Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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富城殿御返事 
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等云云、問うて云く後五百歳に限るといへる経文之れ有りや、答えて云く薬王品に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云。

一御状に云く大田方の人人一向に迹門に得道あるべからずと申され候由・其の聞え候と是は以ての外の謬なり、御得意候へ本・迹二門の浅深・勝劣・与奪・傍正は時と機とに依るべし、一代聖教を弘むべき時に三あり機もつて爾なり、仏滅後・正法の始の五百年は一向小乗・後の五百年は権大乗・像法一千年は法華経の迹門等なり、末法の始には一向に本門なり一向に本門の時なればとて迹門を捨つべきにあらず、法華経一部に於て前の十四品を捨つべき経文之れ無し本迹の所判は一代聖教を三重に配当する時・爾前・迹門は正法・像法或は末法は本門の弘まらせ給うべき時なり、今の時は正には本門・傍には迹門なり、迹門無得道と云つて迹門を捨てて一向本門に心を入れさせ給う人人はいまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ以ての外の僻見なり、私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし、此の法門は年来貴辺に申し含めたる様に人人にも披露あるべき者なり総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし、其れさへ尚人人の御心中は量りがたし。

一日行房死去の事不便に候、是にて法華経の文読み進らせて南無妙法蓮華経と唱へ進らせ願くは日行を釈迦・多宝・十方の諸仏・霊山へ迎へ取らせ給へと申し上げ候いぬ、身の所労いまだきらきらしからず候間省略せしめ候、又又申す可く候、恐恐謹言。

  弘安二年五月十七日                 日蓮花押

    富木殿御返事


富木殿女房尼御前御書

                    弘安二年十一月 五十八歳御作

いよ房は学生になりて候ぞつねに法門きかせ給へ。

はるかに見まいらせ候はねば・をぼつかなく候、たうじとても・たのしき事は候はねども・むかしは・ことにわびしく候いし時より・やしなはれまいらせて候へば・ことにをんをもくをもいまいらせ候、それについては・いのちはつるかめのごとく・さいはいは月のまさり・しをのみつがごとくとこそ法華経にはいのりまいらせ候へ、さてはえち後房しもつけ房と申す僧を・いよどのにつけて候ぞ、しばらく・ふびんに・あたらせ給へと・とき殿には申させ給へ。

  十一月二十五日                   日蓮花押

   富城殿女房尼御前


諸経と法華経と難易の事

                    弘安三年五月 五十九歳御作

問うて云く法華経の第四法師品に云く難信難解と云云いかなる事ぞや、答えて云く此の経は仏説き給いて後二千余年にまかりなり候、月氏に一千二百余年・漢土に二百余年を経て後に日本国に渡りて・すでに七百余年なり、仏滅後に此の法華経の此の句を読みたる人但三人なり、所謂月氏には竜樹菩薩の大論に云く「譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云、此れは竜樹菩薩の難信難解の四字を読み給いしなり、漢土には天台智者大師と申せし人読んで云く「已今当説最も為れ難信難解」と云云、日本国には伝教大師読んで云く「已説の四時の経・今説の無量義経・当説の涅槃経は易信易解なり随他意の故に此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に」等云云、問うて云く其の意如何、答て云く易信易解は随他意の故に・難信難解は随自意の故なり云云、弘法大師並びに日本国東寺の門人をもわく法華経は顕教の内の難信難解にて密教に相対すれば易信易解なり云云、慈覚智証並びに門家思うよう法華経と大日経は倶に難信難解なり但し大日経と法華経と相対せば法華経は難信難解・大日経は最も為れ難信難解なり云云、此の二義は日本一同なり、日蓮読んで云く外道の経は易信易解・小乗経は難信難解・小乗経は易信易解・大日経等は難信難解・大日経等は易信易解・般若経は難信難解なり・般若と華厳と・華厳と涅槃と・涅槃と法華と・迹門と本門と・重重の難易あり。

問うて云く此の義を知つて何の詮か有る答えて云く生死の長夜を照す大燈・元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか随他意とは真言宗・華厳宗等は随他意の易信易解なり仏九界の衆生の意楽に随つて説く所の経経を随他意という譬えば賢父が愚子に随うが如し、仏・仏界に随つて説く所の経を随自意という、譬へば聖父が愚子