云。


       薬王品六箇の大事

第一 不如受持此法華経乃至一四句偈の事

御義口伝に云く法華経とは一経廿八品なり一四句偈とは題目の五字と心得可きなり云云。

第二 十喩の事

御義口伝に云く十喩とは十界なり、此の山の下に地獄界を含めり、川流江河餓鬼畜生を摂せり・日月の下に修羅を収めたり帝釈梵天は天界なり・凡夫人とは人間なり、声聞とは四向四果の阿羅漢なり・縁覚とは辟支仏中と説かれたり、菩薩は菩薩為第一と云えり仏界は如仏為諸法王と見えたり、此の十界を十喩と挙げて教相を分別してさて妙法蓮華経の於一仏乗より分別説三する時此くの如く挙げたり、仍つて一念三千の法門なり一念三千は抜苦与楽なり。

第三 離一切苦一切病痛能解一切生死之縛の事

御義口伝に云く法華の心は煩悩即菩提生死即涅槃なり、離解の二字は此の説相に背くなり然るに離の字をば明とよむなり、本門寿量の慧眼開けて見れば本来本有の病痛苦悩なりと明らめたり仍つて自受用報身の智慧なり、解とは我等が生死は今始めたる生死に非ず本来本有の生死なり、始覚の思縛解くるなり云云、離解の二字は南無妙法蓮華経なり云云。

第四 火不能焼水不能漂の事

御義口伝に云く火とは阿鼻の炎なり水とは紅蓮の氷なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此くの如くなるべし云云。