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日蓮大聖人・池田大作

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大井荘司入道御書 
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大井荘司入道御書

                    建治二年 五十五歳御作

柿三本酢一桶・くぐたち・土筆給い候い畢んぬ、唐土に天台山と云う山に竜門と申して百丈の滝あり、此の滝の麓に春の初より登らんとして多くの魚集れり、千万に一も登ることを得れば竜となる、魚・竜と成らんと願うこと民の昇殿を望むが如く貧なるものの財を求むるが如し、仏に成ることも亦此くの如し彼の滝は百丈早き事合張の天より箭を射徹すより早し、此の滝へ魚登らんとすれば人集りて羅網をかけ釣をたれ弓を以て射る左右の辺に間なし、空には鵰・鷲・鵄・烏・夜は虎・狼・狐・狸何にとなく集りて食ひ噬む、仏になるをも是を以て知りぬべし、有情輪廻生死六道と申して我等が天竺に於て師子と生れ・漢土日本に於て虎狼野干と生れ・天には鵰・鷲・地には鹿・蛇と生れしこと数をしらず、或は鷹の前の雉・貓の前の鼠と生れ、生ながら頭をつつき・ししむらをかまれしこと数をしらず、一劫が間の身の骨は須弥山よりも高く大地よりも厚かるべし、惜き身なれども云うに甲斐なく奪われてこそ候いけれ、然れば今度法華経の為に身を捨て命をも奪われ奉れば無量無数劫の間の思ひ出なるべしと思ひ切り給うべし、穴賢穴賢、又又申すべし、恐恐謹言。

  建治二年丙子                    日蓮花押

   大井荘司入道殿


松野殿御消息

柑子一籠・種種の物送り給候、法華経第七巻薬王品に云く衆星の中に月天子最も為第一なり此の法華経も亦復是くの如し、千万億種の諸の経法の中に於て最も為照明なり云云、文の意は虚空の星は或は半里或は一里或は八里或は十六里なり、天の満月輪は八百里にてをはします、華厳経六十巻或は八十巻・般若経六百巻・方等経六十巻・涅槃経四十巻三十六巻・大日経・金剛頂経・蘇悉地経・観経・阿弥陀経等の無量無辺の諸経は星の如し、法華経は月の如しと説かれて候経文なり、此れは竜樹菩薩・無著菩薩・天台大師・善無畏三蔵等の論師・人師の言にもあらず、教主釈尊の金言なり・譬へば天子の一言の如し、又法華経の薬王品に云く能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一等云云、文の意は法華経を持つ人は男ならば何なる田夫にても候へ、三界の主たる大梵天王・釈提桓因・四大天王・転輪聖王乃至漢土・日本の国主等にも勝れたり、何に況や日本国の大臣公卿・源平の侍・百姓等に勝れたる事申すに及ばず、女人ならば憍尸迦女・吉祥天女・漢の李夫人・楊貴妃等の無量無辺の一切の女人に勝れたりと説かれて候、案ずるに経文の如く申さんとすればをびただしき様なり人もちゐん事もかたし、此れを信ぜじと思へば如来の金言を疑ふ失は経文明かに阿鼻地獄の業と見へぬ、進退わづらひ有り何がせん、此の法門を教主釈尊は四十余年が間は胸の内にかくさせ給う、さりとてはとて御年七十二と申せしに南閻浮提の中天竺・王舎城の丑寅・耆闍崛山にして説かせ給いき、今日本国には仏・御入滅一千四百余年と申せしに来りぬ、夫より今七百余年なり、先き一千四百余年が間は日本国の人・国王・大臣・乃至万民一人も此の事を知らず。


今此の法華経わたらせ給へども或は念仏を申し・或は真言にいとまを入れ・禅宗持斎なんど申し或は法華経を読む人は有りしかども南無妙法蓮華経と唱うる人は日本国に一人も無し、日蓮始めて建長五年夏の始より二十余年が間・唯一人・当時の人の念仏を申すやうに唱うれば人ごとに是れを笑ひ・結句はのりうち切り流し頸をはねんとせらるること・一日・二日・一月・二月・一年・二年ならざればこらふべしともをぼえ候はねども、此の経の文を見候へば檀王と申せし王は千歳が間・阿私仙人に責めつかはれ身を牀となし給ふ、不軽菩薩と申せし僧は多年が間・悪口罵詈せられ刀杖瓦礫を蒙り、薬王菩薩と申せし菩薩は千二百年が間身をやき七万二千歳ひぢを焼き給ふ、此れを見はんべるに何なる責め有りともいかでかさてせき留むべきと思ふ心に今まで退転候はず。

然るに在家の御身として皆人にくみ候に、而もいまだ見参に入り候はぬに何と思し食して御信用あるやらん、是れ偏に過去の宿植なるべし、来生に必ず仏に成らせ給うべき期の来りてもよをすこころなるべし、其の上経文には鬼神の身に入る者は此の経を信ぜず・釈迦仏の御魂の入りかはれる人は・此の経を信ずと見へて候へば・水に月の影の入りぬれば水の清むがごとく・御心の水に教主釈尊の月の影の入り給ふかとたのもしく覚へ候、法華経の第四法師品に云く「人有つて仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我が前に在つて無数の偈を以て讃めん、是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん、持経者を歎美せんは其の福復た彼れに過ぎん」等云云、文の意は一劫が間教主釈尊を供養し奉るよりも末代の浅智なる法華経の行者の上下万人にあだまれて餓死すべき比丘等を供養せん功徳は勝るべしとの経文なり。

一劫と申すは八万里なんど候はん青めの石を・やすりを以て無量劫が間するともつきまじきを、梵天三銖の衣と申してきはめてほそくうつくしきあまの羽衣を以て三年に一度下てなづるになでつくしたるを一劫と申す、此の間無量の財を以て供養しまいらせんよりも濁世の法華経の行者を供養したらん功徳はまさるべきと申す文な