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日蓮大聖人・池田大作

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日女御前御返事  (1/6) 四百万億那由佗の世界にむさしののすすきのご…
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に依つて信を起す信を行の本と為す」云云、外典に云く「漢王臣の説を信ぜしかば河上の波忽ちに冰り李広父の讎を思いしかば草中の石羽を飲む」と云えり、所詮・天台妙楽の釈分明に信を以て本とせり、彼の漢王も疑はずして大臣のことばを信ぜしかば立波こほり行くぞかし、石に矢のたつ是れ又父のかたきと思いし至信の故なり、何に況や仏法においてをや、法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり、此の事伝教大師入唐して道邃和尚に値い奉りて五種頓修の妙行と云う事を相伝し給ふなり、日蓮が弟子檀那の肝要是より外に求る事なかれ、神力品に云く、委くは又又申す可く候、穴賢穴賢。

  建治三年八月二十三日                日蓮花押

   日女御前御返事

日女御前御返事

                    弘安元年六月 五十七歳御作

御布施七貫文送り給び畢んぬ、属累品の御心は仏・虚空に立ち給いて四百万億那由佗の世界にむさしののすすきのごとく・富士山の木のごとく・ぞくぞくとひざをつめよせて・頭を地につけ・身をまげ・掌をあはせ・あせを流し、つゆしげくおはせし上行菩薩等・文殊等・大梵天王・帝釈・日月・四天王・竜王・十羅刹女等に法華経をゆづらんがために、三度まで頂をなでさせ給ふ、譬えば悲母の一子が頂のかみをなづるがごとし、爾の時に上行乃至・日月等忝き仰せを蒙りて法華経を末代に弘通せんと・ちかひ給いしなり、薬王品と申すは昔喜見菩薩と申せし菩薩・日月浄明徳仏に法華経を習わせ給いて・其の師の恩と申し法華経のたうとさと申しかんにたへかねて万の重宝を尽くさせ給いしかども・なを心ゆかずして身に油をぬりて千二百歳の間・当時の油にとうしみを入れてたく


がごとく・身をたいて仏を供養し・後に七万二千歳が間ひぢをともしびとしてたきつくし・法華経を御供養候き。

されば今法華経を後五百歳の女人供養せば其の功徳を一分ものこさずゆづるべし、譬えば長者の一子に一切の財宝をゆづるがごとし、妙音品と申すは東方の浄華宿王智仏の国に妙音菩薩と申せし菩薩あり、昔の雲雷音王仏の御代に妙荘厳王の后浄徳夫人なり、昔法華経を供養して今妙音菩薩となれり、釈迦如来の娑婆世界にして法華経を説き給ふにまいりて約束申して・末代の女人の法華経を持ち給うをまもるべしと云云、観音品と申すは又普門品と名く、始は観世音菩薩を持ち奉る人の功徳を説きて候、此を観音品と名づく・後には観音の持ち給へる法華経を持つ人の功徳をとけり此を普門品と名く、陀羅尼品と申すは二聖・二天・十羅刹女の法華経の行者を守護すべき様を説きけり、二聖と申すは薬王と勇施となり・二天と申すは毘沙門と持国天となり・十羅刹女と申すは十人の大鬼神女・四天下の一切の鬼神の母なり・又十羅刹女の母あり・鬼子母神是なり、鬼のならひとして人を食す、人に三十六物あり所謂糞と尿と唾と肉と血と皮と骨と五蔵と六腑と髪と毛と気と命等なり、而るに下品の鬼神は糞等を食し・中品の鬼神は骨等を食す・上品の鬼神は精気を食す、此の十羅刹女は上品の鬼神として精気を食す疫病の大鬼神なり、鬼神に二あり・一には善鬼・二には悪鬼なり、善鬼は法華経の怨を食す・悪鬼は法華経の行者を食す、今日本国の去年今年の大疫病は何とか心うべき・此を答ふべき様は一には善鬼なり梵王・帝釈・日月・四天の許されありて法華経の怨を食す、二には悪鬼が第六天の魔王のすすめによりて法華経を修行する人を食す、善鬼が法華経の怨を食ふことは官兵の朝敵を罰するがごとし、悪鬼が法華経の行者を食ふは強盗夜討等が官兵を殺すがごとし、例せば日本国に仏法の渡りてありし時・仏法の敵たりし物部の大連・守屋等も疫病をやみき・蘇我宿禰の馬子等もやみき、欽明・敏達・用明の三代の国王は心には仏法・釈迦如来を信じまいらせ給いてありしかども・外には国の礼にまかせて天照太神・熊野山等を仰ぎまいらせさせ給ひしかども・仏と法との信はうすく神の信はあ


つかりしかば・強きにひかれて三代の国王・疫病疱瘡にして崩御ならせ給いき、此をもて上の二鬼をも今の代の世間の人人の疫病をも日蓮が方のやみしぬをも心うべし、されば身をすてて信ぜん人人は・やまぬへんもあるべし・又やむともたすかるへんもあるべし、又大悪鬼に値いなば命を奪はるる人もあるべし、例せば畠山重忠は日本第一の大力の大将なりしかども多勢には終にほろびぬ。

又日本国の一切の真言師の悪霊となれると・並に禅宗・念仏者等が日蓮をあだまんがために国中に入り乱れたり、又梵釈・日月・十羅刹の眷属・日本国に乱入せり、両方互に責めとらんとはげむなり、而るに十羅刹女は総じて法華経の行者を守護すべしと誓はせ給いて候へば・一切の法華経を持つ人人をば守護せさせ給うらんと思い候に・法華経を持つ人人も或は大日経はまされりなど申して真言師が法華経を読誦し候は・かへりてそしるにて候なり、又余の宗宗も此を以て押し計るべし、又法華経をば経のごとく持つ人人も・法華経の行者を或は貪瞋癡により或は世間の事により或は・しなじなのふるまひによつて憎む人あり、此は法華経を信ずれども信ずる功徳なしかへりて罰をかほるなり、例せば父母なんどには謀反等より外は子息等の身として此に背けば不孝なり、父が我がいとをしきめをとり母が我がいとをしきおとこを奪ふとも子の身として一分も違はば現世には天に捨てられ後生には必ず阿鼻地獄に堕つる業なり、何に況や父母にまされる賢王に背かんをや、何に況や父母国王に百千万億倍まされる世間の師をや、何に況や出世間の師をや、何に況や法華経の御師をや。

黄河は千年に一度すむといへり・聖人は千年に一度出ずるなり、仏は無量劫に一度出世し給ふ、彼には値うといへども法華経には値いがたし、設ひ法華経に値い奉るとも末代の凡夫法華経の行者には値いがたし、何ぞなれば末代の法華経の行者は法華経を説ざる華厳・阿含・方等・般若・大日経等の千二百余尊よりも末代に法華経を説く行者は勝れて候なるを、妙楽大師釈して云く「供養すること有る者は福十号に過ぎ若し悩乱する者は頭七分に破