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日蓮大聖人・池田大作

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大田殿女房御返事 
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大田殿女房御返事

                    建治三年十一月 五十六歳御作

                    与 大田入道女房 於身延

柿のあをうらの小袖わた十両に及んで候か、此の大地の下は二の地獄あり一には熱地獄すみををこし野に火をつけせうまうの火鉄のゆのごとし、罪人のやくる事は大火に紙をなげ大火にかなくづをなぐるがごとし、この地獄へは・やきとりと火をかけて・かたきをせめ物をねたみて胸をこがす女人の堕つる地獄なり、二には寒地獄・此の地獄に八あり、涅槃経に云く「八種の寒冰地獄あり・所謂阿波波地獄・阿吁吁地獄・阿羅羅地獄・阿婆婆地獄・優鉢羅地獄・波頭摩地獄・拘物頭地獄・芬陀利地獄」云云、此の八大かん地獄は或はかんにせめられたるこえ或は身のいろ等にて候、此の国のすわの御いけ或は越中のたて山のかへし加賀の白山のれいのとりのはねをとぢられ、やもめをうなのすそのひゆる、ほろろの雪にせめられたるを・もて・しろしめすべし、かんにせめられて・をとがいのわなめく等を阿波波・阿吁吁・阿羅羅等と申すかんに・せめられて身のくれないににたるを紅蓮・大紅蓮等と申すなり、いかなる人の此の地獄にをつるぞと申せば此の世にて人の衣服をぬすみとり父母師匠等のさむげなるをみまいらせて我はあつく・あたたかにして昼夜をすごす人人の堕つる地獄なり。

六道の中に天道と申すは其の所に生ずるより衣服ととのをりて生るるところなり、人道の中にも商那和修・鮮白比丘尼等は悲母の胎内より衣服ととのをりて生れ給へり、是れはたうとき人人に衣服をあたへたるのみならず父母・主君・三宝にきよくあつき衣をまいらせたる人なり、商那和修と申せし人は裸形なりし辟支仏に衣をまいらせて世世・生生に衣服身に随ふ、憍曇弥と申せし女人は仏にきんばら衣をまいらせて一切衆生喜見仏となり給う、今法華経に衣をまいらせ給う女人あり後生に・はちかん地獄の苦をまぬかれさせ給うのみならず、今生には大難


をはらひ其の功徳のあまりを男女のきんだちきぬにきぬをかさね・いろにいろをかさね給うべし、穴賢穴賢。

  建治三年丁丑十一月十八日              日蓮在御判

   太田入道殿女房御返事

太田左衛門尉御返事

                    弘安元年四月 五十七歳御作

当月十八日の御状同じき廿三日の午の剋計りに到来・軈拝見仕り候い畢んぬ、御状の如く御布施鳥目十貫文・太刀・五明一本・焼香廿両給い候、抑専ら御状に云く某今年は五十七に罷り成り候へば大厄の年かと覚え候、なにやらんして正月の下旬の比より卯月の此の比に至り候まで身心に苦労多く出来候、本より人身を受くる者は必ず身心に諸病相続して五体に苦労あるべしと申しながら更に云云。

此の事最第一の歎きの事なり、十二因縁と申す法門あり意は我等が身は諸苦を以て体と為す、されば先世に業を造る故に諸苦を受け先世の集・煩悩が諸苦を招き集め候、過去の二因・現在の五果・現在の三因・未来の両果とて三世次第して一切の苦果を感ずるなり、在世の二乗が此等の諸苦を失はんとて空理に沈み灰身滅智して菩薩の勤行・精進の志を忘れ空理を証得せん事を真極と思うなり、仏・方等の時・此等の心地を弾呵し給いしなり、然るに生を此の三界に受けたる者苦を離るる者あらんや、羅漢の応供すら猶此くの如し況や底下の凡夫をや、さてこそいそぎ生死を・離るべしと勧め申し候へ。

此等体の法門はさて置きぬ、御辺は今年は大厄と云云、昔伏羲の御宇に黄河と申す河より亀と申す魚・八卦と申す文を甲に負て浮出たり、時の人・此の文を取り挙げて見れば人の生年より老年の終りまで厄の様を明したり、


厄年の人の危き事は少水に住む魚を鴟鵲なんどが伺ひ燈の辺に住める夏の虫の火中に入らんとするが如くあやうし、鬼神ややもすれば此の人の神を伺ひなやまさんとす、神内と申す時は諸の神・身に在り万事心に叶う、神外と申す時は諸の神・識の家を出でて万事を見聞するなり、当年は御辺は神外と申して諸神他国へ遊行すれば慎んで除災得楽を祈り給うべし、又木性の人にて渡らせ給へば今年は大厄なりとも春夏の程は何事か渡らせ給うべき、至門性経に云く「木は金に遇つて抑揚し火は水を得て光滅し土は木に値いて時に痩せ金は火に入つて消え失せ水は土に遇つて行かず」等云云。

指して引き申すべき経文にはあらざれども予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば強ちに成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用ゆべきか、然るに法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり、されば経に云く「此の経は則ち為閻浮提の人の病の良薬なり若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即消滅して不老不死ならん」等云云、又云く「現世は安穏にして後生には善処ならん」等云云、又云く「諸余の怨敵皆悉く摧滅せん」等云云、取分奉る御守り方便品寿量品同じくは一部書きて進らせ度候へども当時は去り難き隙ども入る事候へば略して二品奉り候、相構え、相構えて御身を離さず重ねつつみて御所持有るべき者なり、此の方便品と申すは迹門の肝心なり此の品には仏・十如実相の法門を説きて十界の衆生の成仏を明し給へば舎利弗等は此れを聞いて無明の惑を断じ真因の位に叶うのみならず、未来華光如来と成りて成仏の覚月を離垢世界の暁の空に詠ぜり十界の衆生の成仏の始めは是なり、当時の念仏者・真言師の人人・成仏は我が依経に限れりと深く執するは此等の法門を習学せずして未顕真実の経に説く所の名字計りなる授記を執する故なり。

貴辺は日来は此等の法門に迷い給いしかども日蓮が法門を聞いて賢者なれば本執を忽に飜し給いて法華経を持ち給うのみならず、結句は身命よりも此の経を大事と思食す事・不思議が中の不思議なり、是れは偏に今の