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日蓮大聖人・池田大作

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盂蘭盆御書  (2/4) いまの僧等の二百五十戒は名計りにて事をかい…
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づねゆきて見し時と、目連尊者が母を見しといづれかをろかなるべきかれはいますこしかなしさわまさりけん。

目連尊者はあまりのかなしさに大神通をげんじ給ひ・はんをまいらせたりしかば、母よろこびて右の手にははんをにぎり左の手にては・はんをかくして口にをし入れ給いしかば、いかんが・したりけんはん変じて火となり・やがてもへあがり、とうしびをあつめて火をつけたるがごとくぱともへあがり、母の身のごこごことやけ候しを目連見給いて、あまりあわてさわぎ大神通を現じて大なる水をかけ候しかば、其の水たきぎとなりていよいよ母の身のやけ候し事こそあはれには候しが、其の時目連みづからの神通かなわざりしかば・はしりかへり須臾に仏にまいりてなげき申せしやうは、我が身は外道の家に生れて候しが仏の御弟子になりて阿羅漢の身をへて、三界の生をはなれ三明六通の羅漢とはなりて候へども、乳母の大苦をすくはんとし候に・かへりて大苦にあわせて候は、心うしとなげき候しかば、仏け説いて云く汝が母は・つみふかし・汝一人が力及ぶべからず、又何の人なりとも天神・地神・邪魔・外道・道士・四天王・帝釈・梵王の力も及ぶべからず、七月十五日に十方の聖僧をあつめて百味をんじきをととのへて母のくをはすくうべしと云云、目連・仏の仰せのごとく行いしかば其の母は餓鬼道一劫の苦を脱れ給いきと、盂蘭盆経と申す経にとかれて候、其によつて滅後末代の人人は七月十五日に此の法を行い候なり、此は常のごとし。

日蓮案じて云く目連尊者と申せし人は十界の中に声聞道の人・二百五十戒をかたく持つ事石のごとし、三千の威儀を備えてかけざる事は十五夜の月のごとし、智慧は日ににたり・神通は須弥山を十四さうまき大山をうごかせし人ぞかし、かかる聖人だにも重報の乳母の恩ほうじがたし、あまさへほうぜんとせしかば大苦をまし給いき、いまの僧等の二百五十戒は名計りにて事をかいによせて人をたぼらかし一分の神通もなし、大石の天にのぼらんと・せんがごとし、智慧は牛にるいし羊にことならず、設い千万人を・あつめたりとも父母の一苦すくうべし


や、せんするところは目連尊者が乳母の苦をすくわざりし事は、小乗の法を信じて二百五十戒と申す持斎にてありしゆへぞかし、されば浄名経と申す経には浄名居士と申す男目連房をせめて云く汝を供養する者は三悪道に堕つ云云、文の心は二百五十戒のたうとき目連尊者をくやうせん人は三悪道に堕つべしと云云、此又ただ目連一人がきくみみにはあらず、一切の声聞乃至末代の持斎等がきくみみなり、此の浄名経と申すは法華経の御ためには数十番の末への郎従にて候、詮するところは目連尊者が自身のいまだ仏にならざるゆへぞかし、自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし・いわうや他人をや。

しかるに目連尊者と申す人は法華経と申す経にて正直捨方便とて、小乗の二百五十戒立ちどころになげすてて南無妙法蓮華経と申せしかば、やがて仏になりて名号をば多摩羅跋栴檀香仏と申す、此の時こそ父母も仏になり給へ、故に法華経に云く我が願既に満ち衆の望も亦足る云云、目連が色身は・父母の遺体なり目連が色身仏になりしかば父母の身も又仏になりぬ。

例せば日本国八十一代の安徳天皇と申せし王の御宇に平氏の大将安芸の守清盛と申せし人をはしき、度度の合戦に国敵をほろぼして上太政大臣まで官位をきわめ当今はまごとなり、一門は雲客月卿につらなり、日本六十六国・島二を掌の内にかいにぎりて候いしが、人を順うこと大風の草木をなびかしたる・やうにて候しほどに、心をごり身あがり結句は神仏をあなづりて神人と諸僧を手に・にぎらむとせしほどに、山僧と七寺との諸僧のかたきとなりて、結句は去る治承四年十二月二十二日に七寺の内の東大寺・興福寺の両寺を焼きはらいてありしかば・其の大重罪・入道の身にかかりて・かへるとし養和元年潤二月四日身はすみのごとく面は火のごとくすみのをこれるがやうにて結句は炎身より出でてあつちじにに死ににき、其の大重罪をば二男宗盛にゆづりしかば西海に沈むとみへしかども東天に浮び出でて、右大将頼朝の御前に繩をつけて・ひきすへて候き、三男知盛は海に入りて魚の


糞となりぬ、四男重衡は其の身に繩をつけて京かまくらを引かれて結句なら七大寺にわたされて、十万人の大衆等・我等が仏のかたきなりとて一刀づつ・きざみぬ、悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず子と孫と末へ七代までもかかり候けるなり、善の中の大善も又又かくのごとし、目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代・下七代・上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う、乃至子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生・三悪道をはなるるのみならず皆初住・妙覚の仏となりぬ、故に法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云。

されば此等をもつて思うに貴女は治部殿と申す孫を僧にてもち給へり、此僧は無戒なり無智なり二百五十戒一戒も持つことなし三千の威儀一も持たず、智慧は牛馬にるいし威儀は猿猴ににて候へども、あをぐところは釈迦仏・信ずる法は法華経なり、例せば虵の珠をにぎり竜の舎利を戴くがごとし、藤は松にかかりて千尋をよぢ鶴は羽を恃みて万里をかける、此は自身の力にはあらず。治部房も又かくのごとし、我が身は藤のごとくなれども法華経の松にかかりて妙覚の山にものぼりなん、一乗の羽をたのみて寂光の空にもかけりぬべし、此の羽をもつて父母・祖父・祖母・乃至七代の末までも・とぶらうべき僧なり、あわれ・いみじき御たからは・もたせ給いてをはします女人かな、彼の竜女は珠をささげて・仏となり給ふ、此女人は孫を法華経の行者となして・みちびかれさせ給うべし、事事そうそうにて候へば・くはしくは申さず、又又申すべく候。恐恐。

  七月十三日                     日蓮花押

   治部殿うばごぜん御返事