Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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聖密房御書  (4/4) 人の智浅く慢心高きゆへ
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り、いかりをぼせば・さでをはしませ、外道の法門は一千年・八百年・五天にはびこりて輪王より万民かうべをかたぶけたりしかども九十五種共に仏にやぶられたりき、摂論師が邪義・百余年なりしもやぶれき、南北の三百余年の邪見もやぶれき、日本・二百六十余年の六宗の義もやぶれき、其の上此の事は伝教大師の或書の中にやぶられて候を申すなり、日本国は大乗に五宗あり法相・三論・華厳・真言・天台、小乗に三宗あり倶舎・成実・律宗なり、真言・華厳・三論・法相は大乗よりいでたりといへども・くわしく論ずれば皆小乗なり、宗と申すは戒・定・慧の三学を備へたる物なり、其の中に定・慧をさてをきぬ、戒をもて大・小のばうじをうちわかつものなり、東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇なきゆへに東大寺に入りて小乗律宗の驢乳・臭糞の戒を持つ、戒を用つて論ぜば此等の宗は小乗の宗なるべし、比叡山には天台宗・真言宗の二宗・伝教大師習いつたへ給いたりしかども天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇立つべきよし申させ給いしゆへに天台宗に対しては真言宗の名あるべからずとをぼして天台法華宗の止観・真言とあそばして公家へまいらせ給いき、伝教より慈覚たまはらせ給いし誓戒の文には天台法華宗の止観・真言と正くのせられて真言宗の名をけづられたり、天台法華宗は仏立宗と申して仏より立てられて候、真言宗の真言は当分の宗・論師・人師始めて宗の名をたてたり、而るを事を大日如来・弥勒菩薩等によせたるなり、仏御存知の御意は但法華経一宗なるべし小乗には二宗・十八宗・二十宗候へども但所詮の理は無常の一理なり、法相宗は唯心有境・大乗宗・無量の宗ありとも所詮は唯心有境とだにいはば但一宗なり・三論宗は唯心無境・無量の宗ありとも所詮・唯心無境ならば但一宗なり、此れは大乗の空有の一分か、華厳宗・真言宗あがらば但中・くだらば大乗の空有なるべし、経文の説相は猶華厳・般若にも及ばず但しよき人とおぼしき人人の多く信じたるあいだ、下女を王のあいするににたり、大日経等は下女のごとし理は但中にすぎず、論師・人師は王のごとし・人のあいするによて・いばうがあるなるべし、上の問答等は当時は世すえになりて人の智浅く慢心高きゆへに用ゆ


る事はなくとも、聖人・賢人なんども出でたらん時は子細もやあらんずらん、不便にをもひ・まいらすれば目安に注せり、御ひまにはならはせ給うべし。

これは大事の法門なり、こくうざう菩薩にまいりてつねによみ奉らせ給うべし。

  聖密房に之を遣わす                 日蓮花押

華果成就御書

                    弘安元年四月 五十七歳御作

                    与 浄顕房・義浄房 於身延

其の後なに事もうちたへ申し承わらず候、さては建治の比・故道善房聖人のために二札かきつかはし奉り候を嵩が森にてよませ給いて候よし悦び入つて候、たとへば根ふかきときんば枝葉かれず、源に水あれば流かはかず、火はたきぎ・かくればたへぬ、草木は大地なくして生長する事あるべからず、日蓮・法華経の行者となつて善悪につけて日蓮房・日蓮房とうたはるる此の御恩さながら故師匠道善房の故にあらずや、日蓮は草木の如く師匠は大地の如し、彼の地涌の菩薩の上首四人にてまします、一名上行乃至四名安立行菩薩云云、末法には上行・出世し給はば安立行菩薩も出現せさせ給うべきか、さればいねは華果成就すれども必ず米の精・大地にをさまる、故にひつぢおひいでて二度華果成就するなり、日蓮が法華経を弘むる功徳は必ず道善房の身に帰すべしあらたうとたうと、よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず委くは又又申すべく候、常にかたりあわせて出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ、経に云く「衆に三毒有ることを示し又邪見の相を現ず我が弟子是くの如く方便して


衆生を度す」云云、前前申す如く御心得あるべく候、穴賢穴賢。

  弘安元年戊寅卯 月 日               日蓮花押

   浄顕房

   義浄房

別当御房御返事

聖密房のふみに・くはしく・かきて候よりあいて・きかせ給い候へ、なに事も二間清澄の事をば聖密房に申しあわせさせ給うべく候か、世間のりをしりたる物に候へばかう申すに候、これへの所当なんどの事は・ゆめゆめをもはず候、いくらほどの事に候べき、但なばかりにてこそ候はめ、又わせいつをの事をそれ入つて候、いくほどなき事に御心ぐるしく候らんと・かへりてなげき入つて候へども・我が恩をば・しりたりけりと・しらせまつらんために候、大名を計るものは小耻にはぢずと申して、南無妙法蓮華経の七字を日本国にひろめ震旦高麗までも及ぶべきよしの大願をはらみて其の願の満すべきしるしにや、大蒙古国の牒状しきりにありて此の国の人ごとの大なる歎きとみへ候、日蓮又先きよりこの事をかんがへたり閻浮第一の高名なり、先きよりにくみぬるゆへに・ままこのかうみやうのやうに専心とは用い候はねども・終に身のなげき極まり候時は辺執のものどもも一定とかへぬとみへて候、これほどの大事をはらみて候ものの少事をあながちに申し候べきか、但し当時・日蓮心ざす事は生処なり日本国よりも大切にをもひ候、例せば漢王の沛郡を・をもくをぼしめししがごとし・かれ生処なるゆへなり、