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日蓮大聖人・池田大作

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光日房御書  (2/6) 瞿伽利尊者が虚誑罪
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や日本国の人の父母よりも・をもく日月よりも・たかくたのみ・たまへる念仏を無間の業と申し・禅宗は天魔の所為・真言は亡国の邪法・念仏者・禅宗・律僧等が寺をばやきはらひ念仏者どもが頸をはねらるべしと申す上、故最明寺・極楽寺の両入道殿を阿鼻地獄に堕ち給いたりと申すほどの大禍ある身なり、此れ程の大事を上下万人に申しつけられぬる上は設ひ・そらごとなりとも此の世にはうかびがたし、いかにいわうや・これはみな朝夕に申し昼夜に談ぜしうへ平左衛門尉等の数百人の奉行人に申しきかせ・いかにとがに行わるとも申しやむまじきよし・したたかに・いゐきかせぬ、されば大海のそこのちびきの石はうかぶとも天よりふる雨は地に・をちずとも日蓮はかまくらへは還るべからず、但し法華経のまことにおはしまし日月我をすて給はずばかへり入りて又父母のはかをも・みるへんもありなんと心づよく・をもひて梵天・帝釈・日月・四天はいかになり給いぬるやらん、天照太神・正八幡宮は此の国にをはせぬか、仏前の御起請はむなしくて法華経の行者をばすて給うか、もし此の事叶わずば日蓮が身のなにともならん事は・をしからず、各各現に・教主釈尊と多宝如来と十方の諸仏の御宝前にして誓状を立て給いしが今日蓮を守護せずして捨て給うならば正直捨方便の法華経に大妄語を加へ給へるか、十方三世の諸仏をたぼらかし奉れる御失は提婆達多が大妄語にもこへ瞿伽利尊者が虚誑罪にもまされたり設ひ大梵天として色界の頂に居し千眼天といはれて須弥の頂におはすとも日蓮をすて給うならば阿鼻の炎には・たきぎとなり無間大城にはいづるごおはせじ、此の罪をそろしと・おぼさばいそぎ・いそぎ国土にしるしを・いだし給え、本国へ・かへし給へと高き山にのぼりて大音声を・はなちて・さけびしかば、九月の十二日に御勘気・十一月に謀反のもの・いできたり、かへる年の二月十一日に日本国のかためたるべき大将ども・よしなく打ちころされぬ、天のせめという事あらはなり、此れにや・をどろかれけん弟子どもゆるされぬ。

而れども・いまだゆりざりしかば・いよいよ強盛に天に申せしかば頭の白き烏とび来りぬ、彼の燕のたむ太子の


馬烏のれい・日蔵上人の・山がらす・かしらもしろく・なりにけり、我がかへるべき・時やきぬらん・とながめし此れなりと申しもあへず、文永十一年二月十四日の御赦免状・同三月八日に佐度の国につきぬ・同十三日に国を立ちてまうらというつにをりて十四日は・かのつにとどまり、同じき十五日に越後の寺どまりのつに・つくべきが大風にはなたれ・さいわひにふつかぢをすぎてかしはざきにつきて、次の日はこうにつき・中十二日をへて三月二十六日に鎌倉へ入りぬ、同じき四月八日に平左衛門尉に見参す、本より・ごせし事なれば日本国のほろびんを助けんがために三度いさめんに御用いなくば山林に・まじわるべきよし存ぜしゆへに同五月十二日に鎌倉をいでぬ。

但し本国にいたりて今一度・父母のはかをも・みんと・をもへども・にしきをきて故郷へは・かへれといふ事は内外のをきてなり、させる面目もなくして本国へ・いたりなば不孝の者にてや・あらんずらん、これほどのかたかりし事だにも・やぶれて・かまくらへかへり入る身なれば又にしきを・きるへんもや・あらんずらん、其の時父母のはかをもみよかしと・ふかくをもうゆへに・いまに生国へはいたらねども・さすがこひしくて吹く風・立つくもまでも東のかたと申せば庵をいでて身にふれ庭に立ちてみるなり、かかる事なれば故郷の人は設い心よせにおもはぬ物なれども我が国の人といへば・なつかしくて・はんべるところに・此の御ふみを給びて心もあらずして・いそぎいそぎひらきてみ候へば・をととしの六月の八日にいや四郎にをくれてと・かかれたり、御ふみも・ひらかざりつるまでは・うれしくて・ありつるが、今此のことばを・よみてこそ・なにしにかくいそぎひらきけん・うらしまが子のはこなれや・あけてくやしきものかな、我が国の事はうくつらく・あたりし人のすへまでも・をろかならずをもうに・ことさら此の人は形も常の人には・すぎてみへ・うちをもひたるけしきも・かたくなにも・なしと見えしかども、さすが法華経のみざなれば・しらぬ人人あまたありしかば言もかけずありしに、経はてさせ給いて皆人も立ちかへる、此の人も立ちかへりしが使を入れて申せしは安房の国の・あまつと申すところの者にて候が、をさなくよ


り御心ざし・をもひまいらせて候上母にて候人も・をろかならず申しなれなれしき申し事にて候へども・ひそかに申すべき事の候、さきざきまひりて次第になれまいらせてこそ申し入るべきに候へども・ゆみやとる人に・みやづかひて・ひま候はぬ上事きうになり候いぬる上は・をそれを・かへりみず申すと・こまごまときこえしかば、なにとなく生国の人なる上そのあたりの事は・はばかるべきにあらずとて入れたてまつりて・こまごまと・こしかたゆくすへかたりてのちには世間無常なりいつと申す事をしらず、其の上武士に身をまかせたる身なり又ちかく申しかけられて候事のがれがたし、さるにては後生こそをそろしく候へ・たすけさせ給へと・きこへしかば経文をひいて申しきかす、彼のなげき申せしは父はさてをき候いぬ、やもめにて候はわをさしをきて前に立ち候はん事こそ不孝にをぼへ候へ、もしやの事候ならば御弟子に申しつたへてたび候へと・ねんごろに・あつらへ候いしが、そのたびは事ゆへなく候へけれども後にむなしくなる事のいできたりて候いけるにや、人間に生をうけたる人上下につけてうれへなき人はなけれども時にあたり人人にしたがひて・なげき・しなじななり、譬へば病のならひは何の病も重くなりぬれば是にすぎたる病なしと・をもうがごとし、主のわかれ・をやのわかれ夫妻のわかれ・いづれか・おろかなるべき・なれども主は又他の主もありぬべし、夫妻は又かはりぬれば心をやすむる事もありなん、をやこのわかれこそ月日のへだつるままに・いよいよ・なげきふかかりぬべくみへ候へ、をやこのわかれにも・をやはゆきて・子は・とどまるは同じ無常なれども・ことはりにもや、をひたるはわは・とどまりて・わきき子のさきにたつ・なさけなき事なれば神も仏もうらめしや、いかなれば・をやに子をかへさせ給いてさきには・たてさせ給はず・とどめをかせ給いて・なげかさせ給うらんと心うし、心なき畜生すら子のわかれしのびがたし、竹林精舎の金鳥は・かひこのために身をやき鹿野苑の鹿は胎内の子を・をしみて王の前にまいれり、いかにいわうや心あらん人にをいてをや、されば王陵が母は子のためになつきをくだき、神堯皇帝の后は胎内の太子の御ために腹をやぶらせ