Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

浄蓮房御書  (4/4) 父母の遺体は子の色心なり
1434

も及ばず威徳も足らず、心のがうさは申すばかりなけれども・朝敵となりぬれば其の人ならざる人人も将門か純友かと舌にうちからみて申せども・彼の子孫等も・とがめず、義朝なんど申すは故右大将家の慈父なり、子を敬いまいらせば父をこそ敬いまいらせ候べきに・いかなる人人も義朝・為朝なんど申すぞ、此れ則王法の重く逆臣の罪のむくゐなり、上の六人も又かくのごとし、釈迦如来世に出でさせ給いて一代の聖教を説きをかせ給う、五十年の説法を我と集めて浅深・勝劣・虚妄・真実を定めて四十余年は未だ真実を顕さず已今当第一等と説かせ給いしかば・多宝・十方の仏真実なりと加判せさせ給いて定めをかれて候を・彼の六人は未顕真実の観経に依りて皆是れ真実の法華経を第一第二の悪人の為にはあらずと申さば・今の人人は彼にすかされて数年を経たるゆへに・将門・純友等が所従等彼を用いざりし百姓等を或は切り或は打ちなんどせしがごとし、彼をおそれて従いし男女は官軍にせめられて彼の人人と一時に水火のせめに値いしなり。

今日本国の一切の諸仏・菩薩・一切の経を信ずるやうなれども・心は彼の六人の心なり身は又彼の六人の家人なり、彼の将門等は官軍の向はざりし時は大将の所従・知行の地且らく安穏なりしやうなりしかども・違勅の責め近づきしかば、所は修羅道となり男子は厨者の魚をほふるがごとし、炎に入り水に入りしなり、今日本国も又かくのごとし、彼の六人が僻見に依つて今生には守護の善神に放されて三災七難の国となり・後生には一業所感の衆生なれば阿鼻大城の炎に入るべし、法華経の第五の巻に末代の法華経の強敵を仏記し置き給えるは如六通羅漢と云云、上の六人は尊貴なること六通を現ずる羅漢の如し。

然るに浄蓮上人の親父は彼等の人人の御檀那なり、仏教実ならば無間大城疑いなし、又君の心を演ぶるは臣・親の苦をやすむるは子なり、目犍尊者は悲母の餓鬼の苦を救い浄蔵浄眼は慈父の邪見を翻し給いき、父母の遺体は子の色心なり、浄蓮上人の法華経を持ち給う御功徳は慈父の御力なり、提婆達多は阿鼻地獄に堕ちしかども天


王如来の記を送り給いき彼は仏と提婆と同性一家なる故なり、此れは又慈父なり子息なり、浄蓮上人の所持の法華経いかでか彼の故聖霊の功徳とならざるべき、事多しと申せども止め畢んぬ三反人に・よませて・きこしめせ、恐恐謹言。

  六月二十七日                    日蓮花押

  返す返すするがの人人みな同じ御心と申させ給い候へ。

新池殿御消息

                    弘安二年五月 五十八歳御作

八木三石送り給い候、今一乗妙法蓮華経の御宝前に備へ奉りて南無妙法蓮華経と只一遍唱えまいらせ候い畢んぬ、いとをしみの御子を霊山浄土へ決定無有疑と送りまいらせんがためなり。

抑因果のことはりは華と果との如し、千里の野の枯れたる草に螢火の如くなる火を一つ付けぬれば須臾に一草・二草・十・百・千万草につきわたりてもゆれば十町・二十町の草木・一時にやけつきぬ、竜は一渧の水を手に入れて天に昇りぬれば三千世界に雨をふらし候、小善なれども法華経に供養しまいらせ給いぬれば功徳此くの如し、仏滅後・一百年と申せしに月氏国に阿育大王と申せし王ましましき・一閻浮提・八万四千の国を四分が一御知行ありき、竜王をしたがへ鬼神を召し仕はせ給う、六万の羅漢を師として八万四千の石塔を立て十万億の金を仏に供養し奉らんと誓はせ給いき、かかる大王にてをはせし其の因位の功徳をたづぬれば・ただ土の餅一・釈迦仏に供養し奉りし故ぞかし、釈迦仏の伯父に斛飯王と申す王をはします、彼の王に太子あり阿那律となづく此の太子生れ給いしに御器一つ持ち出でたり、彼の御器に飯あり食すれば又出でき又出でき終に飯つくる事なし、故にかの太


子のをさな名をば如意となづけたり、法華経にて仏に成り給ふ普明如来是なり、此の太子の因位を尋ぬればうへたる世にひえの飯を辟支仏と申す僧に供養せし故ぞかし、辟支仏を供養する功徳すら此くの如し、況や法華経の行者を供養せん功徳は無量無辺の仏を供養し進らする功徳にも勝れて候なり。

抑日蓮は日本国の者なり、此の国は南閻浮提七千由旬の内に八万四千の国あり・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国あり、其の中に月氏国と申す国は大国なり、彼の国に五天竺あり、其れより東海の中に小島あり日本国是なり、中天竺よりは十万余里の東なり、仏教は仏滅度後正法一千年が間は天竺にとどまりて余国にわたらず、正法一千年の末・像法に入つて一十五年と申せしに漢土へ渡る、漢土に三百年すぎて百済国に渡る、百済国に一百年已上一千四百十五年と申せしに・人王三十代・欽明天皇の御代に日本国に始めて釈迦仏の金銅の像と一切経は渡りて候いき、今七百余年に及び候、其の間一切経は五千余巻或は七千余巻なり、宗は八宗・九宗・十宗なり、国は六十六箇国・二つの島・神は三千余社・仏は一万余寺なり、男女よりも僧尼は半分に及べり、仏法の繁昌は漢土にも勝れ天竺にもまされり。

但し仏法に入つて諍論あり、浄土宗の人人は阿弥陀仏を本尊とし・真言の人人は大日如来を本尊とす・禅宗の人人は経と仏とをば閣いて達磨を本尊とす、余宗の人人は念仏者・真言等に随へられ何れともなけれども・つよきに随ひ多分に押されて阿弥陀仏を本尊とせり、現在の主師親たる釈迦仏を閣きて他人たる阿弥陀仏の十万億の他国へにげ行くべきよしを・ねがはせ給い候、阿弥陀仏は親ならず主ならず師ならず、されば一経の内・虚言の四十八願を立て給いたりしを・愚なる人人実と思いて物狂はしく金拍子をたたきおどりはねて念仏を申し親の国をばいとひ出でぬ、来迎せんと約束せし阿弥陀仏の約束の人は来らず・中有のたびの空に迷いて謗法の業にひかれて三悪道と申す獄屋へおもむけば・獄卒・阿防・羅刹悦びをなし・とらへからめてさひなむ事限りなし、これをあらあ