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日蓮大聖人・池田大作

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四信五品抄  (5/5) 天子の襁褓に纒れ大竜の始めて生ずるが如し
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や竜樹・天台皆此の意なり重ねて示す可し。

問う何が故ぞ題目に万法を含むや、答う章安の云く「蓋し序王とは経の玄意を叙す玄意は文の心を述す文の心は迹本に過ぎたるは莫し」妙楽の云く「法華の文心を出して諸教の所以を弁ず」云云、濁水心無けれども月を得て自ら清めり草木雨を得豈覚有つて花さくならんや妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ、初心の行者其の心を知らざれども而も之を行ずるに自然に意に当るなり。

問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖・畏・厳・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出すること百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熈連一恒の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓に纒れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ、妙楽の云く「若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有る者は福十号に過ぐ」と、優陀延王は賓頭盧尊者を蔑如して七年の内に身を喪失し相州は日蓮を流罪して百日の内に兵乱に遇えり、経に云く「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出さん若は実にもあれ若は不実にもあれ此の人現世に白癩の病を得ん乃至諸悪重病あるべし」又云く「当に世世に眼無かるべし」等云云、明心と円智とは現に白癩を得・道阿弥は無眼の者と成りぬ、国中の疫病は頭破七分なり罰を以て徳を推するに我が門人等は福過十号疑い無き者なり。

夫れ人王三十代欽明の御宇に始めて仏法渡りし以来桓武の御宇に至るまで二十代二百余年の間六宗有りと雖も仏法未だ定らず、爰に延暦年中に一りの聖人有つて此の国に出現せり所謂伝教大師是なり、此の人先きより弘通する六宗を糾明し七寺を弟子と為して終に叡山を建てて本寺と為し諸寺を取つて末寺と為す、日本の仏法唯一門


なり王法も二に非ず法定まり国清めり其の功を論ぜば源已今当の文より出でたり其の後弘法・慈覚・智証の三大師事を漢土に寄せて大日の三部は法華経に勝ると謂い剰さえ教大師の削ずる所の真言宗の宗の一字之を副えて八宗と云云、三人一同に勅宣を申し下して日本に弘通し寺毎に法華経の義を破る是偏に已今当の文を破らんと為して釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵と成りぬ、然して後仏法漸く廃れ王法次第に衰え天照太神・正八幡等の久住の守護神は力を失い梵帝四天は国を去つて已に亡国と成らんとす情有らん人誰か傷み嗟かざらんや、所詮三大師の邪法の興る所は所謂東寺と叡山の総持院と園城寺との三所なり禁止せずんば国土の滅亡と衆生の悪道と疑い無き者か予粗此の旨を勘え国主に示すと雖も敢て叙用無し悲む可し悲む可し。

下山御消息

                建治三年六月  五十六歳御代作

                与 下山兵庫光基

例時に於ては尤も阿弥陀経を読まる可きか等云云此の事は仰せ候はぬ已前より親父の代官といひ私の計と申し此の四五年が間は退転無し、例時には阿弥陀経を読み奉り候しが去年の春の末へ夏の始めより阿弥陀経を止めて一向に法華経の内・自我偈読誦し候又同くば一部を読み奉らむとはげみ候これ又偏に現当の御祈祷の為なり、但し阿弥陀経念仏を止めて候事は此れ日比・日本国に聞へさせ給う日蓮聖人去る文永十一年の夏の比同じき甲州飯野・御牧・波木井の郷の内身延の嶺と申す深山に御隠居せさせ給い候へば、さるべき人人御法門承わる可きの由候へども御制止ありて入れられずおぼろげの強縁ならではかなひがたく候しに有人見参の候と申し候しかば信じまいらせ候はんれうには参り候はず、ものの様をも見候はんために閑所より忍びて参り御庵室の後に隠れ人人の御不審に付きてあらあら御法門とかせ給い候き。


法華経と大日経・華厳・般若・深密・楞伽・阿弥陀経等の経経の勝劣・浅深等を先として説き給いしを承り候へば法華経と阿弥陀経等の勝劣は一重二重のみならず天地雲泥に候けり、譬ば帝釈と猿猴と鳳凰と烏鵲と大山と微塵と日月と螢炬等の高下勝劣なり、彼彼の経文と法華経とを引き合せてたくらべさせ給いしかば愚人も弁えつ可し白白なり・赤赤なり、されば此の法門は大体人も知れり始めておどろくべきにあらず又仏法を修行する法は必ず経経の大小・権実・顕密を弁うべき上よくよく時を知り機を鑑みて申すべき事なり、而るに当世日本国は人毎に阿みだ経並に弥陀の名号等を本として法華経を忽諸し奉る世間に智者と仰がるる人人・我も我も時機を知れり知れりと存ぜられげに候へども小善を持て大善を打ち奉り権経を以て実経を失ふとがは小善還つて大悪となる薬変じて毒となる親族還つて怨敵と成るが如し難治の次第なり、又仏法には賢なる様なる人なれども時に依り機に依り国に依り先後の弘通に依る事を弁へざれば身心を苦めて修行すれども験なき事なり、設い一向に小乗流布の国には大乗をば弘通する事はあれども一向大乗の国には小乗経をあながちにいむ事なりしゐてこれを弘通すれば国もわづらひ人も悪道まぬかれがたし、又初心の人には二法を並べて修行せしむる事をゆるさず月氏の習いには一向小乗の寺の者は王路を行かず一向大乗の僧は左右の路をふむ事なし井の水・河の水同じく飲む事なし何に況や一房に栖みなんや、されば法華経に初心の一向大乗の寺を仏説き給うに「但大乗経典を受持せんことを楽つて、乃至余経の一偈をも受けざれ」又云く「又声聞を求むる比丘比丘尼優婆塞優婆夷に親近せざれ」又云く「亦問訊せざれ」等云云、設い親父たれども一向小乗の寺に住する比丘比丘尼をば一向大乗の寺の子息これを礼拝せず親近せず何に況や其法を修行せんや大小兼行の寺は後心の菩薩なり。

今日本国は最初に仏法渡りて候し比・大小雑行にて候しが人王四十五代聖武天皇の御宇に唐の揚州竜興寺の鑑真和尚と申せし人漢土より我が朝に法華経天台宗を渡し給いて有りしが円機未熟とやおぼしけん此の法門をば己