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日蓮大聖人・池田大作

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聖愚問答抄 下  (5/14) 知恩をもて最とし報恩をもて前とす世に四恩あ…
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婆が如くに五逆をも造らず三逆をも犯さず、而るに提婆・猶天王如来の記莂を得たり況や犯さざる我等が身をや、八歳の竜女・既に蛇身を改めずして南方に妙果を証す況や人界に生を受けたる女人をや、只得難きは人身値い難きは正法なり汝早く邪を翻えし正に付き凡を転じて聖を証せんと思はば念仏・真言・禅・律を捨てて此の一乗妙典を受持すべし、若し爾らば妄染の塵穢を払つて清浄の覚体を証せん事疑なかるべし。

爰に愚人云く今聖人の教誡を聴聞するに日来の矇昧忽に開けぬ天真発明とも云つべし理非顕然なれば誰か信仰せざらんや、但し世上を見るに上一人より下万民に至るまで念仏・真言・禅・律を深く信受し御座すさる前には国土に生を受けながら争か王命を背かんや、其の上我が親と云い祖と云い旁念仏等の法理を信じて他界の雲に交り畢んぬ、又日本には上下の人数・幾か有る、然りと雖も権教権宗の者は多く此の法門を信ずる人は未だ其の名をも聞かず、仍て善処・悪処をいはず邪法・正法を簡ばず内典・五千七千の多きも外典・三千余巻の広きも只主君の命に随ひ父母の義に叶うが肝心なり、されば教主釈尊は天竺にして孝養報恩の理を説き孔子は大唐にして忠功孝高の道を示す師の恩を報ずる人は肉をさき身をなぐ主の恩をしる人は弘演は腹をさき予譲は剣をのむ親の恩を思いし人は丁蘭は木をきざみ伯瑜は杖になく、儒・外・内・道は異なりといへども報恩謝徳の教は替る事なし然れば主師親のいまだ信ぜざる法理を我始めて信ぜん事・既に違背の過に沈みなん法門の道理は経文・明白なれば疑網都て尽きぬ後生を願はずば来世・苦に沈むべし進退惟谷れり我如何がせんや、聖人云く汝此の理を知りながら猶是の語をなす理の通ぜざるか意の及ばざるか我釈尊の遺法をまなび仏法に肩を入れしより已来知恩をもて最とし報恩をもて前とす世に四恩あり之を知るを人倫となづけ知らざるを畜生とす、予父母の後世を助け国家の恩徳を報ぜんと思うが故に身命を捨つる事敢て他事にあらず唯知恩を旨とする計りなり、先ず汝目をふさぎ心を静めて道理を思へ我は善道を知りながら親と主との悪道にかからんを諫めざらんや、又愚心の狂ひ酔つて毒を服せんを我


知りながら是をいましめざらんや、其の如く法門の道理を存じて火・血・刀の苦を知りながら争か恩を蒙る人の悪道におちん事を歎かざらんや、身をもなげ命をも捨つべし諫めても・あきたらず歎きても限りなし、今世に眼を合する苦み猶是を悲む況や悠悠たる冥途の悲み豈に痛まざらんや恐れても恐るべきは後世・慎みても慎むべきは来世なり、而るを是非を論ぜず親の命に随ひ邪正を簡ばず主の仰せに順はんと云う事愚癡の前には忠孝に似たれども賢人の意には不忠不孝・是に過ぐべからず。

