Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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瑞相御書  (3/3) 人の悦び多多なれば天に吉瑞をあらはし地に帝…
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疑つて云く証文如何、答えて云く而かも此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや等云云、去る正嘉・文永の大地震・大天変は天神七代・地神五代は・さてをきぬ、人王九十代・二千余年が間・日本国にいまだなき天変地夭なり、人の悦び多多なれば天に吉瑞をあらはし地に帝釈の動あり、人の悪心盛なれば天に凶変地に凶夭出来す、瞋恚の大小に随いて天変の大小あり地夭も又かくのごとし、今日本国・上一人より下万民にいたるまで大悪心の衆生充満せり、此の悪心の根本は日蓮によりて起れるところなり、守護国界経と申す経あり法華経以後の経なり阿闍世王・仏にまいりて云く我国に大旱魃・大風・大水・飢饉・疫病・年年に起る上他国より我が国をせむ、而るに仏の出現し給える国なり・いかんと問いまいらせ候しかば・仏答えて云く善き哉・善き哉・大王能く此の問をなせり、汝には多くの逆罪あり其の中に父を殺し提婆を師として我を害せしむ、この二罪大なる故かかる大難来ることかくのごとく無量なり、其の中に我が滅後に末法に入つて提婆がやうなる僧・国中に充満せば正法の僧一人あるべし、彼の悪僧等・正法の人を流罪・死罪に行いて王の后・乃至万民の女を犯して謗法者の種子の国に充満せば国中に種種の大難をこり後には他国にせめらるべしと・とかれて候、今の世の念仏者かくのごとく候上・真言師等が大慢・提婆達多に百千万億倍すぎて候、真言宗の不思議あらあら申すべし、胎蔵界の八葉の九尊を画にかきて其の上にのぼりて諸仏の御面をふみて灌頂と申す事を行うなり、父母の面をふみ天子の頂をふむがごとくなる者・国中に充満して上下の師となれり、いかでか国ほろびざるべき。

此の事余が一大事の法門なり又又申すべし、さきにすこしかきて候、いたう人におほせあるべからず、びんごとの心ざし一度・二度ならねばいかにとも。


四条金吾殿御返事

一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文・あに自受法楽にあらずや、衆生のうちに貴殿もれ給うべきや、所とは一閻浮提なり日本国は閻浮提の内なり、遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや、法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり、ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず、ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と・となへ給へ、苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ、恐恐謹言。

  建治二年丙子六月二十七日              日蓮花押

   四条金吾殿御返事


四条金吾釈迦仏供養事

                    建治二年七月 五十五歳御作

御日記の中に釈迦仏の木像一体等云云、開眼の事・普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり十方三世の諸仏の眼目なり」等云云、又云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏・是に因つて五眼を具することを得たもう」云云、此の経の中に得具五眼とは一には肉眼・二には天眼・三には慧眼・四には法眼・五には仏眼なり、此の五眼をば法華経を持つ者は自然に相具し候、譬へば王位につく人は自然に国のしたがうがごとし、大海の主となる者の自然に魚を得るに似たり、華厳・阿含・方等・般若・大日経等には五眼の名はありといへども其の義なし、今の法華経には名もあり義も備わりて候・設ひ名はなけれども必ず其の義あり。

三身の事、普賢経に云く「仏・三種の身は方等より生ず是の大法印は涅槃海を印す此くの如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず此の三種の身は人天の福田にして応供の中の最なり」云云、三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします、この五眼三身の法門は法華経より外には全く候はず、故に天台大師の云く「仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」云云、此の釈の中に於諸教中とかかれて候は華厳・方等・般若のみならず法華経より外の一切経なり、秘之不伝とかかれて候は法華経の寿量品より外の一切経には教主釈尊秘めて説き給はずとなり。

されば画像・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし、其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり、三種の世間と申すは一には衆生世間・二には五陰世間・三には国土世間なり、前の二は且らく之を置