Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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行敏訴状御会通  (2/3) 弥陀観音等の像を火に入れ水に流す
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く我れ則ち慳貪に堕せん此の事為不可なり云云、第二に云く其の人命終して阿鼻獄に入らん云云、大覚世尊但観経念仏等の四十余年の経経を説て法華経を演説したまわずんば三悪道を脱れ難し云云、何に況や末代の凡夫一生の間但自らも念仏の一行に留り他人をも進めずんば豈無間に堕せざらんや、例せば民と子との王と親とに随わざるが如し、何に況や道綽・善導・法然上人等・念仏等を修行する輩・法華経の名字を挙げて念仏に対当して勝劣難易等を論じ未有一人得者・十即十生・百即百生・千中無一等と謂うは無間の大火を招かざらんや、又云く禅宗は天魔波旬の説と云云、此又日蓮が私の言に非ず彼の宗の人人の云く教外別伝と云云、仏の遺言に云く我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり云云、教外別伝の言豈此の科を脱れんや、又云く大小の戒律は世間誑惑の法と云云、日蓮が云く小乗戒は仏世すら猶之を破す其の上月氏国に三寺有り、所謂一向小乗の寺と一向大乗の寺と大小兼行の寺となり云云、一向小と一向大とは水火の如し将又道路をも分隔せり、日本国に去る聖武皇帝と孝謙天皇との御宇に小乗の戒壇を三所に建立せり、其の後・桓武の御宇に伝教大師之を責め破りたまいぬ、其の詮は小乗戒は末代の機に当らずと云云、護命・景深の本師等其の諍論に負くるのみに非ず六宗の碩徳・各退状を捧げ伝教大師に帰依し円頓の戒体を伝受す云云、其の状今に朽ちず汝自ら開き見よ、而るを良観上人・当世日本国の小乗は昔の科を存せずという、又云く年来の本尊・弥陀観音等の像を火に入れ水に流す等云云、此の事慥なる証人を指し出し申す可し若し証拠無くんば良観上人等自ら本尊を取り出して火に入れ水に流し科を日蓮に負せんと欲するか委細は之を糾明せん時・其の隠れ無らんか、但し御尋ね無き間は其の重罪は良観上人等に譲り渡す、二百五十戒を破失せる因縁此の大妄語に如かず無間大城の人・他処に求ること勿れ、又云く凶徒を室中に集むと云云、法華経に云く或は阿練若に有り等云云、妙楽云く東春云く輔正記云く此等の経釈等を以て当世日本国に引き向うるに汝等が挙る所の建長寺・寿福寺・極楽寺・多宝寺・大仏殿・長楽寺・浄光明寺等の寺寺は妙楽大師の指す所の第三最


甚の悪所なり、東春に云く即ち是れ出家処に一切の悪人を摂す云云、又云く両行は公処に向う等云云、又云く兵杖等云云、涅槃経に云く・天台云く・章安云く・妙楽云く法華経守護の為の弓箭兵杖は仏法の定れる法なり例せば国王守護の為に刀杖を集むるが如し、但し良観上人等弘通する所の法・日蓮が難脱れ難きの間既に露顕せしむ可きか、故に彼の邪義を隠さんが為に諸国の守護・地頭・雑人等を相語らいて言く日蓮並びに弟子等は阿弥陀仏を火に入れ水に流す汝等が大怨敵なりと云云、頸を切れ所領を追い出せ等と勧進するが故に日蓮の身に疵を被り弟子等を殺害に及ぶこと数百人なり、此れ偏に良観・念阿・道阿等の上人の大妄語より出たり心有らん人人は驚く可し怖る可し云云、毘瑠璃王は七万七千の諸の得道の人を殺す、月氏国の大族王は卒都婆を滅毀し僧伽藍を廃すること凡そ一千六百余処乃至大地震動して無間地獄に堕ちにき、毘盧釈迦王は釈種九千九百九十万人を生け取りて並べ従えて殺戮す積屍莽の如く流血池を成す、弗沙弥多羅王は四兵を興して五天を回らし僧侶を殺し寺塔を焼く、説賞迦王は仏法を毀壊す、訖利多王は僧徒を斥逐し仏法を毀壊す、欽明・敏達・用明の三王の詔に曰く炳然として宜く仏法を断ずべし云云、二臣自ら寺に詣で堂塔を斫倒し仏像を毀破し火を縦つて之を焼き所焼の仏像を取つて難波の堀江に棄て三尼を喚び出して其の法服を奪い並びに笞を加う云云、大唐の武宗は四千六百余処を滅失して僧尼還俗する者計うるに二十六万五百人なり、去る永保年中には山僧・園城寺を焼き払う云云、御願は十五所・堂院は九十所・塔婆は四基・鐘楼は六宇・経蔵は二十所・神社は十三所・僧坊は八百余宇・舎宅は三千余等云云、去る治承四年十二月二十二日・太政入道浄海・東大・興福の両寺を焼失して僧尼等を殺す、此等は仏記に云く此等の悪人は仏法の怨敵には非ず三明六通の羅漢の如き僧侶等が我が正法を滅失せん、所謂守護経に云く・涅槃経に云く。

                            日蓮花押


一昨日御書

            文永八年九月 五十歳御作

            与 平左衛門尉頼綱

一昨日見参に罷入候の条悦び入り候、抑人の世に在る誰か後世を思わざらん仏の出世は専ら衆生を救わんが為なり、爰に日蓮比丘と成りしより旁法門を開き已に諸仏の本意を覚り早く出離の大要を得たり、其の要は妙法蓮華経是なり、一乗の崇重・三国の繁昌の儀・眼前に流る誰か疑網を貽さんや、而るに専ら正路に背いて偏に邪途を行ず然る間・聖人国を捨て善神瞋を成し七難並びに起つて四海閑かならず、方今世は悉く関東に帰し人は皆土風を貴ぶ、就中日蓮生を此の土に得て豈吾が国を思わざらんや、仍つて立正安国論を造つて故最明寺入道殿の御時・宿屋の入道を以て見参に入れ畢んぬ、而るに近年の間・多日の程・犬戎浪を乱し夷敵国を伺う、先年勘え申す所・近日符合せしむる者なり、彼の太公が殷の国に入りしは西伯の礼に依り張良が秦朝を量りしは漢王の誠を感ずればなり、是れ皆時に当つて賞を得・謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり、夫れ未萠を知る者は六正の聖臣なり法華を弘むる者は諸仏の使者なり、而るに日蓮忝くも鷲嶺・鶴林の文を開いて鵝王・烏瑟の志を覚り剰え将来を勘えたるに粗符合することを得たり先哲に及ばずと雖も定んで後人には希なる可き者なり、法を知り国を思うの志尤も賞せらる可きの処・邪法邪教の輩・讒奏讒言するの間久しく大忠を懐いて而も未だ微望を達せず、剰え不快の見参に罷り入ること偏に難治の次第を愁うる者なり、伏して惟みれば泰山に昇らずんば天の高きを知らず深谷に入らずんば地の厚きを知らず、仍て御存知の為に立正安国論一巻之を進覧す、勘え載する所の文は九牛の一毛なり未だ微志を尽さざるのみ、抑貴辺は当時天下の棟梁なり何ぞ国中の良材を損せんや、早く賢慮を回らして須く異敵を退くべし世を安じ国を安ずるを忠と為し孝と為す、是れ偏に身の為に之を述