Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

日女御前御返事  (5/6) 普賢・文殊と申すは一切の菩薩多しといへども…
1249

に知らせんれうに申す、各各の心にまかせ給うべし。

妙荘厳王品と申すは殊に女人の御ために用る事なり、妻が夫をすすめたる品なり、末代に及びても女房の男をすすめんは名こそかわりたりとも功徳は但浄徳夫人のごとし、いはうや此は女房も男も共に御信用あり・鳥の二の羽そなはり車の二つの輪かかれり・何事か成ぜざるべき、天あり地あり日あり月あり日てり雨ふる功徳の草木花さき菓なるべし。

次に勧発品と申すは釈迦仏の御弟子の中に僧はあまたありしかども迦葉阿難左右におはしき王の左右の臣の如し、此は小乗経の仏なり、又普賢・文殊と申すは一切の菩薩多しといへども教主釈尊の左右の臣なり、而るに一代超過の法華経八箇年が間・十方の諸仏・菩薩等・大地微塵よりも多く集まり候しに・左右の臣たる普賢菩薩のおはせざりしは不思議なりし事なり、而れども妙荘厳王品を・とかれて・さておはりぬべかりしに・東方・宝威徳浄王仏の国より万億の伎楽を奏し無数の八部衆を引率して・おくればせして・参らせ給いしかば、仏の御きそくや・あしからんずらんと思ひし故にや・色かへて末代に法華経の行者を守護すべきやうを・ねんごろに申し上られしかば、仏も法華経を閻浮に流布せんこと・ことにねんごろなるべきと申すにや・めでさせ給いけん、返つて上の上位よりも・ことに・ねんごろに仏ほめさせ給へり。

かかる法華経を末代の女人・二十八品を品品ごとに供養せばやと・おぼしめす但事にはあらず、宝塔品の御時は多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏・一切の菩薩あつまらせ給いぬ、此の宝塔品はいづれのところにか・只今ましますらんと・かんがへ候へば、日女御前の御胸の間・八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候、例せば蓮のみに蓮華の有るがごとく后の御腹に太子を懐妊せるがごとし、十善を持てる人太子と生んとして后の御腹にましませば諸天此を守護す故に太子をば天子と号す、法華経・二十八品の文字・六万九千三百八十四字・一一の文


字は字ごとに太子のごとし字毎に仏の御種子なり、闇の中に影あり人此をみず虚空に鳥の飛跡あり人此をみず・大海に魚の道あり人これをみず月の中に四天下の人物一もかけず人此をみず、而りといへども天眼は此をみる。

日女御前の御身の内心に宝塔品まします凡夫は見ずといへども釈迦・多宝・十方の諸仏は御らんあり、日蓮又此をすいす・あらたうとし・たうとし、周の文王は老たる者をやしなひていくさに勝ち、其の末・三十七代・八百年の間すゑずゑは・ひが事ありしかども根本の功によりてさかへさせ給ふ、阿闍世王は大悪人たりしかども父びんばさら王の仏を数年やしなひまいらせし故に九十年の間・位を持ち給いき、当世も又かくの如く法華経の御かたきに成りて候代なれば須臾も持つべしとは・みえねども・故権の大夫殿・武蔵の前司入道殿の御まつりごと・いみじくて暫く安穏なるか、其も始終は法華経の敵と成りなば叶うまじきにや。

此の人人の御僻案には念仏者等は法華経にちいんなり日蓮は念仏の敵なり、我等は何れをも信じたりと云云、日蓮つめて云く代に大禍なくば古にすぎたる疫病・飢饉・大兵乱はいかに、召も決せずして法華経の行者を二度まで大科に行ひしは・いかに・不便・不便、而るに女人の御身として法華経の御命をつがせ給うは釈迦・多宝・十方の諸仏の御父母の御命をつがせ給うなり此の功徳をもてる人・一閻浮提に有るべしや、恐恐謹言。

  六月二十五日                    日蓮花押

   日女御前御返事


出家功徳御書

                    弘安二年五月 五十八歳御作

近日誰やらん承りて申し候は・内内還俗の心中・出来候由風聞候ひけるは・実事にてや候らん虚事にてや候らん・心元なく候間一筆啓せしめ候、凡父母の家を出でて僧となる事は必ず父母を助くる道にて候なり、出家功徳経に云く「高さ三十三天に百千の塔婆を立つるよりも一日出家の功徳は勝れたり」と、されば其の身は無智無行にもあれかみをそり袈裟をかくる形には天魔も恐をなすと見えたり、大集経に云く「頭を剃り袈裟を著くれば持戒及び毀戒も天人供養す可し則ち仏を供養するに為りぬ」云云、又一経の文に有人海辺をとをる一人の餓鬼あつて喜び踊れり、其の謂れを尋ぬれば我が七世の孫今日出家になれり其の功徳にひかれて出離生死せん事喜ばしきなりと答へたり、されば出家と成る事は我が身助かるのみならず親をも助け上無量の父母まで助かる功徳あり、されば人身をうくること難く人身をうけても出家と成ること尤も難し、然るに悪縁にあふて還俗の念起る事浅ましき次第なり金を捨てて石をとり薬を捨てて毒をとるが如し、我が身悪道に堕つるのみならず六親眷属をも悪道に引かん事不便の至極なり。

其の上在家の世を渡る辛労一方ならずやがて必ず後悔あるべし、只親のなされたる如く道をちがへず出家にてあるべし、道を違へずば十羅刹女の御守り堅かるべし、道をちがへたる者をば神も捨てさせ給へる理りにて候なり、大勢至経に云く「衆生五の失有り必ず悪道に堕ちん一には出家還俗の失なり」、又云く「出家の還俗は其の失五逆に過ぎたり」、五逆罪と申すは父を殺し母を殺し仏を打ち奉りなんどする大なる失を五聚めて五逆罪と云うなり、されば此の五逆罪の人は一中劫の間・無間地獄に堕ちて浮ぶ事なしと見えたり。