されば教主釈尊は転輪聖王の末・師子頬王の孫・浄飯王の嫡子として五天竺の大王たるべしといへども生死無常の理をさとり出離解脱の道を願つて世を厭ひ給しかば浄飯大王是を歎き四方に四季の色を顕して太子の御意を留め奉らんと巧み給ふ、先づ東には霞たなびくたえまより・かりがね・こしぢに帰り窻の梅の香・玉簾の中にかよひ・でうでう・たる花の色・ももさへづりの鶯・春の気色を顕はせり、南には泉の色・白たへにしてかの玉川の卯の華信太の森のほととぎす夏のすがたを顕はせり、西には紅葉常葉に交ればさながら錦をおり交え荻ふく風・閑かにして松の嵐・ものすごし過ぎにし夏のなごりには沢辺にみゆる螢の光・あまつ空なる星かと誤り・松虫・鈴虫の声声・涙を催せり、北には枯野の色いつしか・ものうく池の汀につららゐて谷の小川も・をとさびぬ、かかるありさまを造つて御意をなぐさめ給うのみならず四門に五百人づつの兵を置いて守護し給いしかども終に太子の御年十九と申せし二月八日の夜半の比・車匿を召して金泥駒に鞍置かせ伽耶城を出て檀特山に入り十二年高山に薪をとり深谷に水を結んで難行苦行し給ひ三十成道の妙果を感得して三界の独尊・一代の教主と成つて父母を救ひ群生を導き給いしをばさて不孝の人と申すべきか、仏を不孝の人と云いしは九十五種の外道なり父母の命に背いて無為に入り還つて父母を導くは孝の手本なる事・仏其の証拠なるべし、彼の浄蔵・浄眼は父の妙荘厳王・外道の法に著して仏法に背き給いしかども二人の太子は父の命に背いて雲雷音王仏の御弟子となり終に父を導いて沙羅樹王仏


と申す仏になし申されけるは不孝の人と云うべきか、経文には棄恩入無為・真実報恩者と説いて今生の恩愛をば皆すてて仏法の実の道に入る是れ実に恩をしれる人なりと見えたり、又主君の恩の深き事・汝よりも能くしれり汝若し知恩の望あらば深く諫め強いて奏せよ非道にも主命に随はんと云う事・佞臣の至り不忠の極りなり、殷の紂王は悪王・比干は忠臣なり政事理に違いしを見て強て諫めしかば即比干は胸を割かる紂王は比干死して後・周の王に打たれぬ、今の世までも比干は忠臣といはれ紂王は悪王といはる、夏の桀王を諫めし竜蓬は頭をきられぬ・されども桀王は悪王・竜蓬は忠臣とぞ云う主君を三度・諫むるに用ゐずば山林に交れとこそ教へたれ何ぞ其の非を見ながら黙せんと云うや、古の賢人・世を遁れて山林に交りし先蹤を集めて聊か汝が愚耳に聞かしめん、殷の代の太公望は皤渓と云う谷に隠る、周の代の伯夷・叔斉は首陽山と云う山に籠る、秦の綺里季は商洛山に入り漢の厳光は孤亭に居し、晋の介子綏は緜上山に隠れぬ、此等をば不忠と云うべきか愚かなり汝忠を存ぜば諫むべし孝を思はば言うべきなり。

先ず汝権教・権宗の人は多く此の宗の人は少し何ぞ多を捨て少に付くと云う事必ず多きが尊くして少きが卑きにあらず、賢善の人は希に愚悪の者は多し麒麟・鸞鳳は禽獣の奇秀なり然れども是は甚だ少し牛羊・烏鴿は畜鳥の拙卑なりされども是は転多し、必ず多きがたつとくして少きがいやしくば麒麟をすてて牛羊をとり鸞鳳を閣いて烏鴿をとるべきか、摩尼・金剛は金石の霊異なり、此の宝は乏しく瓦礫・土石は徒物の至り是は又巨多なり、汝が言の如くならば玉なんどをば捨てて瓦礫を用ゆべきかはかなし・はかなし、聖君は希にして千年に一たび出で賢佐は五百年に一たび顕る摩尼は空しく名のみ聞く麟鳳誰か実を見たるや世間出世・善き者は乏しく悪き者は多き事眼前なり、然れば何ぞ強ちに少きを・おろかにして多きを詮とするや土沙は多けれども米穀は希なり木皮は充満すれども布絹は些少なり、汝只正理を以て前とすべし別して人の多きを以て本とすることなかれ。