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日蓮大聖人・池田大作

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兄弟抄  (9/10) 行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起…
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かなしくもありよろこばしくもあれども物いはず此くの如くして年六十有五になりぬ、我が妻かたりて云く汝若し物いはずば汝がいとをしみの子を殺さんと云う、時に我思はく我已に年衰へぬ此の子を若し殺されなば又子をまうけがたしと思いつる程に声をおこすと・をもへば・をどろきぬと云いければ、師が云く力及ばず我も汝も魔に・たぼらかされぬ終に此の事成ぜずと云いければ、烈士大に歎きけり我心よはくして師の仙法を成ぜずと云いければ、隠士が云く我が失なり兼て誡めざりける事をと悔ゆ、然れども烈士師の恩を報ぜざりける事を歎きて遂に思ひ死にししぬとかかれて候、仙の法と申すは漢土には儒家より出で月氏には外道の法の一分なり、云うにかひ無き仏教の小乗阿含経にも及ばず況や通別円をや況や法華経に及ぶべしや、かかる浅き事だにも成ぜんとすれば四魔競て成じかたし、何に況や法華経の極理・南無妙法蓮華経の七字を始めて持たん日本国の弘通の始ならん人の弟子檀那とならん人人の大難の来らん事をば言をもつて尽し難し心をもつて・をしはかるべしや。

されば天台大師の摩訶止観と申す文は天台一期の大事・一代聖教の肝心ぞかし、仏法漢土に渡つて五百余年・南北の十師・智は日月に斉く徳は四海に響きしかどもいまだ一代聖教の浅深・勝劣・前後・次第には迷惑してこそ候いしが、智者大師再び仏教をあきらめさせ給うのみならず、妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり、此の法門は漢土に始るのみならず月氏の論師までも明し給はぬ事なり、然れば章安大師の釈に云く「止観の明静なる前代に未だ聞かず」云云、又云く「天竺の大論尚其の類に非ず」等云云、其の上摩訶止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち入たる法門ぞかし、此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ。


此の釈に三障と申すは煩悩障・業障・報障なり、煩悩障と申すは貪瞋癡等によりて障礙出来すべし、業障と申すは妻子等によりて障礙出来すべし、報障と申すは国主父母等によりて障礙出来すべし、又四魔の中に天子魔と申すも是くの如し今日本国に我も止観を得たり我も止観を得たりと云う人人誰か三障四魔競へる人あるや、之に随えば将に人をして悪道に向わしむと申すは只三悪道のみならず人天・九界を皆悪道とかけり、されば法華経を除きて華厳・阿含・方等・般若・涅槃・大日経等なり、天台宗を除きて余の七宗の人人は人を悪道に向わしむる獄卒なり、天台宗の人人の中にも法華経を信ずるやうにて人を爾前へやるは悪道に人をつかはす獄卒なり。

今二人の人人は隠士と烈士とのごとし一もかけなば成ずべからず、譬えば鳥の二つの羽人の両眼の如し、又二人の御前達は此の人人の檀那ぞかし女人となる事は物に随つて物を随える身なり夫たのしくば妻もさかふべし夫盗人ならば妻も盗人なるべし、是れ偏に今生計りの事にはあらず世世・生生に影と身と華と果と根と葉との如くにておはするぞかし、木にすむ虫は木をはむ・水にある魚は水をくらふ・芝かるれば蘭なく松さかうれば柏よろこぶ、草木すら是くの如し、比翼と申す鳥は身は一つにて頭二つあり二つの口より入る物・一身を養ふ、ひほくと申す魚は一目づつある故に一生が間はなるる事なし、夫と妻とは是くの如し此の法門のゆへには設ひ夫に害せらるるとも悔ゆる事なかれ、一同して夫の心をいさめば竜女が跡をつぎ末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし、此くの如くおはさば設ひいかなる事ありとも日蓮が二聖・二天・十羅刹・釈迦・多宝に申して順次生に仏になし・たてまつるべし、心の師とは・なるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり。

設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべし、中にも日蓮が法門は古へこそ信じかたかりしが今は前前いひをきし事既にあひぬればよしなく謗ぜし人人も悔る心あるべし、設ひこれより後に信ずる男女ありとも各各にはかへ思ふべからず、始は信じてありしかども世間のをそろしさにすつ


る人人かずをしらず、其の中に返つて本より謗ずる人人よりも強盛にそしる人人又あまたあり、在世にも善星比丘等は始は信じてありしかども後にすつるのみならず返つて仏をはうじ奉りしゆへに仏も叶い給はず無間地獄にをちにき、此の御文は別してひやうへの志殿へまいらせ候、又太夫志殿の女房兵衛志殿の女房によくよく申しきかせさせ給うべし・きかせさせ給うべし・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

  文永十二年四月十六日                日蓮花押

兵衛志殿御返事

                    建治元年八月 五十四歳御作

                    於身延

鵞目二貫文・武蔵房円日を使にて給び候い畢んぬ、人王三十六代・皇極天皇と申せし王は女人にてをはしき、其の時入鹿の臣と申す者あり、あまり・おごりの・ものぐるわしさに王位を・うばはんと・ふるまいしを、天皇王子等不思議とはをぼせしかども・いかにも力及ばざりしほどに、大兄の王子・軽の王子等なげかせ給いて中臣の鎌子と申せし臣に申しあわせさせ給いしかば、臣申さく・いかにも人力はかなうべしとは・みへ候はず、馬子が例をひきて教主釈尊の御力ならずば叶がたしと申せしかば・さらばとて釈尊を造り奉りて・いのりしかば入鹿ほどなく打れにき、此の中臣の鎌子と申す人は後には姓をかへて藤原の鎌足と申し内大臣になり大職冠と申す人・今の一の人の御先祖なり、此の釈迦仏は今の興福寺の本尊なり、されば王の王たるも釈迦仏・臣の臣たるも釈迦仏・神国の仏国となりし事もえもんのたいう殿の御文と引き合せて心へさせ給へ、今代の他国にうばわれんとする事・釈尊を・いるがせにする故なり神の力も及ぶべからずと申すはこれなり、各各は二人は・すでにとこそ人はみしかども・かくいみじくみへさせ給うは・ひとえに釈迦仏・法華経の御力なりと・をぼすらむ、又此れにもをもひ候、後生のた