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日蓮大聖人・池田大作

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上野殿御返事  (4/4) 日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころ…
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給いて過去の父母等をすくわせ給へ。

日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり、相かまへて相かまへて自他の生死はしらねども御臨終のきざみ生死の中間に日蓮かならず・むかいにまいり候べし、三世の諸仏の成道はねうしのをわり・とらのきざみの成道なり、仏法の住処・鬼門の方に三国ともにたつなり此等は相承の法門なるべし委くは又申すべく候、恐恐謹言。かつへて食をねがひ・渇して水をしたうがごとく・恋いて人を見たきがごとく・病にくすりをたのむがごとく、みめかたちよき人・べにしろいものをつくるがごとく・法華経には信心をいたさせ給へ、さなくしては後悔あるべし、云云。

  弘安二年己卯卯月二十日               日蓮花押

   上野殿御返事


上野殿御返事

                    弘安二年 五十八歳御作

鵞目一貫・しほ一たわら・蹲鴟一俵・はじかみ少少・使者をもつて送り給び畢んぬ、あつきには水を財とす・さむきには火を財とす・けかちには米を財とす、いくさには兵杖を財とす・海には船を財とす・山には馬をたからとす・武蔵下総に石を財とす、此の山中には・いえのいも・海のしほを財とし候ぞ、竹の子・木の子等候へども・しほなければそのあぢわひつちのごとし、又金と申すもの国王も財とし民も財とす、たとへば米のごとし・一切衆生のいのちなり。

ぜに又かくのごとし、漢土に銅山と申す山あり・彼の山よりいでて候ぜになれば・一文もみな三千里の海をわたりて来るものなり、万人皆たまとおもへり、此れを法華経にまいらせさせ給う、釈まなんと申せし人のたな心には石変じて珠となる・金ぞく王は沙を金となせり、法華経は草木を仏となし給う・いわうや心あらん人をや、法華経は焼種の二乗を仏となし給う・いわうや生種の人をや、法華経は一闡提を仏となし給う・いわうや信ずるものをや、事事つくしがたく候、又又申すべし、恐恐謹言。

  八月八日                      日蓮花押

   上野殿御返事


上野殿御返事

                    弘安二年 五十八歳御作

唐土に竜門と申すたきあり・たかき事十丈・水の下ることがつひやうが・やをいをとすよりもはやし、このたきにををくのふなあつまりて・のぼらむと申す、ふなと申すいをののぼりぬれば・りうとなり候、百に一・千に一・万に一・十年・二十年に一も・のぼる事なし、或ははやきせにかへり・或ははし・たか・とび・ふくろうにくらわれ、或は十丁のたきの左右に漁人ども・つらなりゐて・或はあみをかけ・或はくみとり・或はいてとるものもあり、いをの・りうとなる事かくのごとし。

日本国の武士の中に源平二家と申して王の門守の犬二疋候、二家ともに王を守りたてまつる事やまかつが八月十五夜のみねより・いづるを・あいするがごとし、でんじやうの・なんによの・あそぶをみては月と星との・ひかりをあわせたるを・木の上にて・さるのあいするがごとし、かかる身にてはあれども・いかんがして我等でんじやうの・まじわりをなさんと・ねがいし程に・平氏の中に貞盛と申せし者・将門を打ちてありしかども昇でんをゆるされず、其の子正盛又かなわず・其の子忠盛が時・始めて昇でんをゆるさる、其の後清盛・重盛等でんじやうにあそぶのみならず、月をうみ日をいだくみとなりにき、仏になるみち・これにをとるべからず、いをの竜門をのぼり・地下の者の・でんじやうへ・まいるがごとし。

身子と申せし人は仏にならむとて六十劫が間・菩薩の行をみてしかども、こらへかねて二乗の道に入りにき、大通結縁の者は三千塵点劫久遠下種の人の五百塵点劫生死にしづみし此等は法華経を行ぜし程に第六天の魔王・国主等の身に入りて・とかうわづらわせしかば・たいしてすてしゆへに・そこばくの劫に六道には・めぐりしぞかし。