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日蓮大聖人・池田大作

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上野尼御前御返事  (3/3) 無間地獄は当位即妙・不改本位と申して常寂光…
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へざりし故に自業自得果・うらみがたかりし所に・金色の仏一体・無間地獄に出現して仮使遍法界・断善諸衆生・一聞法華経・決定成菩提と云云、此の仏・無間地獄に入り給いしかば・大水を大火に・なげたるが如し、少し苦みやみぬる処に我合掌して仏に問い奉りて何なる仏ぞと申せば・仏答えて我は是れ汝が子息遺竜が只今書くところの法華経の題目・六十四字の内の妙の一字なりと言ふ、八巻の題目は八八六十四の仏・六十四の満月と成り給へば・無間地獄の大闇即大明となりし上・無間地獄は当位即妙・不改本位と申して常寂光の都と成りぬ、我及び罪人とは皆蓮の上の仏と成りて只今都率の内院へ上り参り候が・先ず汝に告ぐるなりと云云、遺竜が云く、我が手にて書きけり争でか君たすかり給うべき、而も我が心より・かくに非ず、いかに・いかにと申せば、父答えて云く汝はかなし汝が手は我が手なり・汝が身は我が身なり・汝が書きし字は我が書きし字なり、汝心に信ぜざれども手に書く故に既に・たすかりぬ、譬えば小児の火を放つに心にあらざれども物を焼くが如し、法華経も亦かくの如し存外に信を成せば必ず仏になる、又其の義を知りて謗ずる事無かれ、但し在家の事なれば・いひしこと故大罪なれども懺悔しやすしと云云、此の事を大王に申す、大王の言く我が願既にしるし有りとて遺竜弥朝恩を蒙り国又こぞつて此の御経を仰ぎ奉る。

然るに故五郎殿と入道殿とは尼御前の父なり子なり、尼御前は彼の入道殿のむすめなり、今こそ入道殿は都率の内院へ参り給うらめ、此の由をはわきどのよみきかせまいらせ給うべし、事そうそうにてくはしく申さず候。

                                 恐恐謹言

  十一月十五日                    日蓮花押

   上野尼御前御返事


上野殿母御前御返事

乃米一だ・聖人一つつ・二十ひさげか・かつかう・ひとかうぶくろおくり給び候い了んぬ。

このところの・やう・せんぜんに申しふり候いぬ、さては去ぬる文永十一年六月十七日この山に入り候いて今年十二月八日にいたるまで此の山・出ずる事一歩も候はずただし八年が間やせやまいと申しとしと申しとしどしに身ゆわく・心をぼれ候いつるほどに、今年は春より此のやまい・をこりて秋すぎ・冬にいたるまで日日にをとろへ・夜夜にまさり候いつるが・この十余日はすでに食も・ほとをととどまりて候上・ゆきはかさなり・かんはせめ候、身のひゆる事石のごとし・胸のつめたき事氷のごとし、しかるに・このさけはたたかに・さしわかして、かつかうを・はたと・くい切りて一度のみて候へば・火を胸に・たくがごとし、ゆに入るににたり、あせに・あかあらい・しづくに足をすすぐ、此の御志は・いかんがせんと・うれしくをもひ候ところに・両眼より・ひとつのなんだを・うかべて候。

まことや・まことや・去年の九月五日こ五郎殿のかくれにしは・いかになりけると・胸うちさわぎて・ゆびををりかずへ候へば・すでに二ケ年十六月四百余日にすぎ候が、それには母なれば御をとづれや候らむ、いかに・きかせ給はぬやらむ、ふりし雪も又ふれり・ちりし花も又さきて候いき、無常ばかり・またも・かへりきこへ候はざりけるか、あらうらめし・あらうらめし余所にても・よきくわんざかな・よきくわんざかな・玉のやうなる男かな男かないくせ・をやのうれしく・をぼすらむと見候いしに、満月に雲のかかれるが・はれずして山へ入り・さかんなる花のあやなく・かぜのちらせるがごとしと・あさましくこそをぼへ候へ。


日蓮は所らうのゆへに人人の御文の御返事も申さず候いつるが・この事は・あまりになげかしく候へば・ふでをとりて候ぞ、これも・よも・ひさしくも・このよに候はじ、一定五郎殿にいきあいぬと・をぼへ候、母よりさきに・けさんし候わば母のなげき申しつたへ候はん、事事又又申すべし、恐恐謹言。

  十二月八日                     日蓮花押

   上野殿母御前御返事

大白牛車御消息

抑法華経の大白牛車と申すは我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり、彼の車をば法華経の譬喩品と申すに懇に説かせ給いて候、但し彼の御経は羅什・存略の故に委しくは説き給はず、天竺の梵品には車の荘り物・其の外・聞信戒定進捨慚の七宝まで委しく説き給ひて候を日蓮あらあら披見に及び候、先ず此の車と申すは縦広五百由旬の車にして金の輪を入れ・銀の棟をあげ・金の繩を以て八方へつり繩をつけ・三十七重のきだはしをば銀を以てみがきたて・八万四千の宝の鈴を車の四面に懸けられたり、三百六十ながれの・くれなひの錦の旛を玉のさほにかけながし、四万二千の欄干には四天王の番をつけ、又車の内には六万九千三百八十余体の仏・菩薩・宝蓮華に坐し給へり、帝釈は諸の眷属を引きつれ給ひて千二百の音楽を奏し、梵王は天蓋を指し懸け・地神は山河・大地を平等に成し給ふ、故に法性の空に自在にとびゆく車をこそ・大白牛車とは申すなれ、我より後に来り給はん人人は此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候、日蓮も同じ車に乗りて御迎いにまかり向ふべく候、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

                            日蓮花押