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日蓮大聖人・池田大作

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千日尼御前御返事  (4/6) 但法華経計りこそ女人成仏・悲母の恩を報ずる…
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計りこそ女人成仏・悲母の恩を報ずる実の報恩経にて候へと見候いしかば・悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願す、其れに日本国の一切の女人は漢土の善導・日本の慧心・永観・法然等にすかされて詮とすべきに・南無妙法蓮華経をば一国の一切の女人・一人も唱うることなし、但南無阿弥陀仏と一日に一返・十返・百千万億反・乃至三万・十万反・一生が間・昼夜十二時に又他事なし、道心堅固なる女人も又悪人なる女人も弥陀念仏を本とせり、わづかに法華経をこととするやうなる女人も月まつまでのてずさび・をもわしき男のひまに心ならず心ざしなき男にあうがごとし。

されば日本国の一切の女人・法華経の御心に叶うは一人もなし、我が悲母に詮とすべき法華経をば唱えずして弥陀に心をかけば・法華経は本ならねば・たすけ給うべからず、弥陀念仏は女人たすくるの法にあらず必ず地獄に堕ち給うべし、いかんがせんと・なげきし程に我が悲母をたすけんがために・弥陀念仏は無間地獄の業なり・五逆には・あらざれども五逆にすぎたり、父母を殺す人は其の肉身をば・やぶれども父母を後生に無間地獄には入れず、今日本国の女人は必ず法華経にて仏になるべきを・たぼらかして一向に南無阿弥陀仏になしぬ、悪ならざればすかされぬ、仏になる種ならざれば仏にはならず・弥陀念仏の小善をもつて法華経の大善を失う・小善の念仏は大悪の五逆にすぎたり、譬へば承平の将門は関東八箇国をうたへ・天喜の貞任は奥州をうちとどめし・民を王へ通せざりしかば朝敵となりてついにほろぼされぬ、此等は五逆にすぎたる謀反なり。

今日本国の仏法も又かくのごとし色かわれる謀反なり、法華経は大王・大日経・観無量寿経・真言宗・浄土宗・禅宗・律僧等は彼れ彼れの小経によて法華経の大怨敵となりぬるを・日本の一切の女人等は我が心のをろかなるをば知らずして我をたすくる日蓮を・かたきと・をもひて大怨敵たる念仏者・禅・律・真言師等を善知識とあやまてり、たすけんとする日蓮かへりて大怨敵と・をもわるるゆへに・女人こぞりて国主に讒言して伊豆の国へながせし上・


又佐渡の国へながされぬ。

ここに日蓮願つて云く日蓮は全く悞なし・設い僻事なりとも日本国の一切の女人を扶けんと願せる志は・すてがたかるべし、何に況や法華経のままに申す、而るを一切の女人等・信ぜずば・さでこそ有るべきに・かへりて日蓮をうたする、日蓮が僻事か釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・二乗・梵・釈・四天等いかに計らい給うぞ、日蓮僻事ならば其の義を示し給へ、ことには日月天は眼前の境界なり、又仏前にしてきかせ給える上・法華経の行者をあだまんものをば「頭破れて七分と作らん」等と誓わせ給いて候へば・いかんが候べきと・日蓮強盛にせめまいらせ候ゆへに天此の国を罰すゆへに此の疫病出現せり、他国より此の国を天をほせつけて責めらるべきに・両方の人あまた死ぬべきに・天の御計らいとして・まづ民を滅ぼして人の手足を切るがごとくして大事の合戦なくして・此の国の王臣等をせめかたぶけて法華経の御敵を滅ぼして正法を弘通せんとなり。

而るに日蓮・佐渡の国へ流されたりしかば彼の国の守護等は国主の御計らいに随いて日蓮をあだむ・万民は其の命に随う、念仏者・禅・律・真言師等は鎌倉よりも・いかにもして此れへ・わたらぬやう計ると申しつかわし・極楽寺の良観房等は武蔵の前司殿の私の御教書を申して弟子に持たせて日蓮を・あだみなんと・せしかば・いかにも命たすかるべきやうは・なかりしに・天の御計らいは・さてをきぬ、地頭・地頭・念仏者・念仏者等・日蓮が庵室に昼夜に立ちそいてかよう人もあるを・まどわさんと・せめしに・阿仏房にひつを・しおわせ夜中に度度・御わたりありし事いつの世にか・わすらむ、只悲母の佐渡の国に生れかわりて有るか。

漢土に沛公と申せし人・王の相有りとて秦の始皇の勅宣を下して云く沛公打ちて・まいらせん者には不次の賞を行うべし、沛公は里の中には隠れがたくして山に入りて七日・二七日なんど有るなり、其の時命すでに・をわりぬべかりしに沛公の妻女呂公と申せし人こそ山中を尋ねて時時命をたすけしが彼は妻なればなさけすてがたし、此


れは後世ををぼせずば・なにしにか・かくは・おはすべき、又其の故に或は所ををい或はくわれうをひき或は宅を・とられなんどせしに・ついに・とをらせ給いぬ、法華経には過去に十万億の仏を供養せる人こそ今生には退せぬとわ・みへて候へ、されば十万億供養の女人なり、其の上・人は見る眼の前には心ざし有りとも・さしはなれぬれば・心はわすれずとも・さでこそ候に去ぬる文永十一年より今年弘安元年まではすでに五箇年が間・此の山中に候に佐渡の国より三度まで夫をつかはす、いくらほどの御心ざしぞ大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし、釈迦如来は我が薩埵王子たりし時うへたる虎に身をかいし功徳・尸毘王とありし時・鳩のために身をかへし功徳をば我が末の代かくのごとく法華経を信ぜん人に・ゆづらむとこそ多宝・十方の仏の御前にては申させ給いしか。

其の上御消息に云く尼が父の十三年は来る八月十一日又云くぜに一貫もん等云云、あまりの御心ざしの切に候へば・ありえて御はしますに随いて法華経十巻をくりまいらせ候、日蓮がこいしく・をはせん時は学乗房によませて御ちやうもんあるべし、此の御経を・しるしとして後生には御たづねあるべし、抑去年今年のありさまは・いかにか・ならせ給いぬらむと・をぼつかなさに法華経にねんごろに申し候いつれども・いまだいぶかしく候いつるに七月二十七日の申の時に阿仏房を見つけて・尼ごぜんは・いかに・こう入道殿はいかにと・まづといて候いつれば・いまだやまず、こう入道殿は同道にて候いつるが・わせは・すでに・ちかづきぬ・こわなし・いかんがせんとて・かへられ候いつると・かたり候いし時こそ盲目の者の眼のあきたる・死し給える父母の閻魔宮より御をとづれの・夢の内に有るをゆめにて悦ぶがごとし、あわれあわれふしぎなる事かな、此れもかまくらも此の方の者は此の病にて死ぬる人は・すくなく候、同じ船にて候へば・いづれもたすかるべしとも・をぼへず候いつるに・ふねやぶれて・たすけぶねに値えるか、又竜神のたすけにて事なく岸へつけるかと・こそ不思議がり候へ。

さわの入道の事なげくよし尼ごぜんへ申しつたへさえ給え、ただし入道の事は申し切り候いしかば・をもい合