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日蓮大聖人・池田大作

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三大秘法禀承事  (3/3) 此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上…
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ば益あるまじき処に、叡山に座主始まつて第三・第四の慈覚・智証・存の外に本師伝教・義真に背きて理同事勝の狂言を本として我が山の戒法をあなづり戯論とわらいし故に、存の外に延暦寺の戒・清浄無染の中道の妙戒なりしが徒に土泥となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん、彼の摩黎山の瓦礫の土となり栴檀林の荊棘となるにも過ぎたるなるべし、夫れ一代聖教の邪正偏円を弁えたらん学者の人をして今の延暦寺の戒壇を蹋ましむべきや、此の法門は義理を案じて義をつまびらかにせよ、此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。

問う一念三千の正しき証文如何、答う次に出し申す可し此に於て二種有り、方便品に云く「諸法実相・所謂諸法・如是相・乃至欲令衆生開仏知見」等云云、底下の凡夫・理性所具の一念三千か、寿量品に云く「然我実成仏已来・無量無辺」等云云、大覚世尊・久遠実成の当初証得の一念三千なり、今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し、其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間貴辺に対し書き送り候、一見の後・秘して他見有る可からず口外も詮無し、法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し。

  弘安四年卯月八日                  日蓮花押

   大田金吾殿御返事


曾谷入道殿御書

                    文永十一年 五十三歳御作

                    於身延

自界叛逆難・他方侵逼の難既に合い候い畢んぬ、之を以て思うに「多く他方の怨賊有つて国内を侵掠し人民諸の苦悩を受け土地に所楽の処有ること無けん」と申す経文合い候いぬと覚え候、当時壱岐・対馬の土民の如くになり候はんずるなり、是れ偏に仏法の邪見なるによる仏法の邪見と申すは真言宗と法華宗との違目なり、禅宗と念仏宗とを責め候しは此の事を申し顕さん料なり漢土には善無畏・金剛智・不空三蔵の誑惑の心・天台法華宗を真言の大日経に盗み入れて還つて法華経の肝心と天台大師の徳とを隠せし故に漢土滅するなり、日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取つて伝教大師の鎮護国家を破せしより叡山に悪義・出来して終に王法尽きにき、此の悪義・鎌倉に下つて又日本国を亡すべし弘法大師の邪義は中中顕然なれば人もたぼらかされぬ者もあり、慈覚大師の法華経・大日経の理同事勝の釈は智人既に許しぬ愚者争でか信ぜざるべき慈覚大師は法華経と大日経との勝劣を祈請せしに箭を以て日を射ると見しは此の事なるべし、是れは慈覚大師の心中に修羅の入つて法華経の大日輪を射るにあらずや、此の法門は当世・叡山其の外日本国の人用ゆべきや、若し此の事・実事ならば日蓮豈須弥山を投る者にあらずや、我が弟子は用ゆべきや如何最後なれば申すなり恨み給べからず、恐恐謹言。

  十一月二十日                    日蓮花押

   曾谷入道殿


曾谷入道殿御返事

方便品の長行書進せ候先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし、此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり、例せば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり、此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり即持仏身とは是なり、されども僻見の行者は加様に目出度く渡らせ給うを破し奉るなり、唯相構えて相構えて異念無く一心に霊山浄土を期せらるべし、心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文ぞかし、委細は見参の時を期し候、恐恐謹言。

  文永十二年三月 日                 日蓮花押

   曾谷入道殿