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日蓮大聖人・池田大作

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波木井殿御報 
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波木井殿御報

                    弘安五年九月 六十一歳御作

畏み申し候、みちのほどべち事候はで・いけがみまでつきて候、みちの間・山と申しかわと申しそこばく大事にて候いけるを・きうだちにす護せられまいらせ候いて難もなくこれまで・つきて候事をそれ入り候ながら悦び存し候、さては・やがてかへりまいり候はんずる道にて候へども所らうのみにて候へば不ぢやうなる事も候はんずらん。

さりながらも日本国にそこばくもてあつかうて候みを九年まで御きえ候いぬる御心ざし申すばかりなく候へばいづくにて死に候ともはかをばみのぶさわにせさせ候べく候。

又くりかげの御馬はあまりをもしろくをぼへ候程に・いつまでもうしなふまじく候、ひたちのゆへひかせ候はんと思い候がもし人にもぞ・とられ候はん、又そのほかいたはしく・をぼへばゆよりかへり候はんほど・かづさのもばら殿のもとに・あづけをきたてまつるべく候に・しらぬとねりをつけて候てはをぼつかなくをぼへ候、まかりかへり候はんまで此のとねりをつけをき候はんとぞんじ候、そのやうを御ぞんぢのために申し候、恐恐謹言。

  九月十九日                     日蓮

   進上 波木井殿 御報

   所らうのあひだはんぎやうをくはへず候事恐れ入り候。


大井荘司入道御書

                    建治二年 五十五歳御作

柿三本酢一桶・くぐたち・土筆給い候い畢んぬ、唐土に天台山と云う山に竜門と申して百丈の滝あり、此の滝の麓に春の初より登らんとして多くの魚集れり、千万に一も登ることを得れば竜となる、魚・竜と成らんと願うこと民の昇殿を望むが如く貧なるものの財を求むるが如し、仏に成ることも亦此くの如し彼の滝は百丈早き事合張の天より箭を射徹すより早し、此の滝へ魚登らんとすれば人集りて羅網をかけ釣をたれ弓を以て射る左右の辺に間なし、空には鵰・鷲・鵄・烏・夜は虎・狼・狐・狸何にとなく集りて食ひ噬む、仏になるをも是を以て知りぬべし、有情輪廻生死六道と申して我等が天竺に於て師子と生れ・漢土日本に於て虎狼野干と生れ・天には鵰・鷲・地には鹿・蛇と生れしこと数をしらず、或は鷹の前の雉・貓の前の鼠と生れ、生ながら頭をつつき・ししむらをかまれしこと数をしらず、一劫が間の身の骨は須弥山よりも高く大地よりも厚かるべし、惜き身なれども云うに甲斐なく奪われてこそ候いけれ、然れば今度法華経の為に身を捨て命をも奪われ奉れば無量無数劫の間の思ひ出なるべしと思ひ切り給うべし、穴賢穴賢、又又申すべし、恐恐謹言。

  建治二年丙子                    日蓮花押

   大井荘司入道殿


松野殿御消息

柑子一籠・種種の物送り給候、法華経第七巻薬王品に云く衆星の中に月天子最も為第一なり此の法華経も亦復是くの如し、千万億種の諸の経法の中に於て最も為照明なり云云、文の意は虚空の星は或は半里或は一里或は八里或は十六里なり、天の満月輪は八百里にてをはします、華厳経六十巻或は八十巻・般若経六百巻・方等経六十巻・涅槃経四十巻三十六巻・大日経・金剛頂経・蘇悉地経・観経・阿弥陀経等の無量無辺の諸経は星の如し、法華経は月の如しと説かれて候経文なり、此れは竜樹菩薩・無著菩薩・天台大師・善無畏三蔵等の論師・人師の言にもあらず、教主釈尊の金言なり・譬へば天子の一言の如し、又法華経の薬王品に云く能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一等云云、文の意は法華経を持つ人は男ならば何なる田夫にても候へ、三界の主たる大梵天王・釈提桓因・四大天王・転輪聖王乃至漢土・日本の国主等にも勝れたり、何に況や日本国の大臣公卿・源平の侍・百姓等に勝れたる事申すに及ばず、女人ならば憍尸迦女・吉祥天女・漢の李夫人・楊貴妃等の無量無辺の一切の女人に勝れたりと説かれて候、案ずるに経文の如く申さんとすればをびただしき様なり人もちゐん事もかたし、此れを信ぜじと思へば如来の金言を疑ふ失は経文明かに阿鼻地獄の業と見へぬ、進退わづらひ有り何がせん、此の法門を教主釈尊は四十余年が間は胸の内にかくさせ給う、さりとてはとて御年七十二と申せしに南閻浮提の中天竺・王舎城の丑寅・耆闍崛山にして説かせ給いき、今日本国には仏・御入滅一千四百余年と申せしに来りぬ、夫より今七百余年なり、先き一千四百余年が間は日本国の人・国王・大臣・乃至万民一人も此の事を知らず